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思い切り不随意筋な人生

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思い出のシャルル・ド・ゴール空港

思い出のシャルル・ド・ゴール空港

もう20年ほど前の話だが10月に仕事でヨーロッパに出かけた。行き先は
ロンドンとパリ、それからイタリアのフィレンツェ。

ロンドンとパリは、まさしく今風に言うのであれば道路特定財源をおそらくは使っての仕事。当時のJHから依頼された仕事だった。

どんな仕事かと言えば、環状道路の(工事についての)理解促進を図る
もの。ところでみなさんが暮らしている地域には環状道路、と呼ばれる
ものはありますか?この

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【短編】幸福を展示する美術館

【短編】幸福を展示する美術館

(1)来館者

悲しい顔をした女性の来館者がやってくる。

受付の中年女性は、そんな女性の顔を見ると素早く
デスクのボタンを押す。

「いらっしゃいませ」

ボタンを押し終えると受付の中年女性は努めて普通を
装い、挨拶をする。

「大人1枚」

悲しい顔をしている女性は、蚊の鳴くような小さな声で
切符を求める。

受付をしている中年女性は、若い時にはそれなりに体型を
保っていたのだろうが、今はすっ

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大森先生のこと

大森先生のこと

大森先生は、私の通っていた高校ではおっかない先生として有名だった。
先ず、顔が厳つくて黒い。もちろん担当していた科は体育だ。そして、
ラグビー部の監督をしながら、生活指導部の先生も兼任していた。

私の高校時代は今から35年〜38年も以前の話だから、1970年頃の
ことだ。ちょうど70年安保闘争の真っ盛りに高校1年生だった。新聞部に
入った私は、訳も分からず名古屋の白川公園に連れて行かれて、仲間と

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猫と私の話

猫と私の話

確か22歳くらいの頃だったと思う。1匹の猫を飼うことにした。
知り合いが飼っていた猫が子供を生んだので、もらってほしいと
言われ、あまり深くも考えずに飼うことにした。

当時は木造のアパートに母親と暮らしていたが、ほどなく取り壊される
だろうということで勝手に飼ってもいいことに決めた。とはいえ、
別段猫が好きであったわけではない。今でもそうだが、総じて生き物が
好き、と言うことは前提であったが、い

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変わった子ども

変わった子ども

私は母親に育てられた。実の父親は私が小学校に上がる前に死んでいる。母親の言葉を信じるのであれば、酒場で倒れて病院で死んだ、という非常にシンプルきわまりない最期である。酒を浴びるように飲んだから肝臓が悪かったんだ、と母親は説明してくれた。よって、私には酒なんぞは諸悪の根源であるからして、絶対に口にしてはいけないモノだと教え込んできた。だから私は教えを守り、20代中頃まで自ら進んで酒を飲むことはなかっ

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古いアパートが気になる

古いアパートが気になる

木造の古いアパートに心惹かれる。

私が小学校の1年から20歳になるまで過ごした家?は、木造モルタル塗りの
2階建てアパートだった。そのためなのか、どうにも古い木造のアパートが
気になる。

近頃はデジカメを携行して、見つけると撮影したりしている。いかにも
懐古趣味の極みであって、人生カウントダウンに突入した人間のセンチ
メンタル、といった趣だ。

そのアパートはありふれた名前だった。どうしてこう

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死んじゃうことへの疑問

死んじゃうことへの疑問

ある日から、私はひどく落ち込むようになった。それは小学3〜4年の時期だったと思う。自然のさまざまは、私にとってどう生きることが幸せなのか、ということを教えてくれた代わりに、生命のはかなさをも同時に突きつけた。

素晴らしい飛距離を見せてくれたトノサマバッタも、釣り糸をあれほど強烈に引っ張った鮒も、鎌をもたげて威嚇したカマキリもあっけなく死んでいった。住んでいた、生きていた、その場所に置かれていれば

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