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【殿‐しんがり‐】の人 『麒麟がくる』明智十兵衛光秀の時代と宿命


「金ヶ崎の退き口」を描いた第三十一回。
十兵衛は、命と引き換えの激烈な退却戦の中、夜通し馬を走らせながら麒麟の声を聞いた、と語る。

「信長には、次がある」

信長様がまだ、生きておいでです。生きておいでなら、次がある。次があるかぎり、やがて大きな国がつくれましょう。大きな国ができれば平穏が訪れ、きっとそこに麒麟がくる───。


~背中で睨み合う 過去と未来じゃないが~


十兵衛は、【殿(しんがり)】の人だ。

【殿(しんがり)】とは、戦において、後退する軍の中で最後尾を担う部隊。後備えともいう。
劣勢な状況にあって、殿(しんがり)は、かぎられた戦力で背後からの敵の追撃を阻止しなければならない。
援軍を受けることもできず、補給もない。
本軍を無事逃げきらせるための、敗走であり背走。
武芸・戦術・人格に優れた武将に託される、最も危険な任務。

十兵衛は、織田信長最大の危機に、無防備な背後をさらし戦った。
勝つか負けるか、生きるか死ぬか。
一寸先は闇の未来に、己の背中を賭ける。
まさにそれこそが十兵衛の生きた証だ。

『麒麟がくる』にどっぷりはまったわたしは、『信長公記』にはじまり、戦国武将や室町時代についての資料を読み漁った。
十兵衛や道三、信長、帰蝶、義輝様、松永久秀… 愛すべき者たちの人生のかけらをさがして、本を読み、そこに出てきた参考文献をあたり、さらにまた参考文献をたどり。
その中で最も衝撃を受けたのが、戦国時代研究の第一人者である勝俣鎭夫氏の一本の論文だった。
タイトルは、
「バック トゥ ザ フューチュアー」

それは、「サキ」「アト」という語にまつわる考察だ。
日本語では古来より「サキ」は空間的な前方を、「アト」は空間的な後ろを意味する。
これは現代のわれわれも同じ。
ところが。
時間的に用いられる場合、中世までは
「サキ」=過去
「アト」=未来
の意味しかなかった。
たとえば、令和三年より先、といわれたら、令和四年、令和五年…とわたしたちの大半が考えるだろう。
しかし中世の人がもし同じことを聞いたなら、令和二年、令和元年、いやさらに平成の世のことか、と思い浮かべるというのだ。

先祖、先日、先例。過ぎ去ったものは、前にある。(前久様のサキ!)
後世、今後、後回し。これからやってくるものは、後ろ。

頭をガツン、とやられた気がした。
だって、
ということは、
もし戦国時代の人々に、「〈未来〉はあなたから見てどの方向にありますか?」と尋ねたら、
まちがいなく自分の背中のずっと後ろを指さすはず、
なのだから。

現在、われわれは過去を背(アト・跡・後)にして、未来(サキ・前・先)を見つめ、より良い未来を志向して進むという歴史認識の基本姿勢を当然のこととしている。
これに対し、〔中略〕「サキ」・「アト」の語を生みだし、使用してきた日本の古代・中世社会においては、人々は未来(アト・跡・後)に背を向ける姿勢をとり、過去(サキ・前・先)と向き合い、過去から現在にいたる道を見据え、未来に向って、後ずさりしているという歴史認識をもっていたということになろう。
(勝俣鎭夫『中世社会の基層をさぐる』山川出版社)

古代ギリシャやアフリカ、南米など世界の諸民族にも同じようにみられるという、この
「過去はわれわれの眼前に知らされているのに対して、未来は見ることができないゆえに、われわれの〈背後にある〉」
という時間的観念。

時間を表現するときの目線と、体の姿勢の向きが、現代人とは真逆だ。
過去と未来が180°回転した身体感覚。

「われわれは背中から未来へ入っていく」と、遠くから誰かの声がする。
Back to the Future ───


歴史家の清水克行氏は、勝俣先生のこの論文を受けて、こんな風に語っている。

つまり、中世までの人たちは、背中から後ろ向きに未来に突っ込んでいく、未来に向って後ろ向きのジェットコースターに乗って進んでいくような感覚で生きていたんじゃないかと
(高野秀行・清水克行『世界の辺境とハードボイルド室町時代』集英社インターナショナル)

