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真夏の九州うつわ旅・3日目(その2) ~櫨ノ谷窯にて しずかなる祈りを~


8月に九州北部をめぐった「九州うつわ旅」の記録をしています。

台風6号が峠を越えた3日目。唐津駅近郊をあとにしたところまでの記録はこちらです。



そのあとは、たいせつな窯元に向かいました。 




8月10日 曇りときどき晴れ、ときどき雨


今日はどうしても行きたい窯元があった。

唐津駅近郊をあとにして、私たちが向かったのは「櫨ノ谷はぜのたに」。
住所でいうと伊万里市だけれど、「奥唐津」とよばれる山深い谷を進んだ先にある。


その櫨ノ谷窯を語るにあたり、ここですこし、うつわのおはなしを。


* * *

殿山窯の記録をしたときに、「砂岩説」についておはなししました。
陶器は土から、磁器は石からできるものです(※)が、初期の唐津焼は、砂岩を使って焼いていたという説です。今では定説になっているともいわれます。

古唐津が(おそらく)砂岩でつくられていたということは、もちろんその研究にあたった人がいたからわかったこと。
また砂岩が使われていることがわかったからといっても、砂岩を見つければすぐにうつわが焼けるというものではなかったようです。
そこには、驚くような熱意を持って研究、実験に挑み続け、その技術を解き明かした陶芸家がいました。

その中心的人物のうち1人が、この櫨の谷窯の1代目、吉野よしの かいさま(1941年〜2015年)です。(以降「1代目」。)
1代目は、古い窯跡から土や石を発掘し、唐臼からうすまでつくって原点を追求されたのだそう。
とにかく来る日も来る日も研究に勤しみ、その姿は “まるで取り憑かれたようだった”とも語られています。
その熱心な研究の甲斐あって、ついに砂岩を使用した唐津焼の焼成に成功しました。

その1代目と、2代目の吉野敬子さまは、父娘で土と向き合い、砂岩を原料とした古唐津を確立させたといいます。
1代目亡き後、敬子さまは窯主として櫨ノ谷窯を引き継がれるとともに、古唐津の研究を継続されてきたそうです。

※ 正確にいうと、陶器にも磁器にも土と石の両方の成分が含まれています。

うつわのおはなし唐津焼  2つ目の補足)

* * *


私は今年2月にこの旅行を計画した時から、櫨ノ谷窯は「ぜったいに訪れたい窯元」のひとつとしてリストにあげていた。訪れたい窯元というよりは、「お目にかかりたい人」という方が私の気持ちに合っているかもしれない。いろいろと調べる過程で、2代目の敬子さまの人間的な魅力に強く惹かれていたのだ。
魅了されたのは、唐津焼の原点・砂岩での作陶を追求される その熱意だけではない。土地の自然と真摯に向き合うそのお姿に、うつくしさを感じていた。「やきものも食べ物も土から生まれるのだから」とおっしゃって半農半陶の生活を送られるという。
昔から、その谷に住む人々にとって、農業と作陶とは不可分だったそう。晴れた日には農業を、雨の日には作陶を、土とともに生き、自然の恩恵を授かりながら、季節のうつろいのなかで生活を営まれる。
あこがれるけれど、自分には到底できるはずもない、遠い遠い世界のことだ。土にまみれたご生活かもしれないけれど、それは私にとって、とても崇高で眩しく思われた。
「畑から生まれるようなやきものを作りたい。」そうおっしゃる敬子さまのお話も直接伺ってみたくて、お目もじが実現することを切望していた。


ところが。


今年5月のある日、その2代目 吉野敬子さまが急逝されてしまった。
何も存じ上げない私にとっては “急逝” だけれど、ご病気でいらしたというから、そうではなかったかもしれないけれど。まだ51歳という若さだった。
お目にかかったことはなくても、ショックだった。


作家ご不在の窯はどうなっているのだろう...。
拝見できるのだろうか。
事前にお電話を差し上げると、従業員の女性の方が「どうぞお越しください」とおっしゃる。 伺えるのだ。
吉野敬子さまはもういらっしゃらないけれど... ぜひ訪ねたいと思った。
それでこの日に。


緑ゆたかな山あいに、田畑の広がる山道を進む。先ほど、昼食の頃には晴れ間が広がった空から、櫨ノ谷窯へ近づくとともに、しとしとと雨が落ちてきた。
空には雲が立ち込めているから本来の意味とは違うけれど、「天泣てんきゅう」という雨の名前を思い出す。

そして到着。



全景を撮りそびれたけれど、ギャラリー(母屋)は、よしぶき屋根の風情ある建物。心が落ち着く。


中にお邪魔する。



ギャラリーに展示されていたのは、すべて1代目の作品だった。



作品を拝見していると、濱田庄司が本で語っていた言葉を思い出す。「枝や花で勝負するより、根で勝負」。さらに「花の結果を実を結んだ時と思わず、その実が地へ沈んで来春芽を出した時を答えとして取りたい」とも語っていた。
なんとなくその言葉が重なり、地へ沈んだ実がたくましく芽吹いた姿のように思えた。


敬子さまの作品については、今後、遺作展が予定されているため、それまでは展示や販売を控えられているとのこと。

それでも、お隣りのお部屋には少しだけ敬子さまの作品も飾られていた。愛を感じる。



こちらのお部屋にはお仏壇もあったので、しずかに手を合わせることもできた。
お父さまと積み重ねてこられたご功績に敬意をこめて。その足跡は、多くのひとの心の中で輝き続けますと。


敬子さまのやわらかな作品を愛でて、それから敷地内にあるcaféへ。
このcaféは、農業を営むお宅らしく、もともと牛小屋だった建物をリノベーションされたのだそう。
敬子さまとご主人さまのこだわりが詰まった、すてきな空間だ。

ほんとうは週末限定で開かれているcaféなのだけれど、この日は平日だというのに特別にあけてくださった。
梅ジュースが胸にしみる。


奥が「cafe Reed」
1代目が研究されていた古唐津の陶片
敬子さまの作品


従業員の方のおはなしを伺うと、敬子さまがご逝去されてからというもの、飼われていたヤギやネコちゃんの元気がないのだとか…。切なくなる。
でもきっと、あちらの世界でも、お父さまとご一緒に土(砂岩)をこね、丁寧に作陶されながら、ご家族や動物たちを見守られていることでしょう。


それにしても今後、このすてきな櫨ノ谷窯はどうなるのだろう。
私にはわからないけれど、ここで感じ得たことをずっとずっと、胸に刻みたいと思う。







3日目:8月10日(木)  台風が通り過ぎる。曇りときどき晴れ、ときどき雨。
佐賀県唐津市「洋々閣」→「一番館」→ 昼食 → 雨のしとしと降る「櫨ノ谷窯」にて、手を合わせる。



このあと、次回は次なる宿泊地へ向かいます。



最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。





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