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【企画参加】反抗期の思い出
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私は反抗期らしい反抗期を、少女時代に親にぶつけることは無かったように思う。
それと言うのも、両親共働きで、母に至っては、看護師という仕事も手伝い、ほぼ家に居なかったので、反抗する対象が無かった。笑。
何なら、中学、高校の少女時代は、半分ぐれている状態だったので、大人達からは「ナイフみたいで怖い」と、言われていた。
しかし、ヤンキーではなかった。無かったが、周囲にはヤンキーが多く、いじめっ子がいても、助けられていた。
当時から、絵や小説を書いて生きていたので、一芸に秀でている、と思われていたからか、ヤンキー達は優しかったように思うが、家庭環境が複雑な部分に、共感を持ってくれていたのかもしれない。
中学のころは、ほぼ不登校だったのも、彼らには共感寄せられる部分があったのかもしれず、それを大学の教師に話すと、「それは、十分、不良だ」と言われた。そうかもしれない。
反抗期らしい反抗期は無かったが、人生の半分くらいが、社会に対して何らかの後ろめたい感覚を持ったまま生きていた。
人と同じことができないとか、勉強が苦手だとか、自分の好きなことにしか興味が持てないとか、まあ、非社会的な性格をしていたのも、いま思うと、発達障害の傾向は顕著だったように思う。
特に集団作業はダメで、すぐ席を立ってしまうし、人込みが苦手で(情報が多くて、疲れてしまう)、家の中での作業なら何時間と、続けられた。
そういう性質を見ていた両親は、私は芸術家肌で、他の子とは違う道に進むのだろう、と放って置かれてきたのも、いま思うと、ラッキーだったような気はする。
前置きが長くなったが、反抗期というものが何か、今のところはっきりとわかっていない私ではあるが、今思うとはっきりと「それだ」と、思える時期はあった。
大学の時期に母が浮気をした。否、あれは本気の恋だろう。
私が大学を卒業したら、愛人と結婚すると言って、喜々として離婚届を出しに出かける母の後姿を見たときに、「ああ、私たち家族は捨てられたのだな」と思った。
その辺りから、子連れの親とすれ違う瞬間に、自分の中に空洞ができていたことに気づいた。穴が開いた胸の中を風が吹く。そういう、奇妙な寂しさを持っていた。
しかし、大地震がきて、父は被災して生き残り、母の愛人は被災して、それをきっかけに母と別れた。
それと共に離婚は成立し、母は独りぼっちになった。
それでも、母親を見捨てられなかった子供だった私は、母が立ち直るまではそばに居た。こういう時ばかりは、「子供は親を選べない」を地で行っていた気はした。
当時の私は、精神的に少しおかしかったかもしれない。しかし、母を責めていながら、共に暮らさなきゃならない、という苦しみと、親から一時でも捨てられたという感傷が、私自身をいつも追いつめていた。
おそらく、その時期から自分の人生に対して、自暴自棄になっていたし、いつ死んでもいいという生き方をしてきたが、今思うと、周囲で支えてくれていた友人たちのおかげで、そして、今の夫のおかげで生き延びた、と思っている。
そういう微妙な反抗期を終えて、思うのは、つくづく人様の色恋沙汰に巻き込まれるもんじゃねえな、という感じだった。笑。
親も人間であり、子供の前以外では、まっとうな人間じゃなくなることも当然あることを、反面教師として学び、人の弱さというものを受け入れる訓練にもなったのかもしれない。
人は生まれて死ぬまで、究極的には孤独な生き物だ。家族でさえも他人だというのは、まったくそうで、むしろそういう感覚しか持てない自分を、少しだけ哀れだとは思う。
家族を一心同体だと、思って生きられるほうが、よっぽど人生は楽しいだろう、とたまにうらやましくなることもあるが、それはそれだ。
親がいい年になれば、まあ、自然と親の死を意識せざるを得ない訳で、今の私は、親が死んだときに「ああ、精いっぱい親子をやったなあ」と思えるよう、後悔を残さないように、生きることだけだ。
ある意味では、それが私の家族への反抗になっているのかもしれない。
※ちょっと、暗い感じになったので、この続きはこちら。(笑)
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