後ろ向きのジェットコースター。
背走。
命がけの後ずさり。

ぼろぼろになりながら殿(しんがり)で戦いつづける十兵衛の姿に重なるのは気のせいだろうか。


~武器と神仏とお金 戦うあなたのため~

「前回、大河ドラマの脚本を書いたのは、室町幕府を描いた『太平記』(1991年)でして、150年近く続いた鎌倉幕府を滅ぼした足利尊氏のお話でした。今回の『麒麟がくる』は、200年以上続いた室町幕府を滅ぼす流れを作った人物たちのお話です。古いものと新しいものとの狭間で何かを変えていくというのは、やはり重荷だし苦しいんですよね」

脚本家の池端俊策氏が語ったように、『麒麟』は、室町幕府を、戦国時代を、ひいては古代から中世までつらなる世の仕組みをぐるりとひっくり返す【破壊と再生】の物語だ。

十兵衛たちの生きた中世は、「暴力」と「信仰」に裏打ちされた社会だった。
人々は「新儀」よりも「先例」を重んじていた。
サキの世の経験をアトの人々に残し、伝えることこそが最もたしかな使命であり、だからこそ古典に学び、日常を記録し、神仏を尊び、血統を重んじた。

そこに「金」、すなわち貨幣経済と市場論理がしのび込む。

このドラマが、野盗に襲われた主人公が、鉄砲を買いつけに堺や京へ行くところから始まるのはじつに象徴的だ。
はじめてふるさとを離れ出た旅で、十兵衛が訪ねたのは、武器商人だった。
そこで必要とされるのはほかでもない「金」と「コネ」。
金で武器を買い、人を買い、権威を買う。
戦も、政(まつりごと)も、仏法でさえも、すべては金次第。
マーケットの論理が、武家の誇り高き血をじわじわと固まらせてゆく。
第三十二回で描かれた朝倉義景との戦の際にも、なぜ比叡山は朝倉をかくまう、なにゆえ戦に関わろうとするのかと訝しがる信長に、十兵衛はこう言っていた。

「つまるところ、金、ではありませぬか」

十兵衛にとって、心よりお慕いしお仕えしたかった将軍(義輝様)は古からの精神的頂きであり、ともに大きな国をつくろうと目指した信長は、金と暴力の申し子だ。
初めて対面するシーンもくっきりと象徴的だった。
公方様とは、父からの教え、「麒麟」の伝説、幕府のあるべき姿について語り合う。彼らの共感の軸はつねに“父祖伝来の誇り”だ。
一方、信長との関係は、釣ってきた魚を浜で民に売りさばく(卸す)という“商行為”の場からスタートする。
受け継ぐものと、取引するもの。
過去と、未来。
前と、後ろ。
「サキ」と「アト」。
のちに十兵衛は将軍(義昭)と信長に同時に仕えるという両属状態となるが、旧き世と新しき時代、そのつなぎ目の最後尾で体をねじり、もがき、引き裂かれるのは彼の宿命だったのではないだろうか。

このドラマを撮りはじめた当初、明智光秀の言動の迷いや矛盾に違和感を覚えていた長谷川博己に、池端氏は「史実から逆算して演じないでほしい」と声をかけたという。
史実から逆算するな。
のちに本能寺の変を起こす人物だという意識で役をつくるな。
予定調和で演じるな。
何者でもない、むき出しの「十兵衛」をただ生きろ。

つまり、「まだ見ぬ未来に向かって、背中からつっこんでゆけ!」というきわめて中世的なリアル。

そうして、ただの若者だった十兵衛は、織田信長とともに何者かになろうとした。
何かを壊さないと新しいものはつくれない。スクラップ・アンド・ビルドは、いつだって暴力的だ。

「高い志があったとしても、この現の世を動かす力が伴わねば、世は変えられぬ。
 戦のない世をつくるために、今は戦をせねばならぬ時なのだ、と。
 今は戦を重ねるしかないのだ。
 わかるか、左馬助。左馬助。
 なんとしても生きて帰るぞ───」
あの殿(しんがり)をつとめた金ヶ崎で、左馬助に語ったとおり。
武器をとって血を流し、神仏を焼き払って涙を流し、金で巨大な城を築き上げた。
将軍と訣別し、信長を選んだ。
すべては麒麟がくる世、大きな国をつくるため、のはずだった。
なのに。

