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インフルエンサーの予防注射

空を掴む。
なんて大袈裟だけれど、初めのうちは逃げていくように指の隙間から砂が通り過ぎていく。徐々に掘っていくと爪の間にひんやりした黒が挟まって、ああ、砂から土に変わっていくんだなあ、なんて実感した気がする。頭の中を掘り起こしてみると、高解像度フルハイビジョンの映像は浮かんでこないまでも、そんな僅かな低容量の感触データのファイルには辿り着けた。
幼少期の砂場。
掘って出てきた砂とか土とかで山でも作ってトンネル通して。何のためにやってたかなんて全くわかんないけれど、トンネル開通の高揚感って今思えば異常だった。あんなに喜んだことって最近あったっけ。

あの遊び、おそらく誰もが容易に思い浮かべられるだろうし、YouTubeでTIPS検索しなくても、やれって言われたら誰でもできるぐらいには伝承されてきてるの、よくよく考えると地味にすごい。創業から300年続く秘伝のタレもいいけど、日本全国津々浦々で老若男女(きっと魑魅魍魎にも)広がって何十年と遊ばれてきて、万人の記憶にあるって。
でももう少し、よくよくよくよく考えてみると、きっと日本の子どもはみんなそうやって遊んだんだろうなって、偏った自分主体の思い込みなわけで。トンネル開通したことないよーって人もいるかもしれない。
いやいや、普通にいてもおかしくない。

「ポコペンってなに?」
って言われたことがある。この遊びが当たり前のように全国共通かと思っていた。世代とか地域が同じ人でも知らないって言われたことがある。誰もが自分と同じ生活環境を過ごしたわけじゃないって気づかされた。夏がだめだったり、セロリが好きだったり、ポコペンを知らなかったりする。
※ちなみに知らない人のために簡単に説明すると缶蹴りの上位互換です。

だから、鬼ごっこを知らない子がいたっておかしくない。今ならそう思える。これだけコンテンツに溢れて過剰摂取させられる時代なんだもの。きっと令和時代は砂場トンネル開通式のロマンを知らない子も多いのかもしれない。たぶん、フォートナイトが令和のロマンなのかも。
かくいう自分も、力道山のロマンも、Jリーグ開幕時のヴェルディのロマンも知らないわけで。時代という時間軸に加えて、興味範囲やコミュニティでも変わってくるもので。だからやっぱり、砂場の記憶が誰にでもあるって考えるのは、桂剥きした大根の皮ばりに薄っぺらいのかもしれない。反省。

一年を振り返って記憶を掘り起こす、だなんて。
「紅白 除夜の鐘 年越しそば お前が負けるのも毎年の恒例行事」
ってR-指定のパンチラインには入らずとも、Spotifyとかインスタストーリーとかで当たり前のようにみる光景。
でも、お酒ばっか飲んで忘年しちゃったもんだから、メモカにセーブデータなんて残ってないわけで。スーファミのソフトぐらいちょっとの振動でメモリーは消えていくもの。忘年会自体の記憶もなくなって、粗大ゴミですかってぐらいの記憶を回収して。むしろ忘れるためにゴミ箱に捨てた汚物なのに自ら回収しちゃったり。忘年なんかせずにインスタストーリーで振り返れる人が前のセーブから進み出せるのかな、なんて意味のないことを思ったり。

そもそもメモリーカードなんてPS3だかPS4以降無くなっていて、そもそもPS5が最新だし。ポケットピカチュウとかたまごっちみたいな見た目したポケットステーションなんて、少し下の世代からしたら、僕らでいうところのポケベルみたいにピンとこないんでしょう。およそ東大生になれる割合ぐらいの認知率。蛇足も蛇足。モンスターファーム2とかFF8とか、ポケットステーション使うPS1作品って、芸人のエバース町田よろしく「ガチでエグいぞ」ってばりに何百時間も費やした名作揃いだから遊んでみてね。

