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沈思黙読会⑩から。「読むことと、読む場の深まりについて」
2024年8月17日(土曜日)、神保町expressionで行われた沈思黙読会、第10回目に参加された方々のご感想を公開します!(順不同です)
Aさん
会の中で話したことと重なりますが、自分の中でのまとめとして書かせていただきました。
今回初参加で、本を読めなくてずっと困っていた私が、読書からこんなに大きな幸福感を感じられるなんて、思いもしませんでした。
それは既に申込の時点から始まっていたように思います。本を読むという体験について、この会のXやnoteを読んで自分なりに考えたり学んだりして、おそらく10年ぶりくらいに本に没入できる姿勢が整いつつのあるのを実感していました。仕事モードで強迫的に文字を追うという姿勢が違っていたこと、読むのが遅いこと・集中が途切れることが恥ずかしく情けなくて、そういう自分にがっかりして読み続けられないことに気づきました。この気づきによって、驚くほど以前より本を読みやすくなりました。
当日の朝、非常に緊張しましたが、「猫の集会」というイメージも提示してくださっていたので、同じ思いを抱えた人同士が、違う方向を向きながらただそこに一緒にいるだけでいいんだと思えて、参加しやすかったです。そして、現地に向かう電車の中で、聴きなれた曲なのに妙に歌詞が胸に響いてきて、言葉への感度が高まっているのを感じました。
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会場では、やはり読書には環境が重要だと実感しました。日常生活では、様々な現実が頻繁に入り込んでくるので、没入がなかなか難しいです。しかしこの会場では、やわらかい照明、肌に心地よい空調の風、適度な存在感の音楽、同じ場所にいながらいないかのような人の気配が、言葉が創り出している世界に入り込む作業を大いに助けてくれました。湧いてくる視覚的イメージ、温度や湿度、匂いなどの解像度が非常に高かったです。この場所で読むことは、映画に例えれば家で観るのではなく映画館で観る没入感に似ているように思いました。
そして、何より私の場合は、読んだ本の翻訳者である斎藤さんが同じ場にいるということで、すごいエネルギーをもらっていた気がしました。ひとつひとつの言葉を大切に読んでいくうちに、言葉の信じられないほどの美しさに圧倒され、純粋に美しいものに触れた喜びを感じ、本当に幸せな気持ちになりました。そして、翻訳してくださった斎藤さんへの感謝の気持ちでいっぱいになりました。
また、本を読むとはどういう体験なのかについても新しい発見がありました。参加する前は、自分の世界を見聞を広げるために読書をしたいと思っていました。しかし今回、これだけ没入できたことで、自分の中で自然と浮かんでくる思いや記憶が非常に瑞々しく(そういえば夢を語っていた参加者もいらっしゃいました)、過去の自分を懐かしみ、未消化だった思いや記憶を迎え入れ、過去と現在がつながっている少し強く豊かになった自分が感じられるような幸福感がありました。置き去りになったままで思い出してくれることを望んでいた記憶や思いたちであり、私の心が喜んでいるのを感じました。これは仕事モードで読んでいた以前の私からは得られなかった感覚だろうと思いました。
ずっと本が読めなかった私が、今大きく変化しているのを感じています。私の人生に大きな大きな贈り物をいただきました。他の方も仰っていましたが、速く読むこと、知識や理解が豊かであるのが素晴らしいといった価値観ではなく、みんなそれぞれの本の読み方があっていいし、それを面白がってくださっているという懐の深さがあったからこそ、くつろいで本を読むことができたのだと思います。斎藤さん、スタッフの方々、参加者の皆さま、ありがとうございました!