第一回で、燃え盛る家から幼い少女を救い出した十兵衛が、最終回で、自分の主君を殺すため寺に火を放つ。
結局、十兵衛は信長といっしょに何かを壊し、そして、いっしょに何かが壊れた。
すべては崩れ落ちた瓦礫の「アト」だ。



~Stand up, 麒麟を呼べるのは誰?~

大河ドラマ『麒麟がくる』のメインビジュアルの一文、
「それでも、この仁なき世を愛せるか。」
仁のある政治をする為政者が現れると降り立つ聖なる獣・麒麟を呼ぶのは、一体どの戦国武将なのか?
そのために十兵衛は何をしようとしたのか?
そもそも、麒麟とは何だったのか。

長谷川博己はインタビューでこんなことを言っている。

明智光秀は、孔子の言う「義」の人であったと感じます。それは光秀を演じるうえで、最後まで一貫して崩してはならないと思っていました。
(『NHKウイークリー ステラ』2/12号)

「仁」と「義」。
仁=秩序ある愛情
義=規範意識
(参照:土田健次郎『儒教入門』東京大学出版会)

「仁」という最高の徳を求めて、「義」という道を進む。
「義」には「打算や損得のない、正しい行い」との意味がつよく、それゆえ、合理的なものの考え方から遠くはなれることがある。
本能よりも美学を、目の前の現実よりも高邁な理想を。
自ら信じる正義のために進まねばならない。
われわれ視聴者から見れば、十兵衛の「義」はときにかなり理不尽な、ひとりよがりのものでもあった。
(なにせついた呼称が「マジレス蛮族」だ)
道三とはかみ合わず、世話になった朝倉様を足蹴にし、公方様や幕府奉公衆とも微妙にずれながら、人生最後の主君たる信長とは結局最後まですれちがったまま。
それでもひたすら「麒麟を呼べる者は誰か」をジャッジしつづけた。
十兵衛の内にある規範意識や正義感は、他罰的志向と紙一重。
諸刃の剣だ。

室町時代とは、日本人が闘争に明け暮れた二百数十年だった。
強烈な名誉意識と、軽い命。
なめられたら殺す。やられたらやり返す。
実力行使こそが生きるすべの、過酷な「自力救済」社会だ。
そこから、十兵衛のいう「大きな国」=全国統一の国家体制が成されるまでには、いったいどれほどの距離感があっただろう。
法制度や税制を整備し、全国規模での商品・ 貨幣流通ネットワークを確立し、さらには海を越えて東アジア地域情勢にまで話を進めなければならない。
なのに、戦国大名同士の領土紛争をおさめることさえままならない現実。
肝心の主君信長は「儂は強い!」「儂が正義!」「儂の言うことを聞け!」「聞かぬなら首を刎ねる!」と力任せだ。
(丹波攻略だけでさえ四年以上…死ぬまで働かされる中世版ブラック労使)

仁なき世に、義を貫く。
それはまさに、十兵衛が最後に菊丸に語ったとおり「己ひとりの戦」であった。
トップの首をすげかえつづけるという仕組みの限界を超えることはできなかった。
従来からの「属人的な為政者観」を打破することができなかった。
「信長には、次がある」と麒麟のお告げを代弁してみせた十兵衛だったが、
仁=秩序ある愛 を知らず、義=規範意識 をもたない信長は、迷子のように袋小路へと追い込まれていった。
追い込んだのはほかでもない、十兵衛だ。
この勝ち抜きトーナメント戦に、もう「次」はない。
より強い誰かが現れた瞬間、終わる。
最期に現れたのは、水色桔梗の旗、だった。


天下統一した、信長のアトの秀吉。
『麒麟』の秀吉には捨てたい過去しかない。高邁な理想もない。
秩序ある愛を知らないのは信長と同じ。
十兵衛も、いない。
あるのは出世欲と、よくまわる口と頭と、どこまでも生きていく自分だけだ。
ぐるりと回った天下で見たのは、いったいどんな未来だったのだろう。



