![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/87486960/rectangle_large_type_2_2d3cb9d91d92385576a30b5fbf4af3e0.png?width=1200)
天地伝(てんちでん) 2-3
三
「緊張するわ。君から誘ってくるとは、思わんかった」
庭の縁石の上に腰かけながら、東堂はふざけたことを言って、にやにやと笑った。わしは、それを睨みながら、牙をのぞかせる。威嚇のつもりが、意にも介していない。うっすらと微笑を浮かべたまま、膝の上で両手を組んだ。
「どちらだ」
東堂は「は」と、つぶやいて、まじまじと見つめてくる。「何のことやろ?」
「とぼけるな。貴様もあのじじいの差し金なんだろう」
低くうなると、東堂は顎をなでながら、宙空に目をやって首をかしげた。視線の先で、楓の葉が散った。
「ははあ、差し金っちゃ、差し金やけど。でも、これは僕の仕事やし。恭一郎さんが、由紀さんのこと知るには、てっとり早いと思うたんやけど」
「何を企んどる」
「企む?」
わしはいい加減で、噛みついてやろうと、低くうなった。ひらひらと交わすように話す口調や声が、やけに癪に障る。じりじりと近づき、飛びつこうとしたが、それより早く東堂が口を開いた。
「僕は、旦那が好きなだけです」
その言葉に、思わず足を取られ、その場でバランスを崩した。緊張の糸が途切れ、得体の知れないものへの侮蔑感へと、変化した。否、この男が嫌になったのだ。血の気が引き、鳥肌が立つ。
「何ですか、その目。僕のこと変態か、何かと勘違いしてはる?」
「近づくな。気色が悪い」
「ひどいなあ。君のことも、結構気に入ってますよ」
飄々と言う、東堂の笑顔を見ていると、力が抜けていった。ばかばかしくなってうなだれる。なるほど、タイマの言っていた通り、言動も外見も奇天烈だった。そして、この周りを煙に巻く態度や、やり方には既視感を覚える。
これよりも、もっと奔放で、質が悪く、勢いのある、自分勝手な振る舞いである。言うまでもないが、こいつもタイマと同じ属性だ。つまりは、「狂い」の一人と、言うことだ。
わしは、うなだれたまま東堂の顔を見上げ、ため息をついた。
「それより、あの女」
東堂は、ああ、とうなずいて、灰色の目を細めた。
「由紀さんやろう。君も大概、過保護やね」
「何の話じゃ」
「まあ、ええわ。旦那が言っていたように、由紀さんには予知能力があるんや。夢の中で、断片的とは言え、大分、先のことまで見えてしまう。
だから、旦那と同じように、気味悪がられてな。隠し部屋で、長いこと飼われとったようや。それは、いま向こうでも、きちんと説明してるやないか」
そう言って、愉快そうに笑った東堂に、鼻を鳴らした。
「そんなことはどうでもいい。聞きたいのは、貴様のことじゃ」
「はあ。僕が何か?」
東堂は短い頭をぽんぽん、とたたきながら、わしの顔を見つめる。尻尾を振って、起き上がると、目を細めて東堂の双眸を睨んだ。
「どこまで知っている?」
「どこまで、とは?」
あくまでもしらを切ろうとする東堂に、鼻を鳴らして、笑った。
「わしと、あの男が何か、貴様は知っているのか?と、聞いている」
「ははあ」
「返答に注意しろ。うっかり琴線に触れると、喰ってしまうかもしれん」
「いやあ、犬にも心があるんやね。知らんかったわ」
東堂は笑みを崩さずに、縁石の上で足を組んだ。ワイシャツの襟を正して、わしを、まっすぐに見つめた。
「僕がね、何でも屋って仕事をやっているのは、この外見のせいですわ」
「話をそらすな」
「そらしてませんて。疑り深い子やね。旦那とは大違いや」
「あいつは頭がおかしいだけじゃ」
