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はじめに。

 2024年が始まった。
私は1979年生まれ、今年45歳になる。45年なんとかこの世を生きている。生きてきた。数字だけみるともう立派に大人。中年である。

45歳。
詩人、茨木のりこは
「人名詩集」を出版。「櫂の会」連詩開始。
(ちなみに個人的に好きな詩「自分の感受性くらい」は49歳の時に掲載された)
脚本家、作家の向田邦子は
「寺内貫太郎一家」「だいこんの花」「時間ですよ・昭和元年」ドラマ脚本を書いている。(ちなみに向田氏が随筆を書き出したのは47歳)

他にも敬愛する方々の45歳だった時を調べてみると、新しく何かを始めたり、仕事の量も質も熟している(ように私からは感じる)時期だった。

 都内でコロナの感染者が出た2020年の始まり。41歳になろうとしていた私は新しいアルバムを作るため、緊急事態宣言期間と重なったこともあり家に籠り毎日曲を作り、歌詞を書いては消して、書いては捨ててを繰り返し、同時に、これまで書き溜めた文章をまとめなおしたり、新たに書いたりもしていたが、結局は酒を飲んでばかりいた。3年後、2023年にはアルバムは無理だったが3枚のシングルと初めてのエッセイ集を発売することができた。
同じ時期アルバムを作るためにかいた曲は全てボツにした。自分の意志でそうした。全てが音楽に聞こえなかった。心の内を綺麗事に変えて並べられた言葉はどうも胡散臭い。どの曲も脈動しないリズムでちっとも音楽に聞こえなかった。私は音楽をやりたいのであって、音楽っぽいものがやりたいわけではないのだと思うと「もう、だめだ」という思考が幅をきかせ、暗い気持ちになってばかりいた。
40代の始まりがこれだ。ただでさえ更年期の入り口が見えているというのに、なんともしんどい日々だった。
しんどいしんどいと言い続けながらも、なんでもいいから書くことにした。それは歌詞だったり、散文だったり、1行の詩だったりした。人様に読んでもらうためではなく、その日の自分のまとまりのつかない心模様を言葉に置き換えるだけの作業だった。
なんでもいいので書いていると、意識を記していくことを徐々に身体が放棄し、ペンを握る指先が私を先導するように走り出す瞬間があった。

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611字

見汐麻衣による連載エッセイ。毎月、隔週土曜日の更新です。 (※ここ数週間更新できておらず申し訳ありません。2024・8・13現在)

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