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素材の味を大事にしよう

タイトルだけみると、料理の話のように見えるかもしれないが、今回「素材」として取り上げるのは、「言葉」のことだ。
日本語というのは、非常に奥深い言語であり、ちょうど現在、紫式部を主人公にした大河ドラマなども放送しているが、実に素朴でありながら複雑な味わいを持っている言語だと私は思っている。

だが、現在、日本語は瀕死の状態にある。
受験では国語科系科目が外されることが多いし「古文など将来の役に立たない」と言い出す政治まで出てくる始末。
そして、その国語を扱うマスコミ、ジャーナリズムにおいても、言語感覚の劣化はひどく、新聞の見出しを見ても、極論じみた濃い味付けをすることが当たり前になってきてしまっている。

ネットでも、ニュースの前に『悲報』だの『朗報』だのといった言葉をつけて、最初からバイアスをかけまくった文章が「ニュースまとめ」などに掲載されているのだから、ただでさえ読解力の低下した日本人が、こうした刺激の強い見出しのついたフェイクニュースにやすやすと騙されてしまうのも無理はない。
しかし、そのことに危機感を持つものはいるだろうか?
持ってはいても、言い出すことはできるのだろうか?

未来のためにできること。
それは、言葉の力、言葉の魅力を、きちんと身に着けることもまた大切であると訴えていくことだろう。
私は、今の化学調味料でギトギトになった日本語を糺していくことしかないと思う。
極端な物言い、強い口調で断定的に発せられる言葉を、しっかりと検証していく癖をつけるよう子供たちに教えていきたい。
「見出し詐欺」がいかに有害で恥ずかしいことであるか、それを見破れないことがどれほど人として情けないことであるかをことあるごとに言っていかないと、この流れは止められないだろう。

日本語はきめ細かい感情のゆらぎや季節の移り変わりを「言語化」しようとして進化してきた言葉であり、それでもなお「言葉」は「事の端」であり、完璧に何かを伝えることはできない不完全なもの。
その不完全さの中に美学を求めれば芸術だし、不完全さを共通認識の上でする併せていくのが勉強だろう。
国語、日本語を通して繊細な表現を読み取り、また発していく力をつけられるような世の中に。
それが私のライフテーマでもある。

#未来のためにできること

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