アスパーガール
#6 4/23/2022
ルディ・シモン 著
牧野恵 訳
2011年 スペクトラム出版
良書。翻訳が素晴らしくて違和感なく頭に入り理解と納得がある。副題の 「アスペルガーの女性に力を」の役目を本当に果たしていると思えるなぁ。
ざっくり、DSM-5で言うところの自閉スペクトラム症(Autistic Spectrum Disorder) は、知的発達や言語能力の状態がどのようであっても自閉的な特徴のある状態は連続しているもので同じような支援が必要であって、自閉性障害も高機能自閉症もアスペルガー障害も含めた一括した呼び方。高機能自閉症は、知的発達の遅れがない人、アスペルガー障害は更に3歳くらいまでに言語・認知発達に明らかな遅れが見られなかった人のことをそう呼ぶ。
私は自分自身が何かしらの発達障害的な脳の傾向があるなぁと言う認識はあった。2012年くらいから何となく勘づいていた。でも、それは、どの人間もどこか不良部品を内蔵しているもんで、逆に言えばそれによって何かが秀でるようにできているのかな?という自分なりの解釈・理解をしていた。
実際私自身、障害というほどに日常を困ることはないし、むしろ人とのコミュニケーションは上手い方だと思ってきた。それは、長きに渡って会社員時代は営業職であって顧客からの信頼も得てそれなりの評価、つまり報酬を得ていた時代があったから密かに自分なりに自負としていた。
この2年間の心理学の学習の中で精神医学にも触れていく中で、ASDを知れば知るほど、教科書を読めば読むほど身に覚えがあってはっ!とする瞬間があった。確かに、お人形遊びをしたことがないし、小学校低学年では女の子より近所の男の子と遊んでいたしその方が楽しかった。或いは、一人で黙々と庭でぶどう酒を作ったり、穴を掘ったりして遊ぶことが好きだった。
これは、よくある幼少期の何気ないけどその人らしいねという程度のエピソードと思っていた。けれど、どっちかと言えば、ASDあるあるエピソードだったと言える。もっと言ったら、紐を結ぶことが難しかったり(これは今も蝶結びはなぜか必ず縦になる。猫村さんのエプロンと同じ。)、デパートに母と買い物に行くと密閉空間、空気の悪さ、人の多さ、物の多さに吐き気をもよおしてしまったり、蛍光灯の照明だと落ち着かずイライラしてくること、匂いに敏感でどうしても換気せずにはいられないこと、不快な音がしていると集中できずにやっぱりイライラしてしまう。毛糸のチクチクはどうしても嫌だったし、長靴を履くとはき口が当たる肌の部分が真っ赤にはれて痒くて仕方ない。とにかく、五感で受け取る外界の刺激の一つ一つに大きく影響を受ける。処理しきれずにイライラしたり、身体が反応して消耗してしまう。
小学校時代は、低学年までは元気で活発な少女であった。その反面、定期的になぜか腹痛がしてきて保健室のベッドで寝かせてもらう。そうすると、親が迎えに来て早退するという流れ。静かな保健室のふかふかの布団と清潔なシーツに包まって体を横たえ天井のシミを眺めると、妙な安心感・安堵感に包まれたことを今も思い出せる。今思えば、子供達の喧騒の世界から一旦降りて休憩を取っていたのだろうと想像がつく。ASDは外界の一切を遮断して一人の空間に自閉する時間を必要とする。
ASDの特徴として感覚過敏というのがあるけれど、これは、逆だと思う。感覚が過敏だから、自閉するのだ。何というか、五感が開けっ放しで(まあ通常どの人も五感は24時間営業だとは思う)すべての刺激がそのまま入力されて脳で処理してしまう。通常は、つまり健常者・定型発達者は、入力された情報を取捨選択しているのだが、ASDはきっと捨てるような情報もすべて甲乙つけずに同じ処理をしてしまう。だから、疲労する、消耗してしまう、イライラとして現れたりする。だから、自閉して自分を守るしかないんだ。
そういう様子をもって「偏りがある」という評価になるんだろうね。でも、実際のところ、何に対しても甲乙付け難い処理をしてしまうから、「なるべく自分にとって好ましいモノ・分野を限定しよう」という自衛策、生き残り策の結果と言えるんじゃないかな。
この話は、延々と語れるので一旦句切ろう。
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