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伝説の男は確かにそこにいた

 この記事はトロオドン怪文書アドベントカレンダー2022、12月25日分の記事となります。

 またこの時期がやってきたかと12月にもなると思う。いつも通りの動きでスピードガンやストップウォッチを鞄に詰める。「人前に出る時はまともな服装をしろ」と幼少期から面倒を見てきた祖母はいつも口うるさく言ってきたが、もう俺にはネクタイの締め方もわからない。だから使い古したウィンドブレーカーを羽織り、今日も外に出る。
 いつも通りのルーティンで野球場に入る。バックネット裏の特等席、いつもの俺の席がある。ダイヤモンドを一望できる場所、ここでいつもスカウティングをすることにしている。ここ10年、毎年変わらず数多の投手のピッチングを見てきたし、数多の野手のバッティングを見てきた。多くの選手のプロ入りを支えてきた。今日も今日とてプロ野球チームのフロントからスカウティング情報を求められている。

「左腕、140km/h、スピンレート2100。フォーシームを武器にするにしてはストレートのスピン量が少なすぎる。シュート回転要素も強いのでストレートが垂れている。変化球の精度が低い。チェンジアップが有効に作用していないので右打者に苦しむだろう。」
「右腕、148km/h。ウィンターリーグでこの速度なら仕上がりは上々。フォーシームはスピン量が素晴らしい。フォークはコマンドに問題があり高めに浮く傾向が見受けられるので要修正。クイックネスに欠けるのでもう少しランナーのケアを意識しないとプロでは厳しいだろう。」
「左打者。パワーはあるもののバットコントロールに問題。ミスショットをとらえることはできるが左投手のボールには対応力が乏しい。ヘッドが遠回りする癖があるため速球には苦しいか。」

 毎年プロ入りを目指してウィンターリーグにやってくる若者たちがたくさんいる。そんな彼らをスカウティングしプロ入りの後押しをしていくという自分の仕事は選手の未来を預かるという仕事でもあり責任感にあふれている。だからこそ私はこの仕事が好きだし、この仕事を続けることは野球界の将来を担うということでもある。そして自分が後押しした選手が活躍しなかった場合には大きな責任が伴うのである。だからこそスカウティングは丁寧に行われねばならない。選手の才能・能力を正当に評価せねば選手の将来をつぶし、変えてしまいかねないのだ。

 そうして私は今日もいつもの装備をもっていつもの球場へ向かう。ブルペンでのピッチングも視察、プロ球団のフロントとも話す。そんな時、ある選手のプレーがふと目に入った。大きなストライドで駆けまわる姿はまさに飼い主の投げたボールを追いかける犬のように俊敏かつ正確で野性的。外野からの送球はまさにレーザービームと形容するのがふさわしいほどに鋭い。

「あいつは誰だ?」
 その才能あふれるプレースタイルが気になって私は関係者に話を聞いた。「ケンドリック・アパチャイとか言うらしい。赤道ギニア唯一の野球選手だとさ。ミスターTなる現地のエージェントが連れてきたんだが詳細は不明。ただ彼の野球センスはずば抜けてる。あいつのバッティング練習を見てみろ、バッティングもバケモンだぞ。」

 私はあの守備を見てからというもの、彼の虜となっていた。バッティングケージに彼が入る。プロ野球選手でもないただのアマチュア、しかも野球文化のない国から来たとなればピッチャーは皆彼のことをナメてかかる。マウンドに立つのは昨日の左腕、正直言ってあいつのストレートはヘボだ。だが左腕から放たれる140km/hのストレート、アマチュアには簡単には打てまい。俺なら初球インコースのストレートで彼の対応を計ろうとするだろう。相手はアマチュア、初手から日和っているようではスカウト相手にアピールができない。しかもアウトコースはアマチュアでも反応でどうにかできる余地が残っている。安パイで勝負して結果打たれるなどということは考えうる中で最悪。そこまで考えればインコース、しかもストレート勝負しか彼には残っていない。アパチャイに考える頭があればこの結論は容易に導き出せるだろう。
 振りかぶって投じた初球は当然インコースストレート、さすがに厳しいだろうと思った。コントロールにミスはない、ナメてかかってるからこそいいコースにボールが吸い込まれていく。130km/h後半程度か。しかしそんなボールを彼は初球から振りぬいた。打球はいい角度で上がっていきそのままレフトスタンドへと吸い込まれた。やはり彼のボールはシュート回転していた。いいコースに投げたボールがそのままシュートして真ん中へと寄っていく。やはりあいつはダメだ、自分のボールを理解していない。ここぞの場面で彼の悪癖が出てしまった。しかしそれはそれとして彼のストレートは142km/h出ていた。多少真ん中に寄ったとはいえそれでもかなりの速度のストレートだ。そんなボールをあんなにも容易く打ち返すとはさすがに想像以上だ。その後は結局アパチャイという男の一人舞台だった。ただただ彼にいいように料理されていくだけ。もはや勝ち目はなかった。
 これ以上彼のプレーを見る必要はない。彼の才能は本物だからだ。もう何も評価する必要はない。

