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休職、退職を経ても叶えたい夢_写真家になりたい
『私の夢は写真家になる』
そう決めて退職届けを出した1月17日の夕方
写真のように大群から飛び立つ鳥の形をした雲を見れた。
本当は2024年の振り返りで休職していることや今の自分の心境をnoteに書こうと思ったが書けなかった。
本当の意味で自分を受け止め、安定を捨て、新たな環境に踏み出すまでかなり自分の中で試行錯誤して、行動してみて、退職して、やっとこのことを書けそうだ。
今日はいままでのこと、展示の告知と写真家になりたい決意を書いてみようと思う。
突然だが、私は冒頭でも書いたように1月17日退職届けを出した。
2020年国際系の短期大学を卒業した後、学生時代に福祉系のプログラムへ参加し、その時に関わった方々が素敵だったこと・人と関わる仕事がよく公務員のような福祉系の法人に入団した。
知識も経験もない勤務もハードな福祉系の仕事で、きつくて大変なことも沢山あったが、それ以上にたくさんのことを経験させてもらった会社でとても感謝をしている。
5年目ともなれば、仕事にはかなり慣れ、余裕をもち日々の業務プラスで利用者が楽しめる企画をしたり、日常業務もカメラやデザインと関わる仕事を任せてもらえて、日々割と仕事を楽しくしていた。ありがたいことに800人いる会社で2年連続10人ももらえない評価をもらえたりもしていた。
カメラについてはずっと高校生から欲しかったが、買えないので、短大生になってすぐ購入した。忘れられないのが、2019年8月に行われた九州バーベキューミートという300人集まったイベントだ。これが本格的にカメラ友達ができ始めたスタートである。
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友達=今は憧れの写真家のうたうみちゃんに撮ってもらった1枚が素敵で、こんな世界を自分も切り取りたいと思った。そこからプロ機に変えて、少し撮ったりもしていたが、コロナ禍で出かけられなくなり、使用頻度は減っていった。
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2022年のちハレサロンというオンラインサロンに入って、みんなが本当に優しくって、同じ好きな価値観を持っていて、全国に旅行に行くようになった。そこから本当に写真にハマって、沢山の瞬間を残す幸せを感じるようになった。
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2023年もっと人生で写真を撮りたい、いろんな人に今ある幸せを気づいて欲しいと思い、本格的に写真を仕事にしたいと思うようになった。そこでkaimonというオンラインスクールに入った。そこではのちハレサロンとはまた別の楽しさがあり、撮る写真も様々、価値観も色んな方がいて、それが刺激となり面白かった。
そして飲み会とかは断るようになり、夜は写真の講座を受ける、休みの日は写真を撮ったり編集するように日常が変化していった。
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2024年の10月のこと。
本業も真剣に、任された仕事が多く、残業も沢山した。初めての写真展の準備も展示物とグッズも全て妥協しなかったし、依頼も受けて撮影と納品もした。講座も月に20件以上受けた。休みの日も5時に起きて2時に寝たり、寝落ちることが多く、その時は充実し、楽しかったが、今思い返してもあまり記憶がない。
徐々に自立神経が乱れていった。
仕事も重なってさらに多く、苦しくなった。
そして人間関係も絡んできた。
いろんなことが重なって私はある日涙が止まらなくなってしまい、息苦しさもあり、心療内科に行き、休職した。その時に相談してた知り合いが気づいてくれて、本当に良かったと感謝している。
その後、人間こんなに寝れるのかというくらい一日中ほとんど起きず寝込んだ。息が苦しかった。目の前に見える景色は真っ暗だった。自分が何もできず、悔しくて、悔しくて、苦しかった。夜道で出れないところに車がはまってしまい、警察にお世話になったり、情緒が安定せずに周りに迷惑をかけたりもしたと思う。本当に申し訳ない、情けない気持ちも沢山あった。
ただ周りには本当に恵まれていた。
会社の人もお家にご飯作って持っていくよ、大丈夫?飲みに行こうとラインをくれた。
友達も泊まりにおいでと誘ってくれたり、カフェに行って話を聞いてくれたり、オンラインでも作業しましょうと言ってくれた。
1人でいると色々考えてしまうが、周りの人が本当にとてもよくしてくれた。
そんな周りの人のおかげで徐々に見える景色は変わっていった。痛みを知った分世界が、病気になる前よりも細かいところまで美しく感じた。
あぁ生きている。
生きる希望となったのは写真だと思う。写真が私の元気を取り戻し、救ってくれた。
そこから12月は写真を沢山撮った。月のほとんど写真を撮って、今生きている幸せを感じた。
死ぬんじゃないか(実際にはそう思ってないけど、感じてしまう)とも考えていた私が生きている幸せを感じる瞬間だ。
2025年1月となり休職期間がもうすぐ終わる。
そこで私は自分を変えたいと思い、朝活を始めた。ノートや動画も始めた。今後が不安を打ち消すように動いた。営業をしたり、写真館に面接に行ったりして、今後生きていくように心配ないくらいの道は作った。
まだまだ情緒は不安定な時もあるが、休職する前から考えていた写真家になるという夢に休職中かなり向き合い、そして決意した。
そしてその門出として、夢というタイトルで初めての個展を行う。私の魂を込めた展示をこのタイミングでできることとても幸せだ。
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私の夢は27・28歳までに写真家になること。
人の心を動かす写真を撮り続けることだ。
具体的にやりたいプロジェクトは…
元気なうちに写真を残すこと。
私は今ある目の前に幸せに気づいてほしくて写真を撮っているところがある。幸せな時ほどその幸せに気づきにくく、例えば病気になったり、大切な人が亡くなった時『あの時は幸せだった』と思うことが多いと思う。
写真は今目の前にある幸せをきりとり、撮る時間も幸せを形にでき、そして時を経て見返した時も幸せを感じられるものだと思う。
大分県の高齢化率は全国10位とかなり高く、私は介護福祉士の資格も活かしながら『幸せな今を残す』そんなプロジェクトを立ち上げたい。
生きる希望を失いかけたり、苦しみを知った今、自分を奮い立たせるためにもう一度いろんなことに挑戦したい。
その夢に向かうため、退職を告げた時、園長室に光が差し込んだ。
そして夕方ここ最近考えすぎて写真を撮るに至らなかったが、今日は記念に空を撮りたいと思ったら、空には1匹の美しい鳥が大きな群れを離れている雲が見えた。
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私だ。
私は写真家になる。
この鳥のように美しく羽ばたきたい。
終わりに、最後にこの企画を考えてくださってありがとうございました。タイミングに運命を感じ応募させていただきます。