一見強くなったように見えるが、ただ単純に不必要な物に立ち向かわなくなっただけ。
強いと言われたことはあるだろうか。
それなりに経験のある人はいると思う。私自身もちょくちょく言われるが、「いやいやそんなことないって。普通に落ち込むし、悩むし、泣くし。」くらいに思っていた。
そして今、夜な夜な、はてそういえば何故だろうと思った。寝た方がいいだろうに、こんな時間にかなり無駄な思考をしてみた。
そしてタイトルに至る。多分、これだ。
なんとなく歳を重ねるにつれ、生真面目さのようなものが薄れていくような気がする。
こうしたら周りに迷惑かけるなぁ、こう思われるかもしれない、こうしなければならない、するべきだ。若くて責任感のあった私(笑)はそう思っていた。
よくわからないが、年々どんどん適当になっていく。他人に対しても、自分に対しても。
それは悪い面もあるのだが、概ね自分にとってはプラスに作用してくれている気がする。あくまで「自分にとって」だが。
恐らくこの適当こそが、一見強い人を作っているのかもしれないと考えた。
しかし適当だからと言って、傷つかないわけでは決してない。
ただ、他人の言動に対しての反動で万が一傷ついたりしても、感じ方も割に適当なため愚痴や一時の感傷の後はすぐ忘れてしまう。
本当に、信じられないくらい何も覚えていられない。もう少し浸ってもいいだろうなんて思ってしまうが、その環境下から離れた途端にすぐ記憶が逝ってしまう。
段々と、余計なことに時間を割けなくなってきているのだろう。
外部と関わって生きていると、知らないうちに自分の中で重要なこととさして重要ではないことを勝手に振り分けるようになってくる。
そして10代よりも体力や思考力、さらには感受性まで衰えてくるため、自然といらないと思ったことを遠ざけてしまう。これは間違いなく老化だと思う。
もう、とにかくめんどくさい。
めんどくさいから悩むのもめんどくさくて長続きしないのだ。楽したい。それだけ。ものぐさ。
小さな小石にしっかりつまづいて、ちゃんと痛がって泣いて喚いてこの世の終わりくらいに思っていた、真面目で幼気な私はいずこや。あの時ビンビンに感じていた、ヒリヒリするような感性や感情の波はもう戻ってこないのか。
若いっていいなぁという大人の気持ちが、何となくわかるようになってきたかもしれない今日この頃。