ラーケーションで目標
9月から仕事がなぜか楽しい。その理由がわかった。仕事のない夏休みを過ごしながら自由が重荷だった。仕事で自由が少なくなって嬉しいのではない。
人生を振り返ると、高校や大学には深い考えもなく何となくだが強く入りたいと思った。若い時は無性に遊びたかった。ヨットで勝ちたかった。好きになった人と結婚したかった。まだ遊び足りないと感じていたが子供が生まれて働くことが生活の柱になった。そんな状況で教員として教育用プログラムを作って、他の先生に使ってもらいたかった。50歳を超えてからマラソンでいいタイムを出したかった。定年した後、作文を書いて認められたかったが、これには限界が見えた。いつでも私の中には目標があった。しかし、今年の夏休みは目標がもてなかった。
2学期になって仕事に行ったら、
「ラーケーションが始まるので給食の食数が頻繁に変わり、集計が大変なので簡単に集計ができるシートを作って欲しい。」
栄養教諭から仕事の依頼が来た。
「ラーケーションだと?」
「それはなんだ?」
先生達は知ってても私は初耳だった。愛知県知事が土日以外の休みの保護者も多いから、親の休みに合わせて親とバケーションをとってください。それは広い意味での学習になるから出席扱いにすると言い出した。ラーニングとバケーションを合わせた造語だそうだ。ラーケーション実施の皺寄せが71歳のICT支援員に及んだ。おかげで一日中エクセルシート作りに翻弄されたが、一日が充実していた。
「仕事は目標は与えてくれる。」
だから妙に心地よく過ごせた。
最近、年甲斐もなく夫婦揃ってピタゴラスイッチに打ち込んでいる。キッカケは帰省した時にピタゴラスイッチで遊びたいと言う孫の希望だった。私は孫が家に来た時に一緒にやればいいと思ったけれども、妻はYouTubeで調べるうちに自分で色々と作りたくなったらしい。
「手伝って!」
甘えられれば、私には協力するしか選択肢はない。仕事のある日はメールで学校に進行状況が送られてくる。休日は妻の趣味を手伝うことになる。言ってみれば、我が家での妻は愛知県知事ほどの権力がある。お陰で私は目標を与えられて楽しい時間を過ごしている。
ただし、満足している訳ではない。与えられる目標より、私の若い時や妻のピタゴラスイッチのように内側から湧き出てくる目標がほしい。
まあ、今は職場でも家でも与えられる目標で我慢する。