
ローマ上海経由、日本
静けさが凄い
’すいません’と囁きながら歩く人、店内の会話のトーンは静けささえ感じる。最近、時差ボケで朝5、6時に目が覚める。
都内であっても静けさが凄い。こんな静かだったかと思う。
車の音も、人の声も聞こえない。まだ電車の音も遠くから聞こえない。爆竹の音なんか絶対聞こえない。
自分の小ささを認める
ローマを出発する時のフィウミチーノ空港の場面。2人で持っている荷物を順番に計り、それぞれ約20kg強。ベルトコンベアーに乗せようとすると、また’あー!違う’と妻に言われ、久々に感情的になる。少し慌ただしくなる空港でのよくある場面を通過する。

それを見て呆れていた男性イタリア人の係員に搭乗の際に再開し、Grazie milleと感謝を伝える。
時に周りの日本人カップルがいる時に、過剰に意識してしまったり、荷物を預けるタイミングや荷物検査のチェックで不機嫌になる癖がある。日本に帰りたくないのか、陽気で優しいイタリア人に比べ、冷たくカッコつけで周りに気が利かない日本人カップルに嫌気がさすのか、それとも眠くて、暑いからなのか、疲れているのか、旅の終わりは子供の様な感情的な人になってしまい小さな自分が情けなくなる。
旅は傷を癒す
そんな時代に入ったことを昨今感じる。
日本人は戦後から、いや明治維新からここ30年のバブル崩壊・デフレ経済・震災・コロナと傷つき、個人レベルでも企業や組織の中で、我慢をして来た。傷付いてきた側面がある。
そのため私はカッコつけるし、怯えているし、卑屈になり疑心暗鬼になったかもしれない。余裕や優しさや自信がなく、逆に変に強がってしまう。大事な’素直さ’を忘れかける。
しかし思い出し、それらの感情に向き合い自立しようとしている。
旅をするとアイデンティティを日常より意識する場面が増える。その時見える日本人や中国人、韓国人など近隣のアジアの仲間に対して微妙にアレルギーっぽく感じる時がある。
仲間であるはずのアジア人を意識し過ぎるのは何故か。何故コンプレックスを抱くのだろう。何故寛容でなくなるのか。英語が海外旅行中の日本人と比べあまり喋れないような感覚に陥る勝手な自己嫌悪からくるのか、よくわからない感情と向き合いながら芥川龍之介’蜘蛛の糸’のカンダタの最後の場面を思い出す。他の旅行者が、自分の夢の様な旅の中で、邪魔に思えてしまうのか。不機嫌の理由は自分の利己主義の様なそれに対する自己嫌悪からかもしれない。相変わらず気難しいところも個性なのか。
イタリアから帰りたく無いなどと50歳になって小さく駄々を捏ねている小さい自分、そんなところも含め自分を認めていこうと自己分析を進める。
帰りの飛行機
隣の中国人が席を間違えて先に座っていたので、自分で言うのもなんだが優しく訂正し、移動を促す。その中国人は窓際に追いやられながら離陸後もトイレへの出入りが多く、とにかく動きに落ち着きがない。
中国東方航空の機内食は少し雑でそんなに美味しくはない。しかし、ありがたくいただく。頼みのアテンダントさんも歩きが早くせかせかしているため飲み物を依頼するタイミングを逃す。言語も煩く喧しい印象。

穏やかな日本人のそれとは違い、何か満たされていないのかという印象を兎角中国人には抱いてしまう。日本人は満たされていなくても我慢をしてしまうが、これは精神的な豊かと関係があるのか。いや、中国人にもあれだけの先鋭的なドローン技術と人口を誇る国なのだから、豊かな側面はあるはずだ。歴史の背景からか、その国の印象が分かれる。
食事後トイレに並ぶとなぜかトイレの掃除に時間がかかっていて長く並ぶことになる。他の中国人さんも自分の席に戻る途中で他人の画面を覗き込んだり平気で画面を触ったりしている。何かとやかましく居心地が悪く残念な国だという印象を危うく持ってしまいそうになり、こちらの気持ちは機内で危うく落ちそうになる。
しかし、もう無理せず笑顔で過ごせる。中国人にだっていいところはある。着陸は行きも帰りも上手であり、空港で買ったジャスミンティーは美味しい。同じアジアの人間として頼もしい先輩の部分もあり、交流して来た仲間だ。真摯に学ぶ姿勢を忘れない様にしたい。

