十九歳 カンボジア
確かポル・ポトが死んだあとでカンボジアへ行った。内戦が終結したならもう安全だろうということで。初めての海外旅行がカンボジアっていう、ちょっと無茶な話だったんだけど。まあでもいわれるほど危険でもなかったですね。
バックパッカー旅行として、航空券だけを取って宿は現地で探した。当時三ドルで泊まれたホテルにまず入る。ここはオウムの残党が潜伏していたという噂があったところ。ここを拠点にそこらをぶらついた。
道路は舗装されていなくて、土埃がその辺の道を煙らせていた。宿の前にバイクタクシー運転手たちのたまり場があった。その中でAという青年と気が合い、旅行中はだいたい彼のバイクの後ろに乗って移動した。日本語が話せるやつもいて、ガイドは決まりましたか、と訊いてきた。Aにした、というと、彼はいいガイドですよ、といっていた。
Aはどこへでも連れて行ってくれた。麺が食いたいというとクイティアウのうまい店へ行ってくれたし、肉が食いたいといえば串焼きとビールの店へ乗りつけた。串焼きの店は水上の建物で、各席にハンモックがあった。風が穏やかに吹き、奥のスピーカーから現地の民謡が流れていた。ハンモックにもたれ、牛肉の串焼きを頬ばっていると、牛を食うと強くなるぞ、牛は強いからな、とAはいった。
半袖で過ごしていたので俺の腕の傷跡が丸見えで、そのせいでいっとき囲まれてあれこれいわれてしまった。その後、シャツを買え、ってことで市場へ行った。Aの見立てでレノマのパチモンのシャツを五ドルくらいで買い、以後はそれを着て移動した。
射撃場へ行った。野っ原にバラックと的があるだけという粗末なものだったが、銃はガチのアサルトライフル、M16A1だった。内戦のせいでそこら中にあったようなものなのだろう。それを集めて商売にしていたんだと思う。
バラック内の席に座り、フルオートで撃つと反動で銃身がぶれて弾がメチャクチャに飛んだ。お前あぶねーから、みたいな感じで一発ずつ撃つことになった。片言の日本語をしゃべれるやつがいて、イイヨー、イイヨー、アタテルヨー、といっていた。
全弾撃ち尽くして、ふぃー、と座っていると、今度は目の前にリボルバーが置かれた。いや、もうカネねえから、と断った。Aが横からそれを手にして、スタッフに向けて、ヘイ! と構えてみせた。スタッフはビビっていたが、A、かっこいいぜ、と俺は手を叩いて笑った。
ちなみにここでの射撃の的を後日、自衛隊員の友人に見せたら、けっこう当たってるとのことだった。
アーミーマーケットへ行った。旅行の目的のひとつが拳銃を買うことだった。郵便で送るとまず見つからない、という識者の言葉を聞いていたし、なんなら中古のテレビを買って、銃をバラして部品の状態でテレビの中に入れ、それで日本へ送ればいいと思っていた。だが拳銃はどこにも売ってなかったんで、当時五百リエルくらい? 日本円にして十円もしないアップルパイを買って、Aのバイクの後ろに乗りながら食いつつ帰った。うまかったですね。
二週間の滞在を終えて、Aは空港まで送ってくれた。次はどこへ行くんだ、と訊くので、台湾だ、と答えた。強い日差しのもと、Aは「グッドラック!」と親指を立てた。
カンボジア旅行、だいたいこんな感じだったと記憶しています。
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