「普遍性」こそホンモノの証
クラシック(古典)という言葉は何を指すのか?
モダン・コンテンポラリー(現代的)とは何を指すのか?
ダンスで言えば、クラシックバレエを思い浮かべると思いますが…
そもそもバレエという言葉は、舞踊劇という意味でもあります。
バレエというフランス語の語源は、イタリア語(の古語)のバラーレ(=踊り)に由来するとされ…
古典の原作(ストーリー)を、現代的解釈でアレンジしたクラシックバレエは…古典なのか?と言えば…
やはり古典であると言えるでしょう。
そもそも古典にも、歴史に淘汰された作品と今に残る作品があります。
古典として残る作品は、時代の空気を受けながら適応し、生き続けた歴史があるわけで。
淘汰された作品は、それが生まれた時代に評価されたとしても…
時代を超える普遍性が無かったと言えるでしょう。
現代に残る古典は、新しさを纏いながら生き続けるものなのです。
美術品も歴史的建造物も、オリジナリティを損なわない配慮の上、修復されながら残っていて。
単なる古いもの…古臭いものなら残らなかったはず。
だから古さに価値があるのです。
新しいものには鮮度があるけれど、そこに普遍性がなければ…古典には敵わないと言えるかもしれませんよね?
何故なら…
アートもエンタメも数多く存在し、新しい作品が生まれるサイクルが早い現在(いま)
売れる=鮮度
が
残る=普遍性
より
優先されるから。
モノ消費も、長く使う前提でなく…短いサイクルで消費して、経済を回す仕組みの時代。
だから古民家再生は行われても、古民家の様に残る建物は、新築されないのです。
35年ローンが終わる頃には、住み替えないと暮らせない、今の住宅事情。
最新の近代建築以外は、建て直し前提の家。
中古に価値がある欧米の住宅事情とは、どうも違います。
着物など代々受け継がれる価値あるものが、(一部を除き)ほぼ着られなくなった日本。
何かがチグハグなんですよね?
モダンダンス(現代舞踊)という定義のダンスも、それが生まれたアメリカでは…
そのコンセプトが脈々と受け継がれつつ、未来に古典となるであろう作品が数多くあります。
アルビンエイリー舞踊団のレパートリーは、若いダンサー達が進化した技術で踊り継いでいますから〜古いけど古臭くない〜のです。
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コンテンポラリーダンスも、そうしたモダンダンスの血脈から派生したものや、全く別な派生で…
ストリートダンスの要素が入るなど、正に現代的作風のものも多いですね(特に欧米では)。
日本では型文化の良さの裏にある弊害か…
モダンダンスという「型」を突き詰めたことで、ある種の古臭さに陥ったダンスが…日本のモダンダンスのイメージとなってしまいました。
ジャズダンスにおいては、昔はジャズダンス=シアターダンスでしたが…
ジャズダンスとは…そもそも多様性を含んだもの。
今ではシアタージャズ・ジャズヒップホップ・リリカルジャズ・コンテンポラリージャズなど、様々なカテゴリーを含みながら息づいている現状。
ミュージカルというエンタメが、流行でなく文化として定着したのもあり、昔の作品が現代の空気で生き続けているのも…ジャズダンスに良い影響を与えています。
日本のカルチャー全体として見ると…落語と漫才・コントを考えると、クラシックとコンテンポラリーの違いがわかりやすいでしょう。
落語は今、ほとんどTVで放送されません。
しかし独演会で満席にする落語家さんもいますよね?
江戸文化を知らない世代が、これからの未来に落語を聴くのか?
本を読まない世代…
文字から想像を働かせる習慣なく、動画も早送りで観る世代に…落語家さん達はどう向き合っていくのか?
歌舞伎がスーパー歌舞伎を生み出した様に、スーパー落語みたいな現代的作品が生まれるなら…生き残るかもしれませんね。
古典もただ古臭いものは、時代に淘汰されます。
新しいカルチャーも、普遍性とパワーが無ければ…一過性で終わります。
私は武術やヨガも大好きで、そのジャンルの達人の方々と交流させていただいていますが。
ホンモノと呼べる人達の共通点は、普遍性を理解していること。
単に古い新しいでなく…
本質を理解・探求している人達はホンモノと呼べるでしょう。
武術・武道的なジャンルなら…
真田忍軍・吾妻衆の末裔である、伊与久松凬さんは「正当派クラシック」。
武道や古武術のエッセンスを自他護身として体系化した、護道の廣木道心さんは「コンテンポラリー」。
どちらも素晴らしいし、共通するのは普遍性です。
古武術を名乗りつつ、普遍性に至らなかったり…
ヨガを名乗りつつ、単なるストレッチだったり…
そんな「なんちゃって○○」が溢れる世の中。
ホンモノの価値が評価される日本であって欲しいと、常に想っているのです。