呪縛

幼少期からとにかく不安が強かった
それが集団で生活する小中高ではかなり辛かった

⚫︎授業中先生に当てられること
⚫︎クラス当番のスピーチ
他にもたくさんあるけど
特にこの2つが怖くて仕方なかった
できないわけじゃ無いむしろできてしまう
だから私の不安は誰も知らなかった
伝えたとしても
『みんなそうだよ』
『慣れだから場数を踏めばよい』

その言葉を信じて高校の時には自分を変えたく
人前に立つ事や目立つ事にチャレンジした
その中でも1番大きかった事は
1年に一度ある儀式の代表に選ばれ
学科の1〜3年約100人
たくさんの先生方
地方ニュース番組のカメラ・新聞記者
に見守られながらの感謝の言葉を述べた
文を書くところから始まり練習前日リハなど
しっかり準備した
暖かいクラスメイトに応援されいざ本番
動悸眩暈に吐き気…手の震えはもう隠せなかった
なんとか乗り越え式も終わった
みんなに褒められた
だけど私は自信がつくどころか
余計に人前に立つ事が不安になった

これが病気?障害?じゃないなら何なの?
私の努力が足りないだけ?
卒業まで抱え続けた

家庭環境が良くなく
こんなメンタルで就職する勇気もなく
我儘を言って他県の専門学校に進学・一人暮らし
そこでも不安に苦しめられた
初めのうちは慣れれば大丈夫と自分に言い聞かせ
勉強も楽しかったので生き生きとしていた
個性が輝く場所だったから
私が私である事を否定してくる人どころか
私の好きを肯定してくれる場所だった
不器用な分陰で努力するのが得意だから
実技の授業でどんどん成長し
講師に認められるのも早く
クラスメイトにペアになりたいと
希望される事もあった
幸せな環境なのにまだまだ不安に襲われていた

学校に行っても人に見られる実技をするのが怖く泣いてばかりで授業に出られなくなった
外に出るのが怖かった

学校に行けなくなった
1人で強く生きていくために手に職をつけたかった
女性でも上に立てるキラキラな職につきたかった
そんな自分のためにピエロになり
2年生のゴールデンウィーク明けには
希望した企業から内定をいただいていた
なのに行けなくなった

学校も親も動いてくれた
とにかく精神科に行くようにと促され
スクールカウンセラーと決めた
心療内科/神経内科
みたいなところに行った
ハズレだった
寝れないとの訴えに対し
『笑いながら勉強のしすぎ?バイトのしすぎ?』
と医者に言われた
色々伝えとりあえず薬はもらえた
飲んだけど変わりなし
一回で行くのをやめた
引きこもり過食自傷する日々
週一のスクールカウセリングだけは
何とか行ってた
大人たちは精神科に行かないのなら実家に戻れと言ってきた
それならばと母が通っていた精神科/心療内科に行く事になった
優しいワーカーさん看護師さん
先生も当たり障りのない感じだけど
『社会不安障害』と名前をくれた
努力でどうにかなるわけじゃないと安心した
慎重に薬を出すタイプで
一錠を4分の1から始めた
大した副作用もなく求めるがままに
薬の量が増えた
1日一回だったが
夜に4種類の薬を8錠飲んでた
当たり前だがぼーっとする
朝起きれない
だけど眠れるから気にしてなかった
ある日ぷつんと糸が切れ
1日8錠2週間分100錠以上と
家にあった瓶の風邪薬をストロングと共に
全部飲んでいた

別に死のうとか思ったわけでもなく
ODが日常になっていた当時は記憶もあまりない
目が覚めると全身のダルさ
虫が這うような感覚
違法ドラッグをするとこんなのが見えますと
学生時代に警察がしてくれていた講話の画像が
私の視界に広がっていた
フワフワと動悸
横になっていても脈が130近く
嗅覚も鈍り
記憶ない自傷で部屋が血まみれ
知らない間にたくさんの友達に電話していた
何を話したのか全く
その電話で心配した友達カップルが
目が覚めた後家に来てくれた
飲み物など持ってきてくれ
無事なのがわかると帰った
担任と副担任も家に来た
たくさんの人に迷惑かけた

結局卒業は延期で実家に帰った
ただの不安に名前がついた
だけど
そこからもまた地獄だった

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