少女漫画について感じるノスタルジー
※男性が語る少女漫画、に嫌悪感を感じる方は以下の文は読まずにお戻りいただけると幸いです。
それでもいいよ、と言う方はどうぞ。
漫画好きな姉が二人いたので、子供の頃の私の周りには少女漫画が溢れていた。たぶん、私が初めて読んだ漫画は少女漫画だったのだろう。私が男にも関わらず少女漫画を読んでいたのは、こういう環境もあった。
以前、自分がどんな少女漫画を読んできたのか回想したことがあったが、一番古い記憶は、みを・まことの『キノコキノコ』か、弓月光の『出発シンコー!』か、一条ゆかり『こいきな奴ら』だった。『出発シンコー!』と『こいきな奴ら』は、どちらも1974年の『りぼん』新年号から3月号にかけて連載されているので、これくらいから読み始めたようだ。
弓月光の『出発シンコー!』とか、とても『りぼん』どころか、少女漫画誌に掲載されていたとは思えない作品だが、子供の私はそんなことは考えずにケタケタ笑っていたような記憶がある。
他に、Wikipediaで『りぼん』の連載作家を見て、私が記憶にある漫画家を適当に書くと以下のような感じ。
赤座ひではる、土田よしこ、しらいしあい、坂東江利子、みよし・らら、ところはつえ、田渕由美子、太刀掛秀子、陸奥A子、金子節子、佐藤真樹、小田空、高橋由佳利、小椋冬美、池野恋、萩岩睦美、多田かおる、くらいまでは記憶に残っている。
他にも読めば思い出すかもしれないが、上にあげた人たちの中には、作品名を思い出せない人もいる。
姉が買っていた漫画は、他に、『なかよし』『週刊マーガレット』『別冊マーガレット』『週刊少女コミック』『別冊少女コミック』『少女フレンド』、だったと思う。
姉からだけでなく、高校の時にクラスメートから借りて読んだこともあるので、他に、
『月刊プリンセス』『花とゆめ』『ぶ~け』は読んだ記憶がある。
それぞれの漫画誌の作家の名前は全てあげているときりが無いので、上げないが、有名どころだと、里中満智子、池田理代子、山本鈴美香、萩尾望都、大和和紀、上原きみこ、竹宮惠子、青池保子、魔夜峰央は読んだ記憶はある。
作品の細かいことを覚えている人もいれば、読んだ記憶はあるなー、程度まで千差万別だが。
私の姉達は、私が少女漫画を読むことに関しては、結構躁鬱的な対応をしていた。自分の方からこれ読んでみなよ、と渡してくることもあれば、何勝手に読んでんの、と怒ったりと言った調子。その時の気分で態度をころころと変えていた。
時々、何が目的なのか、これを読んで感想をきかせろ、と言ったりしてきたこともある。誰の作品だったかは覚えていない。
困るのは、複数の作品を読ませたりして、どのヒロインが一番可愛いと思うか、この作品にでている女の子では誰が一番好きなのか、なんてことを実験の様に試されることだった。
だれを可愛いと言っても、えー、その子がいいの? とか、そういう趣味かー、と、ちょっと馬鹿にしたような言い方をされるのが嫌だった。
これの男性版で、どのヒーローが格好いいか、なんてのもあった。これは、姉たちが普段だれがカッコいいか口に出しているので、適当にその中から選んでおけば良かったが、姉達の趣味が違っていると、私が選んだことで、だよねー、と一方が喜ぶ傍らで、もう一人の姉が、ぐぬぬ、という顔をしている、という調子で、私はあまり気が休まらなかったものだ。こういう質問を断ると、じゃあ、もう漫画を買ってきても読ませない、という決まり文句を言われるのが落ちだった。
姉からだけでなく、高校の時にクラスメートから借りて読んでいたが、そんなことが出来たのは、私を含めて、少女漫画を読む男子は複数名いたが、結構男女の中が良いクラスだったので、女子もそれに割と寛容だった、ということもある。
とはいっても、男が少女漫画を読むなんて、と、自分たちのテリトリーに入ってくるな、という拒絶反応を示す女子もいれば、自分の知っていることを話したがりなのは、一定のオタクと言われる人の性なのか、自分の好きな作家の作品をあれこれと進めてくる女子もいた。
私は萩尾望都の、特にSF作品が好きだが、それ以外の、初期の萩尾望都の作品については、高校の時に萩尾望都ファンだった女子から借りて読んだコミックで知ったものが殆ど。くらもちふさこファンの子とかからも、幾つかの作品を進められたりした。
高校も学年が上がるごとにクラスも変わって、そういった、男女和気あいあいなんて雰囲気でもなくなっていったので、次第に少女漫画を読む機会も少なくなり、高校を卒業してからは、自分の好きな漫画家以外は殆ど読まなくなった。1980年代後半以降の少女漫画家については、ほとんど知らないし、知っている作家でも作品はあまり読んでいない。
少女漫画からは離れて久しいが、こんな感じなので、記憶にある漫画家のことがニュースになったり、ネット上で話題になったりすると、直ぐ反応してしまう。
萩尾望都の、『一度きりの大泉の話』は、出版されて一月ぐらい後に知って、直ぐに書店で買った。
大泉サロン、なんて言葉は、高校生くらいの頃には知らなかった。漫画好きなクラスの女子から、萩尾望都と竹宮惠子が一時、一緒に暮らしていたことがある、という話を聞いていたくらいだった(大泉サロン、という言葉は後付けのようだけど)。
作家の確執、と言うのはよくある話で、個性のある創作家が一緒に住むのはだめだ、とこの本のなかでも言われている。
萩尾望都も竹宮惠子も漫画家として好きなので、ちょっとショックを受けた本ではあった。
萩尾望都という漫画家をテレビで見たりしたことは何度かあるが、大分落ち着いた大人の女性、というイメージだった。里中満智子は、法隆寺の釈迦如来、とかって言っているが、言い得て妙、と言う感じ。
この本では、ちょっと、少女っぽい文体に感じて、こんな感じの文章を書く人だったけ、と、他の本を読み返してみた。基本、あまり変わらないようにも思いつつも、自分の若い頃を思い出して書いているからか、他の本を読んだ時より、少女性を感じさせる文体になっている気がした。
普段少女漫画について誰かと語るなんてことはない。むしろ、隠していると言ってもいいくらいだし、私の記憶もだいぶ古いものになってしまっているので、少女漫画好きと言っている人とも話が合わないことが多い。
姉の娘、姪っ子がアニメ好きとかで、アニメや漫画の話をしたことがあるが、萩尾望都の名前は知らなかった。ジェネレーションギャップってやつだな、と思ったものだ。
「この子、オタクっぽくなってて困るのよね。漫画とかアニメばっかり見てて」
そう言う姉をみて、あんたがそれを言うのか、内心と思っていた。姉たちは、大人になってからは、漫画などは殆ど読んでいないようで、昔読んだ漫画も粗方処分していて、子供の頃のことは忘れてしまったかのようだ。
姪っ子には、少女の頃の母親の話を聞かせてやろうかと思っているが、まだ話してはいない。それを言うと、あんたも私の少女漫画を読んでたでしょ、という反撃が来るまでがセットになるだろうから。
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