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カラダのつぶやきまとめ

〈見えるもの・観えない世界〉
空気も音も…存在するのはわかっていても、目に見えません

人間は…他人の動きは見えるけど、自身の内臓や背中は視ることは出来ません

ましてココロや生命は…在ると実感しているのに見えません

つまり本質は肉眼で見えないところにあり、心眼で観るしかないのだと想っています

しかし人間は心眼で観るべき世界すら、肉眼で見ようとしがちです

本来の自分を信じられないからか、見えない世界すら可視化したモノに置き換えようとします
だから昔から偶像崇拝が、どの国の宗教にもあるわけですね

例え偶像でも、人が精魂込めたアートなら価値があると想うけど

わけのわからない石や水を…騙されて高い金を払ってしまうのも、人間の愚かなところ

宗教行事がイベント化したのは、寺社仏閣を守りつつ…それをシンボルに地域社会の結束を高めてきた歴史もあるでしょう
地元・浅草には何故か大小の寺が多い上、浅草通りの田原町から稲荷町は「仏壇通り」と呼ばれるほどで

何故たくさんの仏壇屋さんが潰れないのか、子供の頃から不思議でした

しかし人口減少で墓じまいするご時世…寺もやっていけないので、外国人(C国?)に寺を売ってしまうという話しも聞きますよね?

結局は寺を管理する坊さん達も、商売でやっていたわけで…ある意味の「合法的霊感商法」とも言えるのです

さて、ここで想うのは視覚障害者の方について…

彼らは肉眼で見えない分、健常者より心眼で観るチカラがあると想うので、偶像崇拝が通用しない人達なわけです

生きた偶像ともいえるアイドルなども、顔が綺麗だろうと…声や空気からココロが透けて見えるだろうし

心眼で生きる彼らに、アイドルの業務的な笑顔など通用しないはず

視覚と平衡感覚が繋がる様に
健常者の私達は目に頼りがちなので…

私はダンスや動きのレッスンで、視覚に頼らない感覚トレーニングとして、目を閉じて動くことを行っています

視覚障害者でブラインドサッカーの選手とか、陸上選手達は…
音を感じたり地面を感じる脳力が高いはずなので

彼らは世界をどう見ているのだろうか?と想います

エコーロケーションが出来る人達は、音の反響でかなり正確に空間認知が出来るわけですが

視覚的に文字を読めないので…
SNSが流行ろうと関係ありませんよね?

ラジオを聴いたり、点字で文章を読み取ることで情報を得るわけで

目で見えないけれど…だからこそ、私達が見えない世界を感じ取れるのかもしれません

想像する能力は、健常者が及ばないほどだと推測します

東日本大震災の時、原発事故で節電の為に街の明かり(ネオンやコンビニの照明)が落ちた時は、いかに日常で無駄な明かりを灯していたのか?と想いました

コロナ禍で夜のお店が営業自粛した時も同様で、街が静かでしたよね?

