子供の頃に読んだ本 『マキオのひとり旅』
『マキオのひとり旅』(生源寺美子:著 岩淵 慶造:画)は、1973年の全国読書感想文コンクールの課題図書になっている。私の家にあったのは、銀色の丸いシールが貼られていたので、1973年に購入したものだったのだろう。ただ、私が、というか、私のために購入したもの、という記憶が無いので、姉のものだったかもしれない。
大雑把なあらすじ。
名古屋から、春休みに東京の従妹の家に来た小学三年生のマキオ。従妹のちあきと、まだ赤ん坊のちあきの弟ヒサオが、マキオを迎える。しかし、ヒサオが病気になってしまい、マキオとちあきは、ふたりで留守番をすることに。
一人っ子で甘えん坊で、一人で留守番もできないというマキオが、幼稚園児なのにしっかり者のちあきと一緒に過ごす春休みに起きる出来事が綴られる物語。
耳の遠い家政婦とか、死んだ子猫とソユーズ11号の話とか、色々と印象に残っている。
私はムクドリを見ると、この話を思い出したものだった。
私は姉弟が居たので、一人っ子というのが良く分からないが、留守番が怖いとかいう感覚も良く分からなかった。家族がいない家に一人でいるときの解放感というものが、寂しさ等に勝っていた記憶がある。
ただ、自分がしっかりしなきゃ、という、プレッシャーのようなものには、ちょっと共感した。私は、長男なんだからしっかりしなさいよ、と言われ続けていたからかもしれない。
たった五日間の話なのだが、マキオにとってはそれだけでも成長をみせている。従妹のちあきやヒサオという妹や弟みたいな存在と一緒にわずかな期間でも生活したことがマキオを成長させたのだろ。
マキオが出来なかったことは、私にはできることばかりだったが(親や姉から、あんたも手伝いなさいよ、とか強制されたりしたこともあるが)、一人っ子と姉弟がいるのとでは、人に対する対応が社交性だとかとは別に、人に対する、免疫みたいなものが出来るのかもしれない。
姉や妹がいれば女性に、兄や弟がいれば男性に。ワクチンの反応が人によって違うように、兄弟がいるからと人によって反応は違うだろうが、いるのといないのとでは、その人の人間性にも違いがでるだろう。
今のこの本は販売が続けられているようで、前に取り上げた『大きい一年生と小さな二年生』のように、この本もロングセラー作品のようだ。
時事的なネタに時代を感じるところはあるが、全体的には、そこまで古さは感じない(といっても、当時を知る私の感覚でだが)。
毎年新しく児童文学や童話は出版され続けているが、こうした昔の作品は、今の学校や子供たちの間では、どういう扱いなのか、ちょっと気になるところではある。