そんなこんなで記憶も曖昧で、自分の脳内だとキャパオーバーだから、メモカにセーブするみたいにメモアプリに殴り書きしてる時がある。幼少期の砂場の記憶を掘り起こしたかったわけではなく、2024年何をメモしてるのか、セーブデータを読み込もうとしたら出てきた一文が、表題。

「インフルエンサーの予防注射」。

このメモをした時、何を考えどんな状況だったのか。
記憶を必死に掘り起こそうとしたら、空を掴んだ。
冒頭からずっと思っていたことで、空を掴むって「くう」って読まずに「そら」だとしたら文字面的に塩顔イケメンくらいには結構いけてる。
「青い空と雲 太陽つかまえんぞ」みたいなニュアンス。
かっこいい。そうじゃないから日本語って難しい。

倖田來未のあだ名ばりに「くう」の方なので、ほとんど何にも記憶がない。でも、なぜだか惹きつけられるワード。代わりにFF8のラスボスのセリフだけが温泉でも掘り起こしたみたいに沸いてくる。

「思い出したことがあるかい」「子供の頃を」「その感触」「そのときの言葉」「そのときの気持ち」「大人になっていくにつれ」「何かを残して」「何かを捨てていくのだろう」「時間は待ってはくれない」「にぎりしめても」「ひらいたと同時に離れていく」「そして…」

ラスボスのメッセージ性。
最後はもったいぶって倒されるからわからない。予防注射打とうじゃないってことだけは、確からしい確か。インフルエンザの予防注射打たなきゃね、なんて会話から派生して生まれたのは容易に想像できる。たしかにウイルスってインフルエンサーだもんな。影響ありまくり。もう5年ぐらい経って落ち着いた今でも爪痕を残しまくってる。それで満足したら終わるのでもう少しだけ「はじめのいっぽのーこす」って残してた一歩を踏み込んで考えてみる。だるまさんがころんだでよく聞いたセリフ。これも人によっては知らないだろうけど。

予防注射って言うからには、インフルエンサーってウイルスなんだろうか。
いやいや極論、というか過激思想。どんなインフルエンサーも努力して発信して、ポジティブな影響を受けてるはず。
真似してみよう、美味しそうだから行ってみよう、学びが深い、推せる。
色んな影響を与える存在。それにフォロワーが多いとかそんなことなくても「存在するだけで影響与えてるインフルエンサー」って秋元康も言ってる。証明終了、Q.E.D。

なんて終わらせるのは逃げてるみたいだから、何かしらの悪影響にも目を向けてみる。
不確かな意見や思想に耳を傾けすぎてしまうこと。
マーケティングに踊らされた消費行動の促進。
もしかしたら時間の浪費も。
特に一つ目はプロパガンダとか陰謀論者生み出したりとか、ちょっとウイルスっぽさが香ってくる。コロナもインフルエンザもその他諸々の菌たちも感知できないほどには無臭だけど。二つ目は…複雑なので置いといて。三つ目も努力の結晶のようなコンテンツたちに対して失礼極まりないし、なによりこの雑文読んでる方がよっぽど浪費だろうけれども。「寿司にワサビは必要じゃね?」って質問に対して同じぐらいの共感値で「わかる」ってなるはず。

とはいえ浪費かどうかは自分次第だし、後悔するぐらい時間つかうのも自己責任でしかない。THE 正論。勝手に人のせいにして、時間を奪われた被害者面して。そんな悪しき感情こそがウイルス。
そう思うぐらいなら見なきゃいい。

なんてことが意外と結論で、予防として摂取を控えることで、時間の浪費もなければ、自分の頭で考えるクセもつくのかもしれない。
流行りのインフルエンサーを知らないとついていけない。
なんてこともあるけれど知らなくたってなんとかなる。

ポコペン知らなくても、砂場トンネル開通式の高揚感を知らなくても、何の問題もないんだから。

だから、YouTubeのサブスクを解約した。
あの忌まわしき広告が流れてきたらずっと見続けることも少なくなるはず。

それが自分なりに導き出した、インフルエンサーの予防注射。なのかも。
代わりに、溜まりすぎた本を読まなくちゃ。

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