短編小説 ジャネット彗星
「そっち持って。ここに移動させるから」
「もうちょっと右」
裕美たちは、クラスで学校近くの老人ホームに慰問に来ていた。やっているのは、クリスマス前だったので、クリスマスツリーの飾り付けなどや、普段あまり手入れの行き届かない庭の掃除とか、そういう作業をしていた。「飾り付けはこんなもんでいいんだっけ」
クリスマスツリーには、リボンや電飾、ボールオーナメントなど取り付けられている。
「これ、七夕の飾りじゃないの?」
友人の和美が掌に乗せているのは、星の後ろに三本の線が走っている、流れ星の飾りだった。
「え、一緒に入ってたわよ、他の飾りと」
もう一人の友人、正美がポインセチアの鉢植えを持って通り過ぎながら言った。
「正美の趣味か~」
「まあ、いいんじゃないの」
裕美は笑って言った。 全て黄色の流れ星の飾りは、他の派手なクリスマスの飾りに紛れて、それほど目立たなかった。
「それは、流れ星かい?」
裕美は不意に後ろから話しかけられて、ちょっと驚いたが、振り返ると車椅子の老人がクリスマスツリーを見ていた。
「はい。そうだと思います」
別に名前が書いてあるわけでは無いが、まあ、たぶんそうだろう。
「流れ星は、もっと真っすぐ、流れるもんだけどね」
分厚い黒縁の眼鏡をした、大分頭も薄くなった老人は淡々とした口調で言う。
「はあ。まあ、ほんの一瞬光るだけですから、光の矢みたいな感じではあると思いますけど」
ちょっと面倒くさい人なのかと思ったが、星が好きな裕美は思わずそんなことを言った。
「光の矢は、良い表現だね。何故か流れ星というと、そんな絵を描く。その絵だと彗星みたいだけどね」
老人は目の前につり下がった流れ星の飾りを見ながら言う。
「彗星を見たことはあるかい?」
老人は裕美に質問した。
「はい。天文台の観望会で見せてもらいました」
「天文台で。星が好きなんだね」
老人は笑顔になって裕美を見た。
「実はね、私は昔、アマチュアの天文家だったんだ。彗星を発見したこともあるんだよ」
「へえ。すごいですね。何て彗星ですか?」
「ジャネット彗星」
「え?」
彗星の名前を聞いたつもりの裕美だったが、その返事に戸惑った。
「あのう、おじいさんの名前は、なんて言うんでしょうか……」
「私かい。私は、高星和郎と言う名前だよ」
「彗星の名前は、発見者の名前が付くんですよね。ジャネット彗星だと、ジャネットさんじゃないんですか?」
高星和郎と名乗った老人は、眉を上げて驚いて見せた。
「ほう、君は本当に星に詳しいんだね。その通り、見つけた人の名前が付く。まあ、本当は私が見つけたんだ。プレゼントの意味で、ジャネットが見つけてことにしようとしたけど、ジャネットには反対されてね」
老人はそう言って懐からパスケースのようなものを取り出した。
「これがジャネットさ」
だいぶ色の褪せたカラー写真に、若い頃の高星老人らしい眼鏡の男性と腕を組んでいる、 外国人の女性の姿があった。
「彗星は、発見したあと行方不明になってね。それからは手くいかないことばかり。ジャネットとの結婚は私の両親も向こうも反対して、色々あって、それっきり。
ああ、すまないね。つい老人の昔話を聞かせてしまって」
老人はそう言って、車いすを回して、立ち去って行った。
裕美は家に帰っても、ちょっと気になって、ネットで彗星について調べてみた。
過去に発見された彗星の一覧は、天文学会のサイトにあった。おそらく老人が若かっただろう、7,80年前から彗星の名前を見ていった。日本人の名前の付いた彗星は多い。一人で幾つも見つけた人もいる。
しかし、どれだけ調べても、高星、と言う名前の彗星も、発見者もいなかった。ジャネットで探してみたが、そちらも無い。
――嘘ついているようには思えなかったけど。
もう大分昔の事なので、記憶も自分の都合の良いように修正してしまったのだろうか。
***
クリスマス当日の慰問には、吹奏楽部が演奏を行なっていた。裕美は吹奏楽部ではないが、サポートとして自主的に参加していた。あの老人が気になっていたこともある。
「あのう、高星和郎というおじいさんは、いらっしゃいますか?」
裕美は老人ホームの職員に聞いてみた。
「高星さん? ちょっと待ってね。ねえ、高星さんてどうしたんだっけ?」「ああ、高星さんなら、先週から体調を崩して、大学病院に入院中ですよ」 他の職員は、そう返事した。
「そうですか」
彗星のことをもう少し聞いてみたい気もした裕美だったが。老人には会うことは出来なかった。
***
年も明けて、学校も始まり、裕美たちはテスト勉強のために図書館に来ていた。正美が遅れていて、和美は気にせず書架の間を歩き回っていた。
裕美は雑誌が置かれているコーナーで天文雑誌を読んでいた。
彗星や小惑星に関するコーナーで興味深い記事を見つけた。
長い間行方が分からなかった彗星が見つかったという記事だった。月刊誌なので、記事の内容は先月、前年の十二月のことになる。
『マクストフ・オルソン・ガレー彗星が、五十年ぶりに再発見されました。同彗星は発見後暫くして行方が分からなくなり、太陽に近づいて消滅したのではないか、とも言われていました。
今年十月に、アメリカの公共天文台で彗星が発見され、その軌道から、五十年間行方の分からなかった、マクストフ・オルソン・ガレー彗星であることがわかりました。この彗星は、日本では、アマチュア天文家の高星和郎氏によって独立発見されていますが、マクストフ、オルソン、ガレーに次いで四番目の独立発見であったために彗星に名を残すことは出来ませんでした。 再発見した天文台の職員のコメントは以下のようになっています。
はい。私が観測中に発見しましたが、過去に同じ軌道の彗星が無いか、まだ判っていなかったので、緊張しました。それで、それが判るまでの仮の名前として、天文台の職員の間では私のファーストネームで、ジャネット彗星、なんて呼んでいました。これがパーマー彗星になれば、私にとって最高のクリスマスプレゼントになったんですが。まあ、それでもこういう経験が出来たことは幸運でした。
再発見者のジャネット・パーマー氏の談話』
――あのおじいさんは本当に彗星を発見してたんだ。
この記事をあのおじいさんも読んでいればいいのに、と、裕美は思わずにはいられなかった。
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