全て【意識化】しろ!!! ~教授からの教訓~
「なあなあ」にしてはいけない、ということを身につまされた。
例えば、「お金の話はいやらしい」という謎のコンベンションがありますが
それはアウト。
生々しい現実は全て受け止めろ
という教訓を、教授から得ました。
教授の話によると、大学の新組織を作るという会議で教授は、
「新しいの作るといっても、資格取れない先生たくさんいるんだし、作る意味ないでしょ??」と問題点をズバッと切り込んだみたいです。
それを聞いた「あいまい思考の人」は次のように反応しました。
いや、でもねぇ・・・
そこで即座に、教授はこう反応しました。
その、「でも」って何ですか???
と。
その「でも」が曖昧なため、この質問への答えはなかった。
「でも」を意識化しないがゆえの大失態です。
「よくわからないけど、なあなあにしよう」、「禁止されてはないけど、普通はやらないでしょう」、「それは正義としてどうなのかな」
などなど。「ふわふわした思考」は、結構みんな持ちがちです。
そして、大抵の場合
「なあなあって何???」
「普通はって何が???」
「正義としてって何として???」
と突っ込まれると、答えに困ります。
「意識化」してないがゆえに起こる悲劇です。
私も、そんな考え方をしていました。
授業の発表で、他人の論文の内容を発表する機会があったのですが
そのときgrammar という単語をよくわからず、そのまま「文法」と
ざっくり言ってしまいました。
すかさず教授が突っ込み。「それだと内容をつかめてないよね。」
その論文の中でいうgrammarは、単なる「文法」ではない。
grammarはこの場合、発音のルール、単語を形作るルール、発音と単語の関係性などを含むものです。
本来なら、grammarは「発音、単語、または両者に関係する規則」と説明すべきだったのを
私は単に「文法」としか説明しなかった。「文法」が具体的に何なのか、意識化して話してなかった。だから、失敗した。
「文法」はとってもあいまいな言葉です。
言語学だと、そもそも「文」sentnceとは何か、「法」「規則」とは何か、という細かいとこまでとことんこだわります。
なので、「あいまいな言葉」には絶対に逃げてはいけないんです。
「抽象的な概念」「わかりにくいこと」は全て、
とことん調べて
自分の中で噛み砕いて
わかりやすい形
までまとめないといけないのです。
「法」という概念も、自然の流れに任せたものなのか、人間が人工的に作ったものなのか、単語がどう並ぶかの規則なのか、で だいぶ意味するものがちがいます。
「法」はあいまいな言葉。なので、個別に「自然の摂理」、「法律」「憲法」、「文法」などのように、細分化して考えないといけないのです。私が今細分化した言葉も、さらに細かーく分類できます。「文法」なんて、この言葉の扱い方次第で言語学の一分野ができるほどです。(統語論syntaxなど)。
なにがいいたいかというと
「あいまいな言葉」に逃げてはいけない。
「あいまいな言葉」で考えてると、思考もあいまいになる。
「理詰め」でとことん追及しろ。
言葉の綾に騙されてはいけない。
何事にたいしても、「それが何を意味するか」を
意識化して考えよう。
ということです。
この結論自体があいまいな気がするけど、
今酔っぱらいがたくさんの電車でこの記事書いてるから許し亭許して。
【追記】
塾で久々に【数学オンリー】で3人を教えたのですが。
気分が悪くなりました。
英語に触れてないだけで頭がおかしくなりそう。完全にアルファベットジャンキー。
アルファベットという意味では、数学で使う文字x y a b等々に救われましたね。せめてもの救済措置。
数学といえば、教授に言われたのが
「数学の発想」は拝借できる
ということ。言語学でも、数学的な考え方はかなり使われてます。
文の意味を分析するときに、数学の真偽判定を使ったり
マッピングの考えを使ったりなど。
テストで点をとれなくても、発想だけは拝借する。
といっても、SPIなり公務員試験で数学と真っ向勝負することになるけどね!!!!いやだーーーーーーー!!!!
高校のころ数学Bで0点取ったことがある俺に
数学をやらせるなーーーー!!!!
イージョウ!!!
今回の一曲
美川