「神様は私の心の中に」の話
神は人間であること、男であること、父親である事をやめ、様々な現象の背後にある統一原理の象徴となり、人間の内にある種子から育つであろう花を象徴するものになった。
だから神は名前を持つことができない。
なぜなら、名前というのはつねに物とか人間とか、何か限定されたものを示す。
神は人間でも物でもないのだから、名前を持てるはずがあろうか。
ー エーリッヒ・フロム
「超越者はその多様性・統一性・網羅性によって形容ができない高次な存在になってしまった。」
「人の中に見つけた幼かった我らが愛する神は、もはやその大きさに表現はおろか、知覚さえできなくなったのだ。」
「もし表すとしたら、名だたる偉人を集め、世界中の書物を超える言葉達で表現せざるを得ないのだから。」
「彼の者は究極の愛の形。万人の中に、そう、あなたにも私の中にも。孤独とは、神への気付きの道だったのだ。」
私が抱くビジョンの正体が、形容するにはまだ言葉が足りないその映像たちの正体が、まさか神だとは思ってもみなかったけど、実はそうなのかもしれないと思えたのでした。
知識の究極型、探究心と好奇心の行き着く先は人の内側にあったのですね。
カフェでしんみり、その美しさに温かくなったのです。