でも当時…私達が意識しつつも見えていない、社会の心理的ヒステリーを感じていたのは
視覚障害者だったかもしれません…

私達は光と音に包まれて生活しています
それが当たり前になり過ぎて、本来感じるべき人のココロが感じにくくなっているなら…怖いことですよね

クルマや電車では見落とす様な景色
早送りや速読では味わえないストーリーがあります

90年代からスローライフが提唱されてきたのに、現実はファストライフですから

世の中の速度を意識しつつ、ココロはその流れに乱されることなく、ゆっくりじっくり日々を生きようと想います

〈基礎に想うこと〉
生真面目過ぎて自由に踊れない人もいれば
型にハマるのが苦手過ぎて、結局癖が抜けないまま踊る人もいます

人を木🌲に例えれば…

基礎=根っこ(土の下で見えない)
が、しっかりした基本=幹(軸であり柱)をつくり、その人らしい表現や個性=枝葉や花と言えるでしょう

肥沃な土壌なら根から栄養が行き渡り
陽当たりが良ければ、幹は天に伸びていきますよね

しかし根っこだけに集中して、陽当たりを無視したら…陽の目を見ない木になるし

根が浅ければ…どんなに陽射しを浴びても成長しきれません

人のカラダは木の如く天地に伸びながら、四つ足の様に水平移動します

二足歩行する人間は…垂直に伸びる植物性と、水平移動する動物性を併せ持つ生き物なのです

「動く」ということを考えた時、私達は当たり前に日々動いていますが、時に立ち止まり「動かない動き」を意識すると…垂直な植物の様な感覚を味わえるもの

どう成長•上達•充実するかは、内観と表現の調和によるものだと想うのです

〈身体操作に想うこと〉
私はカラダって操作するものじゃなく、向き合うものだと想っています

便宜上「身体操作」というコトバを使う時もあるけど…好きなコトバじゃないから、なるべく使いません

カラダは敢えて操作しなくても、勝手に心臓は動いてくれてるし…

眠くなるとか、喉が渇くとか…全てカラダの声をココロが感じて行動するのだから

カラダを操作するのでなく…
カラダと仲良くする方が、私にはしっくりくるのですね☺️

腸脳相関や心臓と脳の繋がりが知られてきましたが…
五感を通したカラダの快不快は、脳に影響しているはず

ダンスなども…
無理して頑張って動いても
無理して笑顔で踊っても
「無理してる感」しか伝わりません

振付を一生懸命練習しても…
それを細胞が歓びながら踊らないと、どこかに無理が見えるんですよね

それじゃ必死に動いていても…
踊ってるようで躍っていません

見せ方とかそういうのも…後付け&外付けで、内発性の表現じゃありませんから😢

ココロが躍るから
カラダも踊ります

カラダと仲良くすることこそが、ダンスやスポーツで「自分らしく上達する」最適な方法なのです 

〈身体感覚は大事です〉
私は身体「操作」というコトバは好きじゃないけど、身体「感覚」は大事にしています

何故ならカラダの感度感性が鈍い人は、「やったつもり」で動けていないことが多いので

本当に動いているのか?動かせているのか?は感覚次第だから

SNSで「肋骨や体幹を動かす」というエクササイズ動画を観たのですが…主導が上肢下肢でしかなくて

肋骨は多少開くけど全く閉じておらず、胸郭を開閉しなくては呼吸も浅いから…
名称は有酸素運動なのに、現実は「無酸素」もしくは「少酸素」運動にしか見えません💦

彼らは肋骨を動かしている「つもり」だけど、実際はあんまり動いて(動けて)いなくて…
それを肋骨の動きと定義するのが、もったいないと感じました

人って慣れた動きを長年継続すれば、それが基準になるし
ましてや指導者になると疑いを持ちませんよね

でも…その動きは、その人が動きやすい癖である場合が多くて

本質的に肋骨の可動性の探求でなければ、普遍的な運動文化にはなり得ないのです

決して批判ではありません

ただもし自分の感覚が癖によるズレを正しいと認識していたら?
それを普及してしまったら?

単なる癖を普及するだけで、意図せず偽物を広めることにもなりかねません

だから指導者はズレない為にも「信じて疑う」ことが大事です
疑問を解消することで、本当に信じることにも繋がるから

その為の基準が身体感覚ですね

感覚を磨き養うことは運動家にとってとても大切だと、常に想っています

〈偏りは危険です〉
食事については完全にそれが浸透してるけど、カラダの動きに関しては、偏り主張が多いですよね

筋トレしたことない人が、脱力を体得しようとしても…
本質は剛柔一体なのだから、単なる虚脱になるだけ

本物はそこをわかって指導してるはずだけど、そのコトバの表面だけ切り取って誤解する人…時々います

体験を伴わず、情報の聞き齧りで知った気になる人は、とにかく汗かいて動いた方が良いと想うのです

小さな脳みそより、カラダ全体の方が森羅万象を感じるので、本質に近づけるから

ちゃんとしたヨガ講師などは"秒でなんちゃら"のストレッチなどしないはずで…

何故ならプロセスにこそ意味があると知ってるから

武道の帯だって、稽古しないでお金で買えたら価値がありませんからね!

〈偏りに想うこと②〉
カラダに必要無い部分はひとつもありません
全ての臓器も筋肉も、骨も神経も皮膚も…全てでカラダなんだし

骨が筋肉より大事とかどうとか…ナンセンスですよね?

