海と毒薬 遠藤周作
あれは中学生の頃
遠藤周作先生の小説、エッセイを
読み漁った事がある
まさに読み漁ったである
どんどんどんどん惹き込まれて
軽いユーモアのエッセイから
信仰がゆえに朽ちていく人の心まで
なんと幅広く奥深い人だろうと
心底子どもながらに敬服した
中学1年生から読み始め今に至る
何度も何度も繰り返し読むため
ボロボロになって買い直した
物もある
後年自身も洗礼をうけたのだが
やはり原点は遠藤先生の本である
つい最近中古のDVDで
この「海と毒薬」を観たせいか
無性に読みたくなり本棚から
引っ張り出した
何日もかけて繰り返し読んでいる
なんならもう暗記しているかも
しれない
幼少期から本だけは無制限に
買ってもらえる環境だったため
本の虫だった
小学校の図書館で借りる図書カード
(懐かしい)は貸借りを書く欄が
足りなくなって継ぎ足し継ぎ足し
図書委員さんを困らせたっけ
3歳上の兄がいたので少し
背伸びした本も勝手に兄の本箱から
拝借して読み漁り始めたのは
小学校高学年かな
最近読んだ本というテーマなので
新刊本を紹介される方が多いとは
思うが、久しぶりに活字をと
なった時に浮かんだのはやはり
遠藤先生だった
戦時中というある種狂気の中で
人の心を忘れない若き医師の
葛藤が何度読み返しても
自分の中のカタルシスとシンクロ
していき主人公と一体化する
またそれを俯瞰して斜め上から
見下ろす自分もいてなんとも
言えない生命を感じる
自分にはいつか召される時に
棺に入れて欲しいと家族に
頼んである本が2冊ある
1冊は遠藤周作先生の
「わたしが棄てた女」
もう1冊は曽野綾子先生の
「21歳の父」
この2冊は特に読み返して
いたせいでもう何代目が今ある
物なのかわからないほど
学校帰りに新刊ばかりではなく
当時でも手に入りにくくなった
本を探しに古本屋に立ち寄っては
2〜3冊ずつ買って帰ったのが
懐かしい
宿題も予習復習もせず深夜まで
本を読む事ができたあの頃が
懐かしい
本屋も昔ながらの古本屋も
どんどんなくなって寂しい
体が不自由になりすぐそばにある
図書館に行くことすら難しくなり
どんどん活字から遠のいている
そういえば新聞をとらなくなって
何年経つだろう?
朝刊、夕刊と隅々まで読むと
深夜までかかったな
両親も兄も同じで家族全員が
活字中毒だったせいか
両親ともわりと早く亡くなったが
病に冒され座っていることすら
難しくなっても一日中新聞を
読んでいた姿を思い出した
もう少ししてお彼岸になったら
お墓参りに行く兄に新聞を
持って行ってもらうよう頼もう
自分で行けないことが情けないが
兄なら新聞持って行って、と
言うだけでわかってくれるだろう
最近読んだ本のタイトルからは
随分と逸れてしまったが
活字離れと言われ久しい今、
孫にはうるさいばあちゃんと
思われてもせっせと本を送ろう
孫が遊びに来た時には
ばあちゃんチョイスの本を
読み聞かせて自分の頼りない
知識ではあるが伝えていこう
我が家のDNAは活字でできて
いるはずだもの
孫よ、諦めてばあちゃんの
送る本を読んでおくれ
いつかきっと役に立つ日が
来るはずだから