 彼自身のことが気になって私は彼に話を聞くことにした。
「どうも、スカウトマンの西村だ。」
「よろしくお願いします。」
「君の才能は本物だ。間違いなく球界のトップに立てる選手だよ。君の野球歴は?」
「かれこれ1年ほどです。ミスターTに初めて野球を教わりました。」
「ミスターTというのは?」
「わかりません。ただ日本人の男だということだけは聞いています。」
「わからないというのはどういうことだ?」
「顔を見たことがないのです。いつも遠くから見ているだけ、練習後にいつも電話がかかってきてそこで指導を受けています。帽子を目深にかぶって髭を生やした男でした。」
「そんな男が信用できるのか?」
「あの人の指導は本物です。私が世界で唯一尊敬している人物です。」

 日本の青年海外協力隊に野球隊員がいるというのは有名な話。日本人が現地の子供たちに野球を教え、それを通じてマナーやスポーツマンシップなどを学ぶという教育の一環として野球を教えている。しかし赤道ギニアにも派遣されているとは初耳だった。私はこのミスターTなる男が気になり始めた。こんな才能を発掘するあたりただ者ではない。

 私は青年海外協力隊の活動について調べることにした。だがインターネットでどれだけ検索しても青年海外協力隊の赤道ギニアでの活動は見つからない。それどころか赤道ギニアでの野球の記録すら見つからない。そもそも赤道ギニアには野球という文化は存在しないのだ。
 圧倒的にサッカーが人気のこの国で野球などというマイナースポーツはまず流行らない。流行ったところでアフリカの野球強国である南アフリカやウガンダと遠く離れたこの国はアフリカでの野球大会に参加することは資金的に厳しい。つまり赤道ギニアで野球が流行るのはまず厳しいのである。
 そうしてインターネットの海を漂っていると一つのページが見つかった。「赤道ギニア日記 ~トロ・オドンの人生フルスイング~」と銘打たれたそのブログには赤道ギニアでの野球に関する記事、日々の生活やその他の投稿が書き込まれていた。トロ・オドンという名前からミスターTとは彼のことなのではないかという思いが私の中で膨れ上がっていった。

 それからというもの、私はミスターTことトロ・オドンが気になって仕方なかった。私はウィンターリーグの視察を切り上げケンドリック・アパチャイのスカウティングレポートを送り、赤道ギニアへと飛ぶことにした。

 赤道ギニアに住んでいる日本人は10人程度しかいない。つまり赤道ギニアで日本人を見つけることはいともたやすいことだと思っていた。現地住民に日本人の所在を聞いて回り在留邦人に会って回った。しかしトロ・オドンなる人物を見つけることはできなかった。私は伝説のスカウト、トロ・オドン氏を見つけるためにこの国に残ることを決めた。
 この地で野球を広めていけばいずれ『伝説の男』トロ・オドン氏に会えるのは間違いない。狭いコミュニティなのだ、ここで地道に活動を続けていけば必ずいつか出会えるのだと信じて。

それから数年後

 あれから西村スカウトの所在はわからなくなった。彼が最後に送ってきたスカウティングレポートに載っていたケンドリック・アパチャイはヤクルトスワローズに育成入団を果たした。しかしその後は結果が出ず渡米、ロサンゼルス・エンゼルス傘下に所属したがメジャー昇格は叶わず現役を続けているかどうかすら不明である。
 2年ほど前、赤道ギニア北東の街でガボン、カメルーンとの国境に位置するエベビインで違法な医療行為をしていた施設が現地警察に暴かれた。首謀者はトロ・オドンと名乗る日本人で現地の少年を誘拐してはアナボリックステロイドの投与や独学で学んだ手術行為で人体実験を繰り返していたそうで、医療施設の横には野球場が併設されており人体実験の効果を野球でテストしていたとされる。ただしトロ・オドンなる日本人はすでに赤道ギニアを出国していたことが明らかになっており、さらに地下で監禁されていたケンドリック・ザカリアという現地の少年が保護されたことから事件の謎は深まっている。

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