「文学というジャンルがあるんじゃないの。そこに文学な人がいるだけなの」
と、タイトルはまたタモリさんのパロディですが。
芸術ジャンルとしての文学とは、というと定義がちょっと曖昧かもしれない。文章による芸術表現、とだけ辞書的にはいえる。ひとまず詩と小説は文学ですね。ではそれがどんなものか、つくる人はどんな人か。文学な人とは何か。
これは帰納で考えるしかないのかしら。つまり詩人なり小説家なり、文学な人と認定された個々の人々の特性を拾っていって解いていこうと。
現代の文学者はわりときちんとしていると思う。ただ少し前、明治や大正だとか戦前戦後だとかはこれ、ちゃんとした人たちもいる一方で、けっこう魑魅魍魎の百鬼夜行みたいな話だったんじゃないですか。太宰、生まれてすみません。三島、キミにハラキリ。芥川、神経の束。安吾、ヤク中。島田清次郎、人騒がせ。中島敦、実はろくでもない。宮沢賢治、庭で両手を羽ばたかせつつ走って叫んでたんだっけ。以上、サンプルは少ないが帰納っぽくまとめると「異常」なんですけど、「メチャクチャ」とか「やりたい放題」みたいなこともいえるかな。
なぜ異常でメチャクチャでやりたい放題だったのか。思うに、たぶんありあまる想像力のせいだろう。あることを想像力によって考えて、考えるだけでは飽き足らず実行してしまったと。こういうことができる、と考えてしまう。やってみよう、としてしまう。想像力が行動の方向をつくってしまったのだ。だから変なことをしちゃったんじゃないの。まあ変なことといわず、彼らそれぞれの中では弁明や原理や理由があるんだろうけれども。
この話だと「文学な人」をひとくくりにはいえないようですが、ちょっと昔のそうした人々の一部分は困ったもんだった、とはいえる。一方きちんとした文学者たちはどうか、というとあまり目立った醜聞はないので、おとなしく書いてたんじゃないでしょうか。そっちのが平和でよいのではないの。
文学な人。頭の中が文学でいっぱいな人か、どうしてもものを書いてしまうという人か。結論はわかりませんでした。すみませんけど。