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一枚の新聞広告が教えてくれた、天国への準備とは?!

君が入院することになってから
覚悟はしていたつもりだったのに。
結局なんの準備もできなかった。

君が生き続けることを願っていたから、
というのは、現実から逃げていただけなのかな。

その日が来て、いま、とても後悔している。

40年連れ添ってくれた君を見送る葬儀のことを、
たった一日で決めなきゃならないなんて。
いざ考え始めると、してあげたいことが沢山あるのに、
もう時間がなくてできないことばかりだ。

君の写真だって、本当はじっくり選びたかった。
海外旅行に行ったときの写真、どこにあるのかなあ。
あのときの笑顔、みんなに見せたかったのに、

君がいないとそんなこともわからなくて。

家のこと、子供のこと、旅行や趣味のことも、
いままでずっと二人で決めてきたのに、

最期だけ君の意見を聞けなくて、ごめん。

いつか僕も天国にいったら、聞かせてくれないかな。
「本当はこんな葬儀がよかったのよ」って。

~2015年の平安閣の新聞広告から~



この新聞広告を見かけてからほどなくして、私の母は癌で亡くなった。


不摂生につぐ不摂生で、生きていたくないのだろうな、と感じさせる最後の10年だった。

母は生まれ持った恵まれた能力で、何をやってもそつなくこなす人だった。

年末には料亭のようなお節料理を作っていたし、私が幼い頃はバレエの発表会衣装も裁縫の先生が作ってくれるものより、綺麗に仕上げてくれた。

パソコンも使いこなし、Adobeのイラストレーターなども出始めのころから使って、父の仕事のアシスタントをこなしたりもしていた。

家で塾のようなことをしていた時は、生徒を次々と日本有数の進学校へ合格させたりもした。


振り返れば、けっこうなスーパーウーマンの母なのだけれど、私達家族が彼女を思い出すときには、もっと強烈だったどうしようもない彼女が蘇る。



家族思いで優しい方は、
「私の葬儀はなんでもいいから、あなたたちの無理のないようにしてね」と、この新聞記事のように逝かれる。


しかし、私の場合はこの母から面倒なくらいの指示があって、そのおかげで気が紛れて、お葬式を乗り切れたと思っている。

言われた通りにやらないと、起き上がってきて怒られそうだった。

大変な時こそ、やることが分かりやすく、かつ、たくさんあることで救いになることがあるんだな、と実感した。


お気に入りの写真はこれよ。(えー((+_+))!よりによってこれなの?)葬儀屋さんはあそこね。戒名はあそこにあるから。この人には必ず連絡して。お花はこれとこれね。<え?季節的にこの花ないんですけど、、>

ひとつひとつタスクをこなすように。


そして最後に、母は

「泣かないでね」と言った。


たぶんみんな泣けないと思うのですが、、、

と思ったが、

泣かないでねと言われたから泣かなかったと言えて、

私達は助かった。


ある意味、母の幕引きは完璧だった。


火葬場で私は、

「言われたこと、全部やったよ」
「天国まで、迷わずちゃんとのぼっていってね!」

と、空に向かう煙にむかって、こころの中でつぶやいた。



葬儀は人生の卒業式だから

私も面倒なくらいの指示書を残して、

文句を言われながら卒業しようと思う。

今はそれが優しさのような気がしている。



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