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子供の頃に読んだ本 『クマゼミの島』

 子供の頃に虫が好きなどこにでもいそうな少年だった私だが、一番好きな虫は、カブトムシでもクワガタでもなく、セミだった。
 セミは、夏の訪れ、ひいては夏休みの訪れを告げる虫として、私の気持ちを高ぶらせる存在だった。小学生の頃は、不登校などにはならなかったが、学校に行くことがあまり好きでは無かった。というよりも、嫌いな方だった。進級して四月になると、夏休みまで何日、とカウントダウンするくらい、夏休みを待ち望んでいた。

 私の田舎にいたセミで、一番多く鳴き声が聞かれたのは、クマゼミ、というセミだった。いまでは東京でも鳴き声が聞かれるくらい生息域が広がっているが、もともとは南方のセミだ。私が上京した三十数年前、東京でクマゼミは鳴いていなかった。神奈川の西の方に行くと、時折聞こえていたが、その後横浜でも鳴き声が聞こえるようになり、2000年代に入って、東京の港区あたりで聞こえるようになり、数年前くらいから、都内二十三区内はどこでも鳴き声が聞こえるようになった(といっても場所によっては稀に聞こえるくらいだが)。

 クマゼミというセミは、私にとっては夏と切り離せないセミだが、このセミを取り上げた本が、『クマゼミの島』という本だ。学研の動物の記録、というシリーズの中の一冊で、私は他に、『ホタルの歌』『アカウミガメの浜』というものも読んでいる。学研のシリーズなので、割合長く出版されていたようで、この本を読んだ、と言う人もネットで検索してみると結構見つかる。
 著者は、島本寿次としじ。元になったのは、読売新聞が主催している日本学生科学賞の第十四回で、中学生部門で学校賞一位を獲得した、香川県の瀬戸内海に浮かぶ岩黒島(いわくろじま、とも言うようだが、この本ではいくろじま、となっている。学校名も同様)という島の岩黒中学校という中学校のクマゼミの研究だ。
 日本学生科学賞のサイトで第14回1970年を見ると、『香川県 坂出市立岩黒中学校 クマゼミの研究』と、出てくる。
 この研究を行なった中学生たちを、ノンフィクションの記録風に書いたものだが、この中学で科学的な研究を行なうようになったのは、新任の先生が赴任してからのようだ。瀬戸内海の小島に新任の先生がやってくる、という展開は、壷井栄の『二十四の瞳』を連想させるものがある。

 実際、この『クマゼミの島』は、どこまで当事者に話を聞いて書かれたのか、一人一人の登場人物の言動など、どことなくドラマ仕立てになっていて、フィクションも交えて書かれているんだろう、という感じは読んだ当時感じていたことだった。
 学研のこのシリーズ全体に、読み物として面白くしよう、という意図も感じられて、『ファーブル昆虫記』よりは、『シートン動物記』寄りな印象だった。もちろん、分類としては自然科学の棚に置かれてはいた。
 私がフィクションを特に疑ったのは、セミの鳴き声を聞いて、オシロスコープに表示されるような波形を、耳で聞いて鉛筆で書きとった、という部分だった。そんなことができるのか? と自分でもやってみようとしたが、どうやっても出来なかった。そんなことをしても恣意的な記録にしかならないんじゃないかと思ったものだ。

 後年、ネットでセミの研究などを調べたときに、この本に言及している学者が、この本の内容を批判しているものも見かけた。とくにセミがなぜ鳴くのか、ということに対して、この本の内容に問題がある、というようなことだったかと思う。数十年前の中学生の研究にいちゃもんを付けるようだとまでは言わないが、それだけこの本が読まれていたことにもなるのだろう。

 クマゼミという馴染みのあるセミの話で、島の子供たちの生活の様子も、田舎の子供だった私には親近感を持つ点も多くて、それも含めて楽しく読んだものだった。
 瀬戸大橋の橋脚が立つ島となった岩黒島は、人口が減少し、クマゼミの研究を行なった岩黒中学校も2024年3月末で廃校となっている。『クマゼミの島』が出版されてから五十年以上が過ぎ、時の流れ、と言ってしまえばそれまでだが、寂しいものだ。

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