ほんとうにほんとうに、とんでもなく温かい人たちに囲まれている

なんなんだろうか。
家族、友人、知人。
昔からずっと。ずっと変わらず。
なんの問題もなく順風満帆な日々ではもちろん、
どうにもならないほど辛い日々でも。
どんなときでも一切揺るがない事実。

周りに恵まれている。

これに関して、
否定的になったことが一度もない。
自分より周りに恵まれている人はいないんじゃないか?と本気の本気で自惚れるほどだ。
天からのギフトなんだろう。
常にそう感じている。
ちょっとやりすぎでは?
なんかおかしいんじないか?
って思えるほどあまりに温かい。

幸せすぎて感謝してもしきれない。
ほんとうにありがたい。

自分がいまどんな状況にあっても、
自分に対してどんな思いを持っていても。
周りが温かいということは
自信を持って断言できる。

それなのに自分は。
周りに溶け込んでいる風で、
自分だけが異質物に思ってしまうことがある。
強くて優しいみんなの中に何故か混ざっている。
なんなんだろうこの感覚。
いるのに、自分だけいないような。
在るけど、ない。
ないものを追い求めているのか。
在るべき自分だけを追い求めているのか。

この先、どうなっていくんだろう。
希死念慮が消えない毎日。
平気なフリをしているような。
みんなそんなもんなのか。
自分の感覚をそのままそっくりみんなが感じられたらとんでもない事態だと思うのではないか。そんなことはないか。

根っこにある原因は自分の脳と心にあるはず。
どうしても消えない不安と焦り。
読んだり書いたり、思い出したり発言したり。
これまでの人生、普通にやれていた脳の力がどこかに飛んでいったような感覚だ。
薬を飲んでるからか。
常に混乱しているからか。
もうまともに生きようとしていないからか。

当たり前にできていた、冷静な思考や判断や決断のハードルが異様に高い。自意識というか、とんでもなく繊細で敏感になってしまう。自分が生きることで精一杯な心理か。なんなんだ。周りが支えてくれて、貯金がまだ残っていて、食っていけるから、なんとか生きていけてるから抜け出せないのか。抜け出す必要性が低いからか。このループから無理矢理でも抜け出さないと死ぬことが明確になれば、悩む暇がないほどがむしゃらに、生存本能的に行動を起こし、行動とともに思考が変わるのか。例えば、貯金がつきて家賃が払えなくなり家を追い出されたり、妻や家族が離れていなくなったり、休職ではなくて職を失ったり。生きるための環境や資産が底の底まで尽きそうになったとき、目覚めるんだろうか。

むろん働くことを舐めているわけではない。それなりにはやってきた。社会人として、その場で求められていることを懸命にやり抜き、成果を残し、評価され、信頼れていた過去はある。自分なりに努力した。これは事実だ。一方でうまくいかずに離脱したこともある。至らなかった。仕方ない。これも事実だ。それならなぜ、その登り下りのグラデーションを全体的に捉えられず、いまの自分の何もかもを信じられないのか。少し信じてあげても良いのでは。

最悪な未来を回避するための行動が求められる。だが、うまく動けない。直感的で誰でもできるわかりやすい筋トレや太陽の光、睡眠、食事、呼吸するようにできていたらそれらさえ結構なエネルギーがいるし、混乱しながらなんとかやってる。これで仕事できるのか。正解のない世界、個人の選択にも当然100点はない。わかってる。なのに、どの一歩も暗黒に繋がっているようで、もう死でしか安らぎを得られないという思考に行き着いてしまう。少しでも現実に向き合うと、脳と身体が悲鳴をあげるような感覚。根っこにあるのは昔から周りが軽く受け流す事象を、強烈なストレスに変えてしまう認知の歪み。これだろう。どう考えても。

いまの脳内に自分が満足できるストーリーはどうしても描けない。描けなくてもなんとかしなければけない。生きていれば辛いこともある。どにもならないこともある。でも生きていれば。生きてさえいれば開けてくる。ほんとうにそうなんだろうか。

いまがピークで、いまで終わりたい。そう思う。
温かい周りがいる。幸せだ。感謝だ。
幸せだから。幸せのピークで。

自己嫌悪、劣等感、執着、比較、ぜんぶ手放せば全開に幸せな日々が送れるんだろうか。ぜんぶ手放せる人なんかいないだろう。でも少しずつ少しずつ、受け止めざるを得ない現実に対して、諦めが続き、執着に疲れて慣れ、落ち着きと静寂と平穏が訪れるんだろうか。それが期待できるならだいぶ良い。

そもそも脳の細胞を根本から組み換えないといけないのか。誰かに理解してほしいとどれだけ訴えても理解できるものではない。でも知ってほしくなる。脳の作りのせいしたくなる。

苦しいこと、辛いことに向き合ってみたが、心身のエラーが起きて脱線し、何度も立ち止まる人生。

周りが軽やかにやり過ごせる環境が、自分にとっては超ハードモードな状態。鬱、適応障害と診断されたが治るとか、回復とかの感覚がわからない。「明確に治る」というものは存在するのが。そもそもそんな白黒つけられるものではないのかもしれない。早朝覚醒とか不眠は確かにあったのでちゃんと寝るために、薬は飲む。それはやる。でも根っこにあるものだ。

周りからは、甘えるな、考えすぎずに動け、なんとかなる、大丈夫だよ、十分だよ、生きてれば良い、なんでも良い、元気になる、いろんなことを言われる。ぜんぶ自分のことを想っての発言だろう。ありがたいが苦しい。すべて生きることを前提にしているからか。だから胸が痛くなるのかもしれない。まず生き抜くことか。平然と生きてるみんなが羨ましく感じる。みんなそれぞれ異なる苦しみや辛さを抱えて、それでも懸命に生きている人もいるのだろうけど。自分の周りは、どうしても力強く軽やかに止まらず進み続けてる人だけに見える。上を見たらキリがない。心が終わる。

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