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未来のモノ創りは、やさしさからの基軸

時代は、産業や市民生活において従来型の知識集積中心主義から、 革新的なニューパラダイムの新たな視点が必要とされています。 それは直感力、 先見性、創造機能と云った視点かもしれません。 生活中心の「モノ創り」が重視される現在、人間を中心とした根源的な問題である生き方や考え方が、重要な視点となりつつあると言えるでしょう。

このような時代の中で今後の科学・技術を、どのように捉えてゆけば良いのでしょうか。 電子化されブラックボックス化されつつある今日のテクノロジーに対し、 ものづくりの原点を省察させてくれる、日本からくり (江戸からくり)を現在の視点から眺めると、そこから汲み取ることのできる当時の職人の優れた独創力、観察力、 感受性、 そしこうしたてあそびごころや探究心には、学ぶべき点が数多くあると言えるでしょう。

精神性、および蓄積されたノウハウの数々を現在の視点で解釈し、 我々が身をもって体験することで、 優れた文化と技術を後世へ伝承してゆけるものであると考えます。からくりは、質・量ともに日本の宝であります。 これは伝統的な常理だけではなく心のヒダや情緒性に、感動を与えてくれものであると確信しております。


日本でのからくりは斉明天皇4 年の 「日本書紀巻 26 」 に記載されている指南車であるといわれている。 指南車とは古代中国で発明された磁石を使わない方位計のことであり、いまでいう自走式のナビゲイションやスタアリングシステムと同じ考えの物である。

この装置は、古代のナビゲーションや地図作成において重要な役割を果たしました。指南車は、現代の自動車のナビゲーションシステムやスタアリングシステムの先駆けとも言える。


7世紀半ば、 「新撰姓氏録抄」 に潅漑用の 「長」をつくり川水を田にそそいだとかまた9世紀半ば 「今昔物語」 の中には、貞観13に高陽親王が干ばつの田に水を撒くために身長4尺ほどの 「水くみ人形」 をつくり人々の興味をひいたと記されている。

これらの資料は平安時代より文献に記載されているが、 その構造、形状あるいは動きなどについては想像の域を出ない。

第49回国民体育大会スポーツ芸術主催事業『わかしゃち国体』
平成6年愛知美術館、からくり夢工房にて初公開した「弓射り童子」

「感動を与えてくれた江戸のからくり」江戸後期につくられた 「弓射り童子」がそれです。 これは「からくり儀右衛門」の異名をとった「東芝」の創始者である田中久重の作です。 彼の持つ全ての技術と情報を傾注して作られた 「からくり技術」の集大成といえます。

高さを14cm程の童子人形が矢台から矢を抜き取り、弓につがえ、離れたところにある的を目がけて矢を射るというもので、首をかしげ狙いを定める仕草や、 命中後得意気にあごを突き出すという細かな動きも見せます。

動力はゼンマイで、これに紐が巻かれ軸を動かし、さらにカムによって十数本の糸が引かれ、頭や肩や手を動かす仕組になっています。 人形の動きを都合よく制御するため、今日の自動制御装置の原形というべき脱進機も組み込まれており、まさに江戸のからくり技術が生んだ最高傑作のひとつです。

小生が描いた3DCADで制作機構部である。この装置には、人形の動きを都合よく制御するため自動制御装置の原型といえる脱進機が組み込れており、まさに江戸のからくり技術が生み出した最高傑作のひとつである。

工芸は時代の研究室

「弓射り童子」は、二つと同じものはない芸術品で、 江戸時代の最先端技術です。 自分たちの知識と技術力を示すための発表として、実験的考え (プロダクトメッセージ)として、「からくり」が作られたのです。 そこで蓄積された技術や経験が、やがてより高い精度や技術である天体観測機器や測量機器の製作技術へと移行していったのです。

この蓄積が一方では芸術的な工作物を作る工芸として、 他方では学問的科学認識と製作体験をまとめる科学技術の基礎としてお互いに密接な関係を持つようになりました。


 工芸家は知的好奇心 (あそびごころ) が重要

からくり儀右衛門は、 我々に重要なキーワードを残してます。 久留米のべっ甲細工職人の子として生まれた彼は、発明工夫にあけくれる少年期を過ごしました。 そして25才の時、大阪、京都、 江戸と遍歴し 「からくり」の技術を磨くとともに、天文、暦数、理化学など先端洋学をおさめました。 彼自身は、この間に情報収集、学問的科学認識を学び、父からは技芸としての価値、 芸術家としてのセンスを身につけるのです。 彼の足跡をたどればわかる様に非常に知的好奇心 (あそびごころ) が旺盛でした。 そのことがモノづくりの中に新しい工程を生み出し、事物の形状化の中から哲学を生みだし、 触発してくれるのでした。


日本文化の礎は、 守破離

今日の工芸の置かれる環境は職人気質 (道具や素材を大切にする) も希薄化し、 人と人、物と人との質に対する感覚が失われてきています。 かつては気質、 型、間の感覚などが 生活のしぐさや言動を決める美意識で、それを感ずる日本的感覚を人々は持っていました。

守破離ということばがあります。 これは利休が茶道百言でいう、 型を覚え、 型を創るといった習得創造の原理を説いたものです。

「守」は、 基本を習い、型通りに習し、習得した芸を守っている段階。
「破」は、 基本の型に熟達した後、 創造的に高度な飛躍をして昇華し、 新たな型の誕生に向かう段階。
「離」は、師の教えや型から離れて自らの型を創造し、 自由な境地となり、さらに型を超越した段階。

守・破の段階があっての離であり、伝統に裏打ちされ、 醸成され守破離を繰り返す中で培われたのが日本文化の礎です。 今日の工芸は多様化、 個性化の美語の中で守破をなくして、離を求めるあまり 「型なし」の「型の崩壊』 となりつつあるようです。

守破離は型の身体化から創造に対しての習得の型であると考え、人と人、人とモノ、モノとモノとのかかわりにおいて、 人間関係の軸だけを固く守るのではなく、非人間軸にまで及ぶ 本当の人間としてのやさしさの基軸の中で創造的生き方をつくらねばならないのでしょう。

今後の工芸のテーマの探究は、 過去、 現在、 未来に対して人間としてのやさしさの基軸の中で深く想い巡らし、明確な目的意識を持ち、自らの型を創造し、つくるという意識があって初めて成し得るのです。

そのためには、より高い次元の個人主義 ( 芸術家)という自己の直感や偶然を基礎とする五感の経験の中から、創造的な研鑽と実験による発見や創意をすることです。
・・・時として偶然性にゆだねる場合もありますが・・・・・・


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