わしは、東堂の頭の後ろでゆれている、楓の葉を見上げた。鮮やかな緑が、茶色い髪の毛に、よく映える。そのうちの一枚が、風に吹かれ、ゆらゆらと空を舞う。左右に揺れながら、ゆっくりと足元に落ちた。東堂はそれを拾って、指先で弄びながら、微笑を浮かべた。
「僕はね、イタリアとの合いの子なんですよ。本名は、東堂・ファットーリ・志麻夫。長いから、覚えんでええよ。だから、東堂シマオって、名乗っとります。生まれは日本ですが、関西で育てられましてね。しゃべり方まで、江戸じゃあ、浮いてまって。髪の毛も目の色もこれでしょう」
「知ったことか」
「でも、洋服はよう似あいますやろ」
「ふざけているなら、喰うぞ」
「僕は君らと違ごて、なんの力もありませんよ」
東堂はにや、と笑みを浮かべて、持っていた楓の葉を弾いた。白い指の先から舞った緑が、わしの尻尾の上に落ちる。
「それほど不粋やないってこっちゃ」と、言ってわしをじっくりと、探るように眺めた。尻尾の先を舐めながら、「なるほどな」と牙をのぞかせて、笑みを浮かべた。
「タイマも、そこまで阿呆ではなかったようだな」
「なんです?」
「信頼はあっても信用はないって、ことじゃ」
不思議そうな顔をして、眉をよせた東堂を見つめながら、鼻で笑った。こいつは、本当に何も知らないようだ。おそらく何かを、勘ぐってはいるのだろう。だが、会話の端々で、真実を濁し、うやむやにして、じりじりと、こちらの喉もとまで迫ってくるやり方は、タイマとは違う。まるで蛇のような男だ。
「ところで」と、話を変えた。追及する気がないのか、東堂もわしの顔を見つめながら、にっこりと笑んだ。黄色い目を細めて、その笑いを見据える。
「貴様が、この体を調達したらしいな」
「あ、そうそう。旦那をね。最初、永代橋の辺りで見つけた時は、驚きましたわ。妖怪かと思て、退治しようとしたら、かえりうちにあってまって」
「だろうな」間髪入れずそう言ったわしに、東堂は苦笑いを浮かべた。
「で、いろいろ話していくうちに、気があってまって。恭一郎さんが、最初、僕のこと見て、なんて言ったかわかります?」
「ろくでもないことに決まっとる」
それはあんまりやなあ、と東堂は嬉しそうに笑って、鼻の頭をかいた。
「こんなきれいで、奇天烈な人間、見たことがない。こそこそしないで、堂々と見せびらかして歩いたらどうだ。勿体ない。って、あの心底わからないって顔で、はっきり言いはった。もう、僕は言葉の通り、仰天しましたよ。すごいお人に出会ってしまった」
「またか」わしは、舌打ちをして、ため息をついた。それに東堂は怪訝そうな表情をして、「何です?」と、言った。
「ここにも信者がおる、と思ったら、うんざりしただけじゃ」
「信者じゃないですよ」東堂は苦笑を浮かべて、立ち上がった。「それから念のため言うときますけど、僕は敵でも味方でもないですって。旦那には大恩があるから、それを返しきったら、敵になる可能性も、まあ、ありますけど」
ポケットに手をつっこむと、座敷に向かって歩き出した。茶髪の角刈りを眺めながら、「そりゃいつだ?」と、問うて笑った。長い足が、苔むした縁石をひょい、と飛び超えてから、わしの方を振り返ると「命が尽きてから、でしょうな」と、言って笑っていた。
その天の邪鬼ぶりに、呆れたため息をついたが、なかなか面白い奴だと、見解を改めた。もちろん、油断のならない男であることに変わりはないのだが、タイマを見る時の穏やかなまなざしだけは、うそではないようだった。
いいなと思ったら応援しよう!
![当麻 あい](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/120058445/profile_d4adc6796e171bf7d964ebfde79e9342.jpeg?width=600&crop=1:1,smart)