【つぶやき】思索が収斂し始めたかもしれない話
今日はちょっとだけ実りのある勉強になりましたかねー
この頃柴村恵美子さんが書いた器という本を読んでるんですが、それがこれまで読んできた本と結びつく事が多くてですね。
例えば大乗仏教とニコマコス倫理学。
東洋と西洋の徳を説く代表的な論説ですが、これらには知恵(智慧)の点で共通すると。
つまり「知識として何かを知ってるだけでは意味がなく、実践を通して経験にしてこそ、つまり『知恵』を得てこそ善く生きられる」という事かと私は解釈したのです。
柴村氏は「人間性としての器は、そうして知恵を身につけていく事で大きくなっていくのだ」と言っていてなるほどなと思った訳です。
加えて私は独自で可能性の代謝という理屈を持ってるのですが、この知恵とも結びつくのです。
さらにさらに、この前noteで綴った「恒常性という澱み」はもろに当てはまるという事実もある。
不思議な話ですよね、これまで見てきたものがある一点に収斂していく様です。
まだ収束点を見る日は先でしょうが、これがあるから読書ノートと思索はやめられないのですよね🤔