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ハレとケ

今だからこそ考える非日常と日常

私の地元では、”御柱祭り”という奇祭があります。7年に一度、平安時代以前から変わらず行われているお祭り。

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合計6日間、山から切り出した大木をえっさほいさと曳(ひ)き、市中を通って、諏訪大社という神社に建てる。

それは、結界であり、神との繋がりであり、とにかくいろいろな意味があるわけですが、最大の意味は、”非日常”、そう、ハレとケで言う所のハレなのです。

その6日間は、皆狂ったように大木を曳いて、昼間から酒を飲み、田畑を踏み荒らす。その祭りのために、6年間をかけ準備をし、そのハレの日を盛大に祝う。女子供は木遣りという歌とも叫び分からない声を上げ、軍隊ラッパを吹き鳴らす。

子ども心に、祭りって何でもありだなって思った記憶があります。

ケがれを落とし、ハレの日を迎える。それは、多分二つで一つのワンセット。どちらが欠けてもダメ。日本にはそんな風習が大昔からあった。

今、思いっきりハレた日って、あまり体験しないように思います。別に特別でなくたって、カラオケで思いっきり下手な歌を上手そうに歌うとか、飲み会で騒ぐとか、ただただボールを投げ合うとか。やっぱそこには、身体性と声が必須なような気がします。

なんか、精神と時の部屋みたいのがあって、思いっきりはっちゃけられないかな…

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