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和三盆とコスモスをあいして



先日、四国旅行をしたという知人から、お土産にと美しい和三盆を頂戴しました。


なんとまぁ、うれしいこと。



和三盆は、ゆったりとしたひとときを過ごすための、とっておきのお菓子。そんな特別感があります。

ここのところ、せわしない日々を送っている私にとって、そのやさしい味わいをたのしむための「時間」をプレゼントして頂いたような、そんなよろこびがありました。


和菓子好きの私は、和三盆のような「干菓子」(=水分の少ないお菓子)も大好きなのです。


正しくは「和三盆」という名のお砂糖ですが、ここでは耳慣れた言葉で「和三盆」と呼ぶことにいたします。


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和三盆とは、「竹糖ちくとう」という希少な在来品種のサトウキビを原材料に、徳島県と香川県の一部で生産される日本独特のお砂糖です。その名は盆の上で三回研ぐことに由来するとも言われ、伝統的な手法で手間暇かけて丁寧につくられているそうです。

その和三盆の中でも、阿讃山脈 (讃岐山脈) の南側で採れた竹糖からつくられるものは「阿波和三盆糖」といって、徳島の昔からの名産品。
18世紀末には徳島藩の保護もあり、大きな評価を得てその生産は広がりました。
けれど時が流れ、戦後 台湾などから安価な精製糖が輸入されるようになると、かつてたくさんあった徳島の和三盆の製糖所は次々と姿を消し、今では片手で数えられる程しか残っていないのだとか。

先ほど、和三盆の名の由来(の一説)に触れましたが、例えば徳島の岡田製糖所では、「研ぎ」の工程で 実際には4回も5回も、今なお人の手で研いで(煉って)つくられているそうです。
このような工程を一つひとつ重ねるごとに、和三盆はぬくもりまといながら、やわらかく細やかな粒子になってゆくのでしょう。
竹糖の栽培から製品に至るまで、時間を費やし、携わる人の愛情をたっぷりと注がれてつくられている和三盆を思うと、愛おしさが つのります。



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ところで、私は少し前に、お気に入りの本の中で、干菓子とコスモスにまつわるエピソードに出会っていました。
コスモスといえば、私が大好きな花です。


『和菓子を愛した人たち』 虎屋文庫


こちらの本には、歴史上の「和菓子を愛した人」100人の物語がつまっています。見開き2ページで1話が完結。百人百様のストーリーに、あたたかな眼差しが向けられています。
全てのページに添えられている和菓子や資料の写真はオールカラーと、眺めているだけでも しあわせな気分になれる本です。

 

p200~p201は、夏目漱石のおはなしです。

明治43年のこと。漱石は、病床に活けられたコスモスをながめて、干菓子を思ったそうです。

コスモスに干菓子を!
それは普段から和菓子に親しんでいた漱石にとって、自然な発想だったのでしょう。
花を活けた人がなぜですかと問うも、その時には「何故と聞いちや仕方がない」と、理由を語らなかった漱石です。


でものちに、『思い出す事など』という作品の中で、その時のことを次のように回想しているといいます。


そのときのコスモスの「薄くて規則正しい花弁花びらと、くうに浮かんだやう超然てうぜんと取り合はぬ咲き具合」とを見て、干菓子を思った


そこには、能天気な私がこれまで抱いてきたイメージとは異なる、風韻なコスモスがありました。

そのコスモスに干菓子を重ねるだなんて。
心が ぷるるっと震えたような気がします。



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コスモスの比喩に心動かされた私は、その言葉の意味を確かめたくて、『思い出す事など』のページをめくってみることにしました。


『思い出す事など』ほか 講談社文芸文庫


私は無知ゆえ この作品のことを知らなかったのですけれど、読んでみるとその奥深さが胸にしみ入るようです。

漱石がコスモスを干菓子に似ていると言ったのは、修善寺で大量に吐血したあとのこと。
病床で目に映ったもの、心に触れたものを丁寧に描写したその言葉には、死生観を大いに伴っていたのかもしれません。




干菓子とは、水分の少ないお菓子の総称ですので、漱石が具体的にコスモスから何を連想したのかはわかりません。けれど私には、和三盆以外には結びつきませんでした。


薄く儚げでありながらも規則正しい花弁と、
まるで ふわり とくうに浮かんでいるかのように、けがれのない、世俗にとらわれない姿。



それは、和三盆の姿や、雪のような口溶け、淡い甘さと 不思議なほど重なるように思えたのです。



そんな私にとって、このコスモスの咲く時季に和三盆を頂いたことは、ちいさな奇跡のようであり、心の潤滑油になりました。


庭のコスモスを摘んで
部屋のあちこちに、すこしずつ。


和三盆をそっと口に含みながら眺めるコスモスには、一層心が和みます。



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2つのおはなしを読んでいて、ふと思いました。漱石が干菓子に似ていると言ったのは、病床に活けられた、砂壁や金銀の戸袋に美しく映えるコスモスです。
もしも 、”桂川の岸伝いに行くと いくらでも咲いている” というコスモスを、健康な状態で描写していたなら、どのような言葉を紡いでいたのでしょう。

それはわかりませんけれど、もしも陽のあたる川沿いの散歩道に咲き乱れるコスモスから干菓子を連想していたのであれば、私は金平糖を思い浮かべたかもしれません。
金平糖もまた、時間をかけて丁寧につくられる干菓子です。

愛らしくて、キラキラして、楽しげで、そのうちにほろほろと ほぐれてとけて。



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長いつぶやきのようになりました。
この記事の最後に、昨年アップしたコスモスの写真を もう一度、添えたいと思います。
旅先の福岡で出会ったコスモスです。

私は今年も ”九州うつわ旅” を計画し、本当なら来月の今頃には小躍りしながら やきものの里を訪れているはずでした。ところが、現在のせわしない状況がしばらく続きそうなので… 泣く泣くキャンセルをしたところです。
もう、何を楽しみに日々を過ごして行けばよいのかわからなくなるくらい、私にとって残念なことなのですけれど…。 贅沢に、コーヒーに和三盆をとかして飲んでみたら、あら不思議。



「まぁ、そんなこともあるよね。」と、あっさりとあきらめがついたように思います。


魔法のお砂糖でしょうか。




では。




コスモスが好きです。
昔から、とても好きです。



澄みわたる空を 凛と見上げているような



秋風にスウィングしながら おしゃべりをしているような。

そんなイメージを抱いてきた能天気な私です。







最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。







— 追記 — 
干菓子には、和三盆糖や金平糖のほか、落雁らくがん、八つ橋、有平糖あるへいとう(飴の一種)などが挙げられます。
和三盆と落雁は、姿はよく似ていますが、原材料や製法が異なる別物です。(参考記事




幼い日の私が あいした生菓子については、こちら。




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