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読書つれづれvol.4 2024/11/11 了「モノクロの街の夜明けに」ルータ・セペティス著

通称千葉ルーで知られる「千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話」の著者済東鉄腸さんの書評で本作を知った。チャウシェスク政権下で人々がどのように生活していたのか。以前、NHKの番組「バタフライエフェクト」でルーマニアではないが、プラハの春からベルベット革命までの物語を特集していたのを見た。チェコスロバキアの市民たちが経験してきた苦難。知らないことばかりで勉強になった。東欧というあまり馴染みのない国々のことをもっと知りたいと思っている。

チャウシェスク政権下のルーマニア。高校生クリスティアンの家族や恋、密告者となってしまった苦悩、調査対象のアメリカ人外交官の息子ダンとの交流、そして革命。

独裁政治の敷かれた国の困窮した生活、窒息しそうな息苦しさ。歴史の授業でなぞるだけでは想像するのも難しいだろう。教科書では大局的なストーリーが説明される。本作では歴史という文脈におけるひとりの市民の生活や人生を物語るというスタイル。新鮮だった。

読んで感じたことを二つ書いておこうと思う。

まず、本書中に繰り返し語られる政権下の生活の息苦しさ。息苦しいというのは、生きるのが苦しいということに対する身体の反応としてあると思う。様々な苦しさがありうると思うが、ここでは、自らが密告者になり自分自身を嫌悪したり、周囲を信じられない環境で生活しなければならないことや信頼関係が崩れるといったこと、あるいは部屋の中の寒さとしても語られる。わたしは周囲の人が信じられず、くつろぐことができないということについて彼ら彼女らと同じ感覚ではないだろうが、同じ言葉で表せるそれを幼い頃から持ってきたように思う。それは本書で書かれるような抑圧のもとにおけるそれではなく、内面的なものであるから本当は関連付けるのは妥当ではないかもしれない。しかし全く違う環境に生まれ、違う環境に育ったわたしが、ある共感をもって本を読めるということ。それが不思議でもあり、この読書が意味深い体験にもなったように思う。だからだろうか、革命が起こったときの若者たちの描写は、こみあげるものがあった。

主人公クリスティアンは、その時々でわからないことを想像で埋めて、判断行動していく。この主人公だけではないだろう。すべての人は生活をこのようにして送っているのではないだろうか。必要な情報すべてが分かるわけではない。むしろわかる情報は限られる。そんななかでも行動しないと先に進まない。妥当と思われる推測で補い判断をする。クリスティアンはまちがえる。行動には、常にリスクが伴うだろう。リスクを取らなければなにもできないであろう。人間が「わからないこと」にたいして取る態度には、その人間がにじみ出るように思う。根拠がない判断をして自分はすべてわかるという感じをもつひと、わからない感覚に縛られて判断行動をためらうひと、わからないことはわからないと認めたうえで間違える可能性を受け入れながら、でもできるかぎりリスクを減らすよう判断に努力し勇気を持って行動していくひと。自分のこれまでのわからないに対する態度を振り返る読書体験だった。

この作品は、アメリカ人の手によるものでルーマニア文学ではない。わたしは今度はルーマニア文学を腰を据えて読みたい。読書は自分の興味に応じて乱雑に読むのがわたしにとって愉しみであるが、テーマを決めて追求するのもいいかもしれない。エリアーデの「石占い師」という作品がいまのところ唯一読んだルーマニア文学だ。さて次は何を読もうかな、

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