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紅筆伝 1-8
八
「死臭だと?」
男は不快そうな表情を浮かべて、店の入り口そばにある、鉄の椅子に座りこんだ。
「ここは、変なものを解決してると、聞いた。噂で」そう言いながら、男は嫌なものを見るような目で、タチバナを眺めた。
「それが、言うに事欠いて、人のことを死臭呼ばわりする女だとはな」
そう言いながらも、無表情なタチバナの様子に、何かを諦めたように、話を始めた。
「うちは古いアパートなんだが、その、床が……、おかしいんだ」
タチバナは、そばにあった椅子に腰かけ、真子にも椅子を勧めた。細いくちびるを引き延ばして、「床?」と、小さくつぶやいた。
男は、神妙な面持ちで、うなずくと、深いため息をついた。
「黴が生えるんだ」
「かび?」
「ああ。しかも、人の形をしている」
その話を聞いた時、タチバナは古い友人の顔を思い出した。
ああ、そうだ。そうだった。あいつだ。蒲田は、たしか、以前この店を利用していた客だった。根暗で、そして。
「黴になった男だ」
囁いた一言に、店内は、シン、と静かになった。男も、真子も、八枯れも、みな一度、目を合わせてから、タチバナをじっと、見つめた。
男は、それでも話をつづけた。
「最初はなんでも無かったんだ。だけどな、信じられんかもしれんが、フローリングの床だ。黴がな、黒い人の形をして浮き上がってくるんだ。何度も、何度も、何度、張り替えても。必ず、黴が浮き上がってくる。気持ち悪くてな」
ふう、と男は一度、大きく息をついてから、顔を両手で覆う。
「前の住人もな、同じ理由で退居してんだってよ。不動産屋の奴ら、事故物件を俺に紹介しやがって。話を聞くと、何度ハウスクリーニングをしても、浮かび上がってくるんだとよ。まったく、」
そんな建物ぶっ壊しちまえばいいじゃねえか。そう低くつぶやいた男の言葉を聞きながら、タチバナも小さくため息をついた。ちら、と八枯れを見ると、退屈そうに一度、あくびをしていた。
「何じゃ、貴様の問題ではないか」
「なんだと?」男は猫をおそる、おそる見たが、八枯れはそれを無視して、タチバナを鋭く睨む。
「たしか、昔来たな。赤也の所へ」
そう聞いた八枯れの声は、思いの他、低い。声音の中に、静かな怒りをにじませているようだった。
タチバナは、心底どうでも良さそうに、うん、とうなずくと、「面倒くさいから、坂島の坊っちゃんに任せようか」と、だけ言った。
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