俺たちに時間はない
俺たち、などと大きく出ましたが、主語がでかいというやつですか、残り何十年生きようと、個々の人間に残された時間はそんなに長くはない。何十年というのがとにかく短い。何百年と生きられるならやれることなどいくらでもあろうに。
短いからこそ貴重である。費用対効果ですか、またはコスパだタイパだといいますけれども、どうにも時間は失われていくがゆえ、その時間と引き換えに何を得るかが問われるもんでしょう。この問いに真剣であればあるほど時間の無駄使いなどはできなくなる。
いやあるいは、時間というのは無駄使いという形でしか使えないということもいえる。無駄の定義として、それがいずれ歴史の中で灰燼に帰すところのすべて、とするならば、何やったって最後は何にもならねえよ。究極的にはぜんぶ無駄である。
ただその究極のポイントに行くまでの限定的な期間では、命を賭けようとふざけていようと、カネを稼いだり創作をしたりの価値ある何かしらはできる。そこでの営為がいわゆる人生で、あなたは何をして生きましたかの話になってくる。やがて人生が終わっちゃっても、何をした人なのかはどっかで誰かが知っている。名前が聞こえてる。覚えられてる。
結局何がいいたいかってこともないんですけど。まとめると、でっかく見れば人に与えれられた時間は何もできないくらい短いし、個人が残せるものなんかほとんどないんだが、ちっちゃく見れば、人生という一瞬においてはどういうものであれ他人や当人にとっての価値が生まれ得るもんなんじゃないですかと。
でかく見るかちっちゃく見るかってだけのことですけど。
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