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日本の神様

 鎌倉幕府を開いた頼朝。
江戸幕府を開いた家康。
信長、秀吉、信玄、謙信など戦国武将。
江戸時代各藩の開祖、彼らは皆、神として祀られています。
日本の神は誰でもなれます。
どうすればなれるのか?
昭和天皇は子供の頃、無残に死んだカエルを見て「カエル大明神」と名付け、神にしました。
大明神は神の称号です。
第2次世界大戦が終わるまで天皇が認めれば誰でも神になれました。
明治時代から戦争で亡くなった兵士は日本の神になりました。
戦争犯罪人も神として祀られています。
問題はありますが「カエル大明神」と同じ程度の神です。
剣や石、さらにはペニスにも神が宿っているものとして崇められています。
そのため、日本全国には無数の神社が存在します。
アメリカの感謝祭に似た「新嘗祭」が毎年11月に日本中の神社で行われます。
私は町内会長として、また、神社委員として、合計6年間に6回、市内の神社で「新嘗祭」に出席しました。
神事に参加しない人でもお参りをします。
賽銭を入れ、お祈りをします。
中には、玉串を奉納したりする人もいます。
しかし、私は自主的にお参りはしません。
自主的には祈りませんが「新嘗祭」参加者である私は式服を着て「新嘗祭」に参加します。
厳かな音楽の中で神殿の扉が開き、神様へのお供えとして野菜や餅、鯛などが運ばれます。
祝詞と呼ばれる神に語りかける言葉が読まれます。
そして、代表が玉串を捧げ、二礼、二拍手、一礼します。
私も後ろの席で代表の真似をしてました。
国会議員は代理が多かったけれども、市長、県会議員、市議会議員、校長、町内会長、神社委員が毎年参列します。
「私を含め参加した人々は、なぜ参加するのか?」
6年間、不思議な思いを抱えながら神事に参加していました。
私の導き出した答えは、神事に出席するように頼まれたからです。
拒否することができます。
拒否しても批判されることはありません。
しかし、嫌な思いをする人がいるかもしれません。
この微かな「不安」が参加の動機です。
日本人の大多数が1年に何度も神社に行って賽銭を投げ、二礼二拍手一礼して祈ります。
神社に一度も行かなくても責められたりはしませんが、日本人の仲間ではないと思われているのではとの「不安」が生まれます。
この「不安」が神社に足を運ばせます。
大人になる頃には、行くのは当然だと思うようになります。
そして、成人し、家庭を持ち、退職し、町内会長にでもなれば、神事への出席を頼まれるようになります。
多くの人は疑問を抱かずに出席します。
また、政治家は選挙を意識しているので、選挙民の仲間でないと思われたくないのでしょう。
私は神道を信じません。
他の大多数の日本人も信じません。
それでも、新年には神社に参拝します。
私たちは子供が三歳、五歳、七歳のときに神社に行きます。
毎年、神社でお守りを購入しています。
たくさんの寄付をします。
私は神の前で結婚式を挙げた平凡な日本人です。
私は日本の神様を否定的にとらえていますが、「嫌い」だと公言はしませんでした。
ナショナリズムに反対したとしても私を責める人はいないと思います。
それでも、少しの不安があります。
だから、言わないんです。
それは、政治家の嫌われたくない思いと同じです。 
日本の神は、日本人の否定できない感情の中に住んでいます。
私の住む町内会では町内会長を務めた人が神社委員を務めます。
町内会長や神社委員は時間を取られ、催し物を主催し、寄付集めをし、多額の寄付をするボランティアです。
「なぜ、神社委員や町内会長になったのか?」
自問自答します。
「恩人に町内会長を頼まれたからです。」
こう答えていますが、私が拒否したとしても誰も私を責めません。
「それなら、なぜ断らなかったのか?」
私が断れば他の人が町内会長を引き受けます。
私が断ったお陰で町内会長を引き受けた人に嫌な奴だとの感情が生まれるかもしれません。
また、嫌々でも引き受ければ「変わった人」だと思われる不安がなくなります。
しかし、最近は町内会長おろか、役員にさえなりたくないという理由で町内会を辞める人も多くいます。
近所付き合いがなくなり、近所が集合体(コミュニティー)ではなくなり始めています。
隣に住む人がどんな人かさえ知らない時代になりました。
どちらがいいか一概には言えません。
私は町内会長を引き受けたお陰で神社委員を務め、神社という日本の文化に接する機会が生まれました。
お陰で、知り合いが増え、町内で孤立する不安がなくなりました。
人との付き合いは面倒ですが、人との繋がりなしに生きることはできません。
そのために神社は大いに役に立っているのは確かです。


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