私が不登校になった理由
私は今、高校3年生。通信制の高校に在籍しています。中学1年の夏休み明けから卒業まで、2年半ほど不登校でした。
当時、私は自分の不登校に特に理由なんてないと思っていました。
卒業から2年経ち、少し当時を客観的に見られるようになって、分かったことがあります。それは、私の不登校には“明確”な理由があったということです。
その理由は私の完璧主義的な一面にあったと思います。私には物事を0か100かでしか考えられない節がありました。
完璧主義と聞けば勿論100を選ぶだろう、と思うかもしれませんが、私は0の完璧を選んでしまったていました。
例えば、「遅刻するくらいなら、行かない」これが私の口癖のようになっていました。
遅刻はきっと行かないよりはマシだと今は思います。でも、当時の私はそこで0を選んでしまっていました。
そもそものきっかけとなったのは部活でした。その部に決めた理由は運動部だが他の部と比べてあまり走らなくていい。という安直な理由でした。
実際、夏休みまでは、平日に4日、休日に1日というかなりホワイトな部活でした。
そして私が重視した“走る”ことは休日だけだったので週に1日。距離も1キロ弱と他の部と比べても桁違いに短かったと思います。
そこで誤算だったのが“夏休み”です。
夏休みは言うなれば毎日が休日です。
休日となると毎日走らなければなりません。小学生までは馬鹿みたいに走り回っていた私も中学生になり一気に体力が落ち、それは耐えられない負荷となりました。
そうして部活を休みがちになり、その後の夏休み明け、私がとった行動は学校自体を“休む”ということでした。
上記の通り、私にとって「部活を休むくらいなら、そもそも学校も休む」という謎理論に則り私は学校から足が遠のいて行きました。
ここで出てくる疑問が「ならば部活を辞めればいいじゃないか」ということでしょう。
当時の私も真っ先にそれを考えました。
しかし出来ませんでした。私の学校は外部のクラブチームなどに所属していない限り、部活には何かしら入らなければなりません。
それでも退部ができないわけではありませんでした。実際部内でも何人か辞めた人はいました。しかし、ただ退部届を出せば辞められるなんて生易しいものではありませんでした。(うちの部だけかもしれないが)
顧問と面談を重ね、退部理由が認められた結果、やっとの思いで辞められます。
そして、その理由は受験に専念するためとかそんな理由が多かったです。
同学年の女の子も退部を希望していましたが、結局はやめられず3年間所属していました。多分その子が辞めたかったのは私が来なくなったからだと思います。部に女子は私とその女の子だけだったのです。本当に申し訳ないことをしたと思います。
少し話がずれましたが、そんな具合に「学校に行かないならば、部活にも参加してはならない」「学校に行ったならば、部活にも参加しなければならない」という、0,100の理論で私はどちらにも行かないことを選択しました。今思えば、退部しなくてもただ部活をバックれるだけでよかったのですが。
もう1つ理由を挙げるならば、成績悪化だろう。
小学生の時は殆どのテストで満点でした。小学生の時は自主勉などせずとも授業だけで満点が取れました。しかし中学生となるとそういうわけには行きません。
初めての中間テスト、5教科平均は8割7分といったところで悪くはありませんでした。むしろいい方だったでしょう。
夏休み明けの期末テストも8割ほど。
しかし、その後学校を休みがちになることで当然成績は下がりました。
エセ完璧主義な私にとってそれは耐えられないことでした。
そこで0,100理論の登場です。「テストの点が悪いならば、受けなければいい」とんでもない暴挙に出たのです。
端的に言えば、自らの大きさを知ってがっかりしたくなかったのだと思います。
分からないことを、自分のできないことを認めたくなかった、認める強さがなかったのでしょう。
そんなこんなで2年半も棒に振った私ですが、さ、“後悔してない”なんていうには強がりが過ぎるでしょう。
正直かなり後悔しています。
私は行事にはほとんど参加しました。修学旅行、課外授業、体育祭、等々。
そんな時だけ来る私にクラスの人は優しくしてくれました。もっと煙たがってくれてもいいくらいなのに。そんな素振りを見せずにいてくれたことにとても感謝しています。
こうして、今の私があるわけですが、私もここ数年で変われたことがあります。
「遅刻するくらいなら、行かない」これに関しては殆ど克服できたことです。
この間も時間を勘違いして塾に遅刻しました「行きたくない」なんて思いませんでした。
別に塾が特別楽しいというわけではありませんが、自らを律し、「行かなければ」という気持ちが優ったのでしょう。
その時、少し成長できた気がしました。みんなにとっては当たり前かもしれませんが、私にとっては大きな一歩でした。
まだまだ私は自分に甘く、堪え性のない人間ですが、少しずつ克服していかなければいいなと思います。