~間違った戦をしたけど 間違いではなかった~


明智十兵衛光秀が信長にどんな思いを抱いていたか、史実からもつぶさに見てとれる。
光秀が記したとされる、ある御礼状でも

なおもって、先日は見事のふとん給い候。一覧のごとく、即ち
上様へ進上申し候。我々着座候いつれども、余りに結構の物不似合に候条、上覧に備え、ひとしお祝着この事に候。

(贈っていただいた座布団があまりに見事な品で、すぐに
上様に献上しました。自分には不似合いなので…)

信長に敬意を払い、信長を指す「上様」の文字のところで改行(平出)されている。〔中略〕通常一字分程度空けること(闕字)はあるものの、平出まですることはめずらしい。
(金子拓『信長家臣明智光秀』平凡社新書)

光秀が信長にどれほど熱い、篤い敬意を払っていたか。

一方、信長も、光秀からの戦況報告の書状への返事のなかで、
「書中つぶさに候えば、見る心地に候」
と書いている。
そなたの手紙はとてもくわしいので、まるでその場を見ているかのような気持ちになる、とのお言葉。

「見る心地に候」

そなたが隣にいて、そなたの声を間近で聞きながら、そなたとともに見ている景色であるかのような。

たしかに、十兵衛は信長を主君と敬い、信長は十兵衛をかけがえのない片腕としていた。
信長は本能寺を宿所とする以前、京にくると必ずといっていいほど光秀の屋敷に泊まっていたそうだ。
無防備に自分の懐の内に入ってきて、眠りにつく主君。

ふたりは夢を見ただろう。
いっしょに革命をなす、という夢を。

「一緒に革命をやる」という言葉に桑原武夫が託したのは、とりわけ祝祭的なことや、政治的に正しい実践のことではないと思います。そうではなくて、「前線が総崩れになったときに、踏みとどまってしんがりを守る」ような忍耐の要る仕事のことではないかと僕には思われます。「追い風」に乗ってはなばなしい業績を挙げることは才能のある人にとってそれほどむずかしいことではありません。でも、「逆風」のとき、長期にわたる膠着戦や先行きのおぼつかない後退戦のときに、浮き足立たず、不機嫌にならず、絶望せず、仲間を決して置き去りにせず、静かな笑顔をたたえて自分の果たすべき日々の仕事をきちんと果たすことは、才能や学識だけではできません。例外的に禁欲的であるとか倫理的であるというだけでは務まりません。生命力の強さが必要です。「生物として強い」という条件が要ります。
 そういう人が「一緒に革命ができる人」だろうと僕は思います。
(内田樹・中沢新一『日本の文脈』角川書店)

味方の軍勢に寝返られ、刀折れ、矢尽き、命からがら逃げ落ちる中で、
「まだ、次がある」
そんな言葉を紡ぎだせる【殿(しんがり)】の人だけが、革命を起こす。

「光秀に討たれるのはもはや本望。光秀が自分を楽にしてくれる。迎えに来てくれたといううれしさと切なさが複雑に出ました」
信長役の染谷将太の言葉こそ、革命を志し、ついに破れたふたりの結末のすべてだ、と思う。

生き抜いた。
首は残さない。
最期は見ない、見せない。
信長は十兵衛に自分の生命を刻み、十兵衛は信長を置き去りにはしなかった。

戦って戦って戦って勝ちぬいたと思ったらもっと強い敵が出てきてジ・エンドなんて、そんな血まみれな世界線は断ち切りたかったにちがいない。
うまくはかれば、死に体だった室町幕府を延命させ、帝と将軍をおしいただいてサステナブルな治世の土台をきずくことだってできたかもしれない。
史実の伝えるところによれば、明智光秀は教養があり、領国経営、人心掌握、法整備や都市計画や治水工事…とにかくずば抜けて能力の高い武将だった。
本能寺の変のちょうど一年前、光秀が1581年6月2日付けで発布した『家中軍法』。
織田家中において唯一現存しているこの軍法には、軍の規律だけでなく軍役の賦課基準も示されていて、”家臣の知行高を正確に把握したうえでその知行高に応じた負担基準を設ける”という考え方は当時としてはかなり革新的だという。

