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ゴミのプラモデル

 苦労してプラモデルを組み立てる。その完成品が「ゴミ」だと聞いて笑った。NHKニュース「無駄な仕事」で紹介された時の記憶が朝になっても忘れられない。アナウンサーは「無駄な仕事をしているとストレスを全く感じない」とレポートしていた。表面的な感想は別にして無駄な仕事について考えてみた。
 レジ袋やペットボトルは生活を便利にしても最後はゴミになる。しかも、この種のゴミは地球を汚す。原子力発電所やそのための研究は電気を供給して人間の生活を豊かにして手に負えないゴミになった。戦争で使う武器も敵を殺して、やがてゴミになる。
 二次産業はゴミを作り出す。食料を作る一次産業は製品を食べて最後は排出されて、やはりゴミになる。第三次産業が作るサービスは人間の気持ちに快適な感情を作り出す。しかし、これが人間の記憶から消えればゴミさえ残らない。
 ゴミプラモは人間の愚かさを象徴している。だから記憶に残った。時として虚無思想,ニヒリズムに魅力を感じるのは己の愚かさを感じているからであろう。
 受付に立っているだけの仕事は案内板やパネルやロボットで十分である。世の中、機械に置き換えることのできる仕事ばかりである。しかし、人間が行う必要のない仕事だと嘆いても何も始まらない。何かを求め、苦労して、ストレスを感じて、生活するしかないのである。肝心なのは目標である。ただし、目標を持っただけでは続けることができない。
 私の作文はゴミプラモ以下の生命活動だと感じて情けなくて書くのをやめようと思うことがよくある。それなのに10年以上続いてきたのは数少ない読者からの評価があったからだ。たとえ、ゴミを作るだけの行為であっても人が認めてくれれば続けることができる。

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