見出し画像

兵庫県知事パワハラ問題に思うこと


パワハラ行った斎藤知事個人の個性や人格の問題として片づけてしまうのはある種のもったいなさを感じる。というのも、そもそもその根底に官民問わない共通の”ある人種”がいるからである。

このニュースの知る以前から、仕事をしながらあることに驚いた。それは厳しさと業務上必要な指導を履き違えた勘違いマンが3,40代の中堅層にも割と多くいるということ。そしてそういった勘違いマンの方が50代以上のいわゆる老害とよばれるような社員よりよっぽど有害だと強く感じた。こういった勘違いマン本人は「周りや部下は劣っている。そして俺はそれを厳しい言葉と言動でビシバシと引っ張て行かなくてはならない!なぜなら俺はシゴ出来男なのだから!」と思って疑わないからだ。
一方で、「俺は若手たちとも年次が近いし、ざっくばらんに言いたいことを言い合える仲だ」とまで勘違いしている。若手からしたら上司は上司だ。指示をされればNOをいうことは憚られるし、冗談で言われたことであったとしても強い口調で言われれば脅迫でしかない。

「伝わるように伝える>厳しく伝える」という至極当たり前のことを理解している人は案外少ないと社会に出て気づかされる。そういった人は10,20代でもいる。しかしそのことを成長や昇進の過程で次第に気づき、気づいたものが上のポジションへと上がっていく。のが理想…
だがしかし、誰からも注意されない閉鎖環境で育つと、時代錯誤で社会通念から乖離した新たなパワハラ上司が生み出されてしまうのである。

解決策はいくつかあると思う。
・社外とのつながりをなるべく多くし風通しを良くすること。
・面談やフィードバックを通し、社会通念と本人の認識のズレをなるべく早い段階で認知させること。

修正すべき行動は直し、出来ないことが出来るようになることが組織としてのゴールなら、「正しく伝え、チームメンバーが気持ちよく仕事ができるようにする」という当たり前のことを認知できるひとがもうちょっと多くなったらいいのにね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?