「二百年も、三百年も、おだやかな世がつづく政を行うてみたい」。
のちに世界史上にもまれなと称えられるパクス・トクガワーナ(徳川の平和)のように。
永遠とも思える平らかな世を。


でも、『麒麟』の中の十兵衛は、【殿(しんがり)】のお役目をまっとうする道を選んだ。
『家中軍法』で明智光秀が記した後書を思い出す。
「瓦礫の如く沈んでいた私を信長公が召し出され、多くの軍勢を預けて下さった」

殿が焼きつくされた灰となって沈むのなら、わたくしもご一緒いたしまする。
最後まで。
瓦礫の如く。
だから、
帰れと言われても、
離せと怒鳴られても、
呼び戻されなくとも、
あとから必ず殿のもとに参ります───


「十兵衛はどこまでも十兵衛じゃな」
帰蝶様のちょっと呆れたような声が、聞こえる。


~きっと今は自由に空も飛べるはず~


話は「サキ」と「アト」にもどる。

制作の裏話でやけに印象に残ったのは、第十二回「十兵衛の嫁」撮影時のこんな逸話だ。
リハーサルでは、熙子の前を十兵衛が歩きながら、いつプロポーズしようか考えている…という段取りだったのに、

長谷川さんから「熙子を前に歩かせたい」という提案がありました。言おうか言うまいか迷っているときに熙子の後ろ姿を見ながら思いを高めて決断したい、と。
〔中略〕
そして本番。最初、光秀が前を歩いていますが、いつの間にか熙子が追い抜いて先を歩いています。
(『麒麟がくる』公式HP 「麒麟、振り返る」演出編より)

十兵衛の“らしさ”がより強調される演技プランで、さすが長谷川博己、という場面だけれど、同時に
あぁ、熙子の背中は、十兵衛にとって「見える未来」なんだな、と。
十兵衛は、前を向いて、自分と熙子との歩く先をちゃんと見ようとしている。
ひとりの若者の視線の中に、アトとサキがときおり交錯するような、象徴的なエピソードに思えてならなかった。

たしかに、『麒麟』の舞台となった16世紀以降、「サキ」という言葉に「未来」、「アト」という言葉に「過去」の意味がしだいに加わりはじめた、という。
飢えも争いも天罰とされたような、神仏がすべてを支配する社会から、農業の技術革新など、人間が経験や知識の蓄積によって未来を見通せる社会に移行しつつあった。
呪術的世界から、コントロール可能な世界へ。
時の流れが、人間のものとなる。
未来は、見えているのかもしれない。目の前に。

十兵衛が、そんな時代のうねりの中で、【殿(しんがり)】であると同時に【フロントランナー】でもあったのはまちがいない。
だって、最後尾は、アトサキ替われば、一番先頭じゃないか。


わたしの敬愛する作家に、こんな言葉がある。

自分自身に抗ってする賭け、自分がすでにしたことを壊すという賭けのなかに、私が前進と呼ぶものがある。破壊とは、進行でもある。私は、破壊がどこまで行くのかを見なければならなかった。
(マルグリット・デュラス、ドミニク・ノゲーズ『デュラス、映画を語る』岡村民夫訳/みずず書房)

十兵衛は、人生のすべてを賭けたものが破滅へ向かう中で、それでもなお走りつづけた。
背中からどうしようもなく加速度的に突っ込んでいきながら、同時に、180°ぐるりと回転させた頭で、しかと見届けようとしたにちがいない。
破壊の「アト」に広がる、高く遠い空の「サキ」の景色を。



【麒麟】は、仁のある政治をおこなう為政者があらわれると降り立つ聖獣。世が平らかになると訪れる。
つまり「あとから到着する」存在だ。
そういえば、“生前の”十兵衛はいつも何でも一歩遅かった。
大事のときに間に合わず、あとからやって来ては、泣いたり怒ったり焦ったりしながらいつも後始末のようなことをさせられていた。
義輝様にも帰蝶様にも文句を言われていたっけ。遅かった!と。
仕方あるまい、なにせ【殿(しんがり)】の人だから。


脚本の池端氏は言った。
「人間はいつも『大空を飛びたい』という願望をもっている。
そして、十兵衛は自由に飛ぶ鳥」


今ごろ、どこを飛んでいるのだろう。
降り立つ先の地は、見えただろうか。