Bさん
快適な読書環境のおかげで、合計4時間以上も読書をしたのに、全く疲労感がなく、むしろ頭がスッキリした感覚がします。普段いかに自分の頭の中が雑念でいっぱいなのかが、よく分かる帰り道でした。
思い返してみれば、自分が本を読むのは、頭に血が上っていて「目の前の世界とは別の場所へ行きたい」という気持ちから来ることが多いように思います。
読書をする時、私は1字ずつじっくり目で追いながら、頭の中で映像や音声をイメージしながら読み進めるタイプです。そのうえ耳に入ってきた音をすぐに拾ってしまう、やや聴覚優位気味なところがあるため、周りに音があると本の内容がなかなか頭に入っていかないことがあるのですが、今日はソファや個室など移動しながらザクザク読めました。
その一方で、少しずつ読んで寝かせて、しばらく日が経ってからまた読んで、、、という、スローな読み方が自分のスタイルなんだなあという気付きもありました。
同じ場所にいる参加者の皆さん一人ひとりの頭の中に、それぞれが読んでいる本が描き出す世界、例えば戦火の熱や雪の冷たさ、床板を踏みしめる音や犬の手触りといった全く異なる世界が繰り広げられているのも、本当に不思議で面白い空間だと感じました。
皆違う方向を見ているけれど、本を読むという共通の目的があるから場が保たれている。斎藤さんの仰る「夕方の猫の会議」というのは、こういう様子のことなのかなと私は捉えました。
改めて本日はありがとうございました。
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umimiさん
「いろいろ思う」のが、この会の素敵なところだと感じています。今日はとりわけ「いろいろ思う」日でした。選んだ本がうまくはまったのが大きかったです。
『教科書で読む名作 夏の花ほか 戦争文学』(筑摩書房)は、特にこの夏の記憶とともに強く結びついて残ると思います。オリンピックといつも見る夢と戦争が結びついた夏になりました。
雨もりの際に本を移動させた方がいらっしゃいましたが、本をどう災害時に避難させるかということについては、『藤原道長「御堂関白記」全現代語訳』(講談社学術文庫)を読むに、御堂関白記の原本は厳重に大切にされているわけではなく陽明文庫の入口近くに1つの箱に入れられていて、それはいざ火災が起きた際すぐに持って出られるように-なのだと書いてあった。それも今日みなこれの話につながって「いろいろ思う」一つとなりました。
一冊の本を読む読書会にはない「読書しりとり」によって「いろいろ思い」、複雑な記憶が何層にも重なっていく、心地よい混乱も生じて、それも合わせ2024の夏の強い記憶です。
前回、前々回と後で送ろうと思った感想も家に帰ると結局薄れて書けなくなる「記憶をとどめることの困難さ」が身にしみたので今回は、会場で書きなぐって帰ります。
二見さつきさん
8回目の参加にしてチョン・セラン著、斎藤真理子訳『保健室のアン・ウニョン先生』(亜紀書房)をついに1冊を1日で読み終えることになりました。
朝、会場に来る前にスターバックスでコーヒーを飲みながら30分ほど読み、それから会場で一気に読了です。今週、やっとのことで最終ページにたどりついた『百年の孤独』(新潮文庫)のある意味で、リハビリ的読書体験になりました。
Cさん
「読む」という行為に慣れたというとおかしいですが、黙ってただ読むことに最初のうちはずいぶん無器用になっていたのかもしれないなと思います。
このイベントのために読む本を選ぶということがすっかり楽しみになっています。
T.Nさん
前の日に持参する本を選ぶ時間からワクワクし、当日も読書に集中することが出来ました。本は選びきれず、4冊も持ってきてしまったのですが、その中から気分に合った1冊を最初から最後まで読むことができました。
読んだ本は村井理子さんの「家族」(亜紀書房) 。エッセイです。1日その家族と一緒に過ごし、村井さんの気持ちになってしまったり、自分の家族のことを考えたりと、なかなか読み進めるのが苦しかったですが! 別の場所に行けた良い時間でした。
まかさん
2回目の参加です。前日より読みやすい本だったので午前中いいかんじで読めました。午後はやはり少しねむくなりつつ持ち直してからまた入り込んで読めました。読んだ本にのぞき見するシーンがあって、自分もこの人たちをのぞいている気分になりました。
読書は他人の頭の中をのぞくような行為なのかなと思うと変な気分になりました。たくさんのぞいて読んでいきたいと思います。また都合が合えば参加します。ありがとうございました。
Keseraさん
今回は2回目ということで、前回の読書のリズムがつかみづらかった反省をふまえ、夏の個人的課題であるテーマに取り組むことができました。
非常に難しい内容なだけに、入門書とはいえ感情の処理がしばしば追いつかないところもあったのですが、やはり今起きている問題はいろいろなところでつながっているなと実感しましたし、不思議と同じようなテーマで読書をされている方たちが多いご縁も感じました。
たまたまですが、手にしたマグカップも前回と同じ「HOPE」と書かれたもので、今回の読書に通じるなと思いました。挫折した同じテーマの本に挑戦できる勇気をもらえた気がします!
