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悪魔と僕

『はぁ、来たよこの感覚』

目が覚めて、ひとりごつ。目の前のカーテンを開けて朝日を浴びることすら億劫だ。なんだったら、布団から顔すら出したくない。

何もしたくない。


本日は休日。とはいえ、やることは山ずみにある。
昨日洗っていない食器に、堆く積もった洗濯物の山。朝ご飯も食べないといけないし、二日後に迫っている未だ手をつけていない3000字のレポート課題も残っている。加えて、これから生き抜いていくための読書や、情報発信の勉強..。

考えるだけでも嫌気が差す。

こういったときにいつも現れる存在がいる。

『ねぇ!ゲームしよ!漫画読もう!遊んでよ!』

こいつ。

僕がなにかへ億劫になった時、週に2、3回くらいの頻度でいつもこいつは現れる。そして自堕落の道へと誘惑する。

いわゆる悪魔だ。

こいつが出てきたら僕は終わる。
生気が全て持っていかれて、やる気0になる。
そんな時は決まって自堕落な生活へと落ちていく。自己嫌悪に追われながら、泥沼へと沈むように。



音は時計の音とスマートフォンから流れるゲーム音のみ、光もスマートフォンと、カーテンの隙間から差す光だけ。
暗澹とした静かな時間が流れていく。
『まだやることが残ってるのに。』むっくりと自己嫌悪が顔をのぞかせる。それをため息一つで押し流す。


こうなってしまったら、どうしたって動けない。
こうなることが嫌だから、普段はスマートフォンの電源を落としてるのだ。

『またやってしまったな。』
そんな思いでいっぱいになる。あいつが来るといつもこうだ。


気づけばカーテンの隙間から差し込む日差しの色が変わっていた、明るく黄色い光から薄暗い赤色へ。隣の家から美味しそうな香りが窓の隙間から入ってくる。
思い出したようにお腹の音がなるも、完全無欠自堕落モードの僕は食べるために動くことすらままならない。
すると、「じゃあ寝ろ。」と言わんばかりに睡魔が僕を襲い、なすすべもなく眠りに落ちた。




夢だろうか。昔の光景がコマ割り映像で流れる。

何もないまま生きていくのが怖かった。それが死んでいることと同じように思えたから。
だから、学校の勉強も苦手な体育も頑張った。勉強はたまにしか1番になれなかったけれど上位5番には毎回入っていた。体育は中の中に見えるように頑張った。おかげで割と学力の高い高校に入れたし、私大上位5校のうちの一つには入れた。

けれど、満足はできなかった。上位5校とはいえ中途半端な結果、1番ではない。僕はまだ、なにかを手にした感覚を持てていない。

鬱屈とした感情を持て余しているとき、悪魔は現れた。
初めは抵抗していたが、ずっとごねる悪魔に耐えきれなくなり白旗をあげた。そうしたはいいものの、一向にやらなければならないことは進まない。気づいたら期限間近で焦って終わらせる。進んでいない分を取り返すために、寝る間を惜しんで自学習に勤しむ。そんな生活がもう1年近く経っていた。疲れた。

『どうしてこうなったんだ。』

想いが夢と現実にリンクして目が覚める。


時計の針は深夜の1時をさしていた。変な時間に寝たせいで眠気は吹っ飛び、空腹も吹っ飛んでいた。
相変わらず、僕のやる気君は戻ってきていない。やることは積み上がったまま。

思わずため息をつく。

悪魔は『遊ぼう!』と喚く。うるさい。

嫌になった僕は散歩に出かけた。



春は近づいてきたけれど、やっぱり夜中の外は寒い。少し体を震わせながら街灯のみの夜道を歩く。

周りは静かなのに、僕の中の悪魔はまだ喚く。
心を鎮めようとして散歩に出たのに、ざわついてしまう。

本当にうるさい。

たまらなくなって、自分の中にいる存在に怒鳴り付けようと目を向ける。
そこに居たのは、

5歳くらいの男の子だった。

あどけない顔で『遊んでよ!』と叫んでいる小さな存在に、思わず吹き出して笑ってしまった。
この1年恨めしく、きっと極悪非道な顔をしているに違いないと思い込んでいた存在は、全く想像とは違う存在だったからだ。

見え方が変わると、想いも変わるもので、悪魔も可愛いと思えてしまう。
同時に、なぜこうも『遊んで』と訴えてくるのか不思議に思った。

悪魔と呼んでいた幼いそれも、僕の中にいるもので、見え方が変わったからこそ彼の主張を聞こうと思えた。
そいつはもぞもぞとしながら呟いた。

『だって辛そうだったもん。』
そう一言。

何かを手にしないと生きてる実感は得られない。
そう信じて生きてきた。1番がほしい。実績がほしい。それがあれば生きてる証明になると..。
大学生になると、周りは各々の1番を目指して走りだしていた。そんな周囲に焦りを感じ、必死に喰らいつこうとした。
死んだように生きてるとは思われたくなくて、
目的もなく、走る方向が前だと言い聞かせて。

余白も、無駄も排して走る生活は知らず知らずに自分を磨耗させていた。
その結果、数日を余白や無駄に費やさないといけない身体になってしまった。
そういう時間が生きていくのには必要だったんだ。


自分が変わってしまったことを知ってしまえば、
気持ちが少し楽になった。

日本には「諦めは心の養生」ということわざがある。
いわゆる「諦めも肝心」ってやつだ。

出来ていない自分のことを、そろそろ諦める時がきたのだろう。
今の動けない自分を折り込んだ行動を考えて、前に進む時がきたんだ。

小さな悪魔は今日も僕の中にいる。
『遊ぼう!遊ぼう!』とせがんでくる。

彼を祓うことは諦めた。
彼も楽しくなれるような生き方を、ここから始めよう。




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