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とりとめのない宝物たちと10年の時を

またも引越し準備の話。

いま部屋の隅に、とりとめのないものたちの山ができている。

瓶の中に7錠だけ残ったサプリメントや、ずいぶん昔に買った練り香水、インクが微妙に残っている蛍光ペン、冬の間使っていたけれど夏になって使わなくなったハンドクリームもそうだし、製図試験の時に大量購入した消しゴムとシャープペンシルの山、はぐれの文庫本や、ずっと昔に使っていたシオさんとおそろいのケースのiPhoneだとか、親友が妊娠したと聞いて準備したけれども、結局、送ることが叶わなかった出産祝いの封筒など、など、など…。

気持ちよく分類できるもの―――たとえば普段使いの日用品、同じサイズの本やCD類、同じサイズのノート類だったり、横幅が同じミシンとバッグ、といったようにある程度、仲間やグループ分けができていて、キッチリ段ボールに仕舞いこめるものたちとは様子が違う。とりとめのないかれらを、どのように仕分けていいかわからない。

だからといって、捨てるに捨てられない。

最終的には、そんなとりとめのないものたち専用の段ボールがひと箱完成する。
そして使い道も片づける先も特に見つからないまま、次の引越しまで、そのまんま段ボールのまんま押入れの中にしまったまんま、捨てる勇気が振り絞れるまで眠りにつくことになるのだろう。

どうしてそんなことがわかるかって?

前回の引越しでできあがった、とりとめのないものたち専用段ボールを開封し、さっき、思い切って全部処分したからです。ええ、ですとも。

10年ほど眠っていた彼らだから、処分してもまったく問題ないというのは、確かに事実なんだけれども、それでも、20代の頃に縋りついていたかった思い出やら、毎日深夜まで働いていた日報やら、もう十数年会っていない友達から学生時代にもらった手紙やら、お気に入りだったリップクリームやら、昔の携帯番号が書かれた紙やらをゴミとして分類して捨てるのは、非常に切なくて勇気がいることだった。

***

それでも、捨てるものは捨てなければ前には進めない。
もう大丈夫、これらの過去は、しっかり自分の血肉になっている。だから捨てても大丈夫、と、はっきり確信できたものだから、きちんと分類して、ていねいに捨てることで、自分の気持ちに折り合いをつけることにつながったと思う。
取っておくべきものは、そこであらためて、自分にとって大事な思い出なのだと認識もできた。

おそらく、いまこの瞬間捨てる勇気の出ないものは、捨てないで寝かせておくという選択は大事なのだろう。

その時にはゴミかも知れなくても、10年寝かせたのち、10年後の自分の背中を押す宝物になり得るかもしれないのだから。

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