今回読んだ本、高橋真樹「ぼくの村は壁で囲まれた―パレスチナに生きる子どもたち」(現代書館)、佐藤勝彦「眠れなくなる宇宙のはなし」(宝島社)。
Dさん
家で一人で長い時間、同じ場所で本を読んでいて、急に他人の時間を生きている気持ちになって、外に出て無目的でも海でも見に行ったほうが良いのかちょっとだけ迷って、いやいや、自分がしたいのはこっちなんだよと思い直すことを、最近何回も繰り返してて、本の内容の種類にもよるでしょうけども、他人に成り切ることはないけれど、やっぱり、自分ではない生を垣間見たりちょっと時を一緒に過ごしたり、今回の感想でもありましたけど、ちょっと覗き見しているみたいな、自分から浮いてしまうようなことを、読書ではしていて、だとしたら、今ここでは、みんなが無防備に浮遊しながら、黙ってそれぞれの他人の時間を過ごしているのか、と途中ひらめいて愉快な気持ちになりました。
原民喜を読まない久々の夏のせいで、かえって余計に頭から離れずに過ごしてたので、齋藤さん含めてこの場で読まれていたのを知って、嬉しいようなこそばゆいような不思議な気分で、ついに諦めて今年も今から読んでみることにしました。
Eさん
どこの誰かわからない 住んでいる場所も仕事もわからない。
読書会に来て一日自分の選んだ本を読む。
最後に自分の感想も話すことができる。
日常では味わえない貴重な時間を過ごす。
だが今回自分が選んだ本が、この場にそぐわないのではないかと感じた。
小説ではなく韓国に関連する書物でも斎藤真理子さんの著書でもない。
何を読んでも自由だが敢えてこの読書会で自分の関心のある社会問題や政治的な話をする必要があっただろうか。
自分で感想を述べながら途中で冷や汗が出る思いだった。
もし次に読書会に出る機会があったら今までとは違う視点で本を選んでみたい。
Eさん、本当に、そぐわないなど、まったくそんなことないので、ぜひ好きな本を読みに参加していただきたいです。Eさんが読まれていたパレスチナ関連の本や斎藤幸平さんの本は、前回も前々回も読まれている方がおられましたし。斎藤真理子さんが言われるように、読書は自由で、実はひとそれぞれなので、どうかどうかまったく気にされませんように。
今回の読書会の中で、「猫の会議」についてはひと言もふれていないのに、複数の参加者の方が、猫の会議のイメージと意味をしっかりくみ取ってくださり、リアクション・ペーパーに書いてくださいました。感激です!!
世話人として毎回参加していて、回を重ねる毎に、「場」が深まっていっている、会場はもちろん、斎藤さんや参加者の場の力により読書する力が強くなっているということを、確かに感じます。
沈思黙読会は、いつのまにか失われてしまった、純粋に読書を楽しむということ、そして「読む」という行為の奥深さを追求していきます。
次回の沈思黙読会(第10回)は、9月21日(土)、詳細とお申し込みはこちらです。基本的に月1で、神保町EXPRESSIONで行われます。学割(U30)有。オンライン配信はありません。。最終回となる第11回は、10月19日(土)、詳細とお申し込みはこちらです。