建物で言えば、柱だって壁だって大事だし…水道や換気扇も必要不可欠
昔の人が凄い論など、ある種のファンタジーです

昔の人は舗装されてない道を草鞋や下駄で歩いたり、生活環境が違っていたし

昔にあって今はないものと
今はあるけど昔にないもの
の両方があるのだから…

人間そのものはそんなに変わっていなくて…環境がその時代に生きる人々の健康や体力を作っていたのだと想うのです

食べ物から生活速度、医療まで全く違うのだし
「昔が良かった論」は本質とズレた考え方ではないかな?

前提条件が違うのに
昔の人と現代人を比較して、今の方が劣っていると決めつけるのは…的はずれですよね

このファンタジー的思考が、古武術云々を魔法の様に勘違いさせるわけで

実際、伝承を受け継ぐ正統な古武術の人達は、魔法でなくて論理的なことしてるし…
めちゃくちゃカラダ鍛えてます
そういう人達の生の声を聞いてると、妄想は怖いと想うのですよね

〈固体・液体・気体のカラダ〉
カラダを「固体」としてのみ捉える人が多いけど
カラダには「液体」と「気体」の面もあります

60-70%の水分を含む水袋のカラダは…
全身を循環する「液体」のチカラで健康を保つと言えますね

呼吸によって内圧を作り
膨張収縮をする強靭なチューブや風船みたいな「気体」の側面もあるので

この「液体」と「気体」の働きが、固体のカラダに弾力を作り、様々な運動パフォーマンスを生み出します

物質的カラダだけでなく
「意識体」としてのカラダも(無意識含め)存在しているので
体調を整えるなら、物理心理の調和が大切ですね

健康面🔽
a固体〜栄養ある食
b液体〜ミネラル水
c気体〜空気や音楽

運動面🔽
a固体=楷書
b液体=行書
c気体=草書

ダンスでもスポーツでも
音楽でも食事でも…
環境や人とのコミュニケーションによって、感動を体感出来たなら
人は自ずと健康になるのではないでしょうか

〈カラダを液体として考える〉
温泉♨️で不機嫌になる人は、まずいませんよね?

産まれた姿(裸)でお湯に浸かってリラックスするのて、体内の液体と外のお湯が同期するのです

胎児の感覚が蘇るからか…微妙な浮力や、適度な水圧と温かさに包まれるのが、生理的に気持ち良いからでしょう

社長だろうと学生だろうと、お湯につかると…ただの人として向き合えるのも良いですね

銭湯♨️文化がある頃の方が、世の中がギスギスしていなかった気もしています

そして…日本は湿度も高く、それゆえに肌が若い(西洋人より乾燥しにくい為)のかもしれません

ちなみに私は代謝が良くて、汗をかくので…真冬でも汗がサラサラ

真夏は1日4ℓ、冬でも毎日2.5ℓ-3ℓは水を飲んでます
(個体差があるので、量を推奨しません!飲み過ぎは血液を薄めてしまい水毒になるので)

人生で一度も便秘や肩こりの経験がないのです!

これ、私の新陳代謝力によると想うんですよね

高齢者はお手洗いが近くなるのが嫌で、水分補給したがらない人がいるけれど…

高齢者こそ、適度な水分補給しないと…ますます循環が悪くなります

カラダの液体要素は重要ですからね

〈カラダを気体として考える〉
「気体」として考えると
呼吸は原初の運動で…呼吸・立つ・歩くは習わずに体得しますが

運動が上手い人で呼吸が下手な人はいません

吸気・呼気という様に…酸素を吸って吐くのに気という文字がありますね

空気の気ですが…
空気を読むが如く
気分の気でもあり
天気の気でもあり
電気の気でもあり
…と挙げたらきりがありませんが

そんな意味で…
ココロの面や空気中にある全てのエネルギーを含めて、気体のカラダもあるわけです

人間の細胞は全て素粒子レベルなら、隙間があって…その空間部分に音が響いたり、熱気が伝わるのですね

自然界には人間の聴覚で聞き取れない音があって、その音(音波・波動)が人間のカラダにも影響を及ぼすのは間違いなく
感覚過敏の私は、人が多くノイズのある街が苦手です

純正律と平均律はご存知かもしれませんが

自然界の音は純正律=ソルフェジオ周波数なのに…市場に出る音は平均律440Hzで、これは洗脳の周波数と言われています

ソルフェジオ周波数は覚醒の音…いわば音の栄養といえるので、音の波動からの体調回復もあり得ます

カラダを固体としてのみ捉えると、生命の本質を見失うでしょう


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