それに過去、不動産の仕事で携わった中国人のお客様でも不動産を購入した礼儀正しい良い中国の方は確かにいた。
何事にも決めつけることなく、鏡として中国人というものを見たい。神様から批判癖を試されているのかもしれない。🪃だよと。
経由地の上海が様々なことを思い出させてくれる。
思えば人生初の海外は19歳に経験した返還前の香港・啓徳空港だった。50歳の今、人生の折り返し地点であり、新たなスタート地点として上海は今回意外な印象として残った。
好き嫌いがあるのであれば経験に基づき航空会社を選べば良い。飛行機を降りる時に通りがかるビジネスクラスの座席の散らかり方も、らしいなと、個性として見る。やはり中国人は独特だと。
上海、14時過ぎの上空は相変わらず行きと同様靄って霞んでいる。
中国人の良いところをもう一つ。それは欧米の空港よりトランジットの通路がわかりやすい印象だった。人員が豊富でポイントごとに人が案内して教えてくれるからだろうか。

上海から東京
機内では’現実が迫ってくる’という日本人同士の会話が独り言の様に聞こえる。会社員である日本人の若者にとって日常はまだ重い現実なのだろうか。
表情が豊かか、そうで無いか。
ローマから上海の機内よりも上海から東京の機内の方が同じ航空会社でも良い印象となった。不思議と穏やかで表情が豊かに感じる。久しぶりの日本の雰囲気が出てきている。お箸で食べるお魚の機内食も美味しい。
入国審査はQRコードの過剰なパスワードのセキュリティより紙でやった方があっけなく終わる。
自分自身、笑顔を作るのではなく穏やかに自然に、人生を良い表情でやって行ければと思う。
感謝の気持ちを忘れなければ旅は良いものとなり守られる。今まで仕事のせいにして制限された旅に行きやすくなった幸せを感じている。全て個人で手配するのも楽しいが、よりマニアックなツアー会社に頼る方法もあれば、全てのスケジュールが決まっているツアーに頼り切ることも選択できる。旅は重ねれば重ねるほど楽しさが増す。
帰宅後
旅のお土産や画像の整理、動画の確認などをしながら、資料に囲まれて旅の残り香を楽しんでいる。久しぶりの日本の浴槽に幸せを感じる。郵送で保険料や税金の案内、年賀状といろいろと届いているが、全て明日以降にやれば良いと思える。今日は七草粥と刺身と蕪のゆず浸けを美味しく食べて野菜に感謝した。
大晦日のイタリアの食堂や、チヴィタ・ディ・ヴァーニョレージョの坂道を登りながら言われた‘ピアノピアノ’というイタリアの言葉を思い出す。ゆっくりゆっくり、締め切りなどを気にせず、人生を過ごせば良いではないかという気持ちにさせてくれる。

そういえば、寝坊して’遅刻します’と連絡をしないといけない場面の夢を見た。しかしもうその職場や仕事には行かなくて良いのだ。
会社勤めや仕事のことは一旦置いておき、旅をしている自分の笑顔が動画に写っている。最も笑顔が良く、イキイキとしている。
Instagramではイタリア人のグルメレポートの著者がいいねをしてくれ、つながりが出来ると人間は嬉しい生き物だ。
帰国後妻と、溜まった洗濯と片付けを繰り返しながら、私は近所の妙見様(北斗七星)にお参りがてら、深夜特急の沢木耕太郎さんを見かけた自宅近くのモスバーガーに昼食を買いに行く。そこは賑わっているものの、日本人の良さを感じる。例えばぶつかりそうになると’すいません’と囁きながら歩く人、店内の会話のトーンは静けささえ感じる。中国東方航空のあの喧騒とは程遠い穏やかな環境が日本の魅力だ。
昨年夏に灼熱のスペインから帰国した時の表参道の空を見上げた時も感じたが、今回の冬の東京も、何となく優しい水分を多く含んだ空気感が心地良い。散歩する人々もそれぞれが優しさを心に持ち合わせながら歩いている様に見える。中国がやかましいとか、機内食が雑だとか、いろいろ批判癖を出したが、中国人にだってドローン技術やスマホでリープフロッグする優れたところがあり、同じアジアの仲間だということを意識したい。
こうして旅をするとそれぞれの世界に感謝の気持ちが湧き上がる。
テルミニ駅構内の本屋で買った星座の本Astro coathingや日本でなかなか売っていないコロンビアの本、アルゼンチンNational Geographicを本棚にそっとしまう。
次回はアムステルダム経由で南米コロンビアに行く予定を立てている。そんな旅の予定や地図を広げるだけでまたワクワクしてしまう。
イタリアの小さな街’ソリアーノ・ネル・チミーノ’の空に現れた巨大な北斗七星を垣間見たため、また見守られながら旅をしている自覚がある。こうして旅で気がつく人生なのかもしれない。だから旅がやめられない。これからも行ったことないところへ旅をする生き方を選び、地球を楽しみたい。
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