詩を紡ぐということ
先日、たまに一緒に音楽作りをしている弟から、「〇ちゃんの最近の歌詞は、以前みたいな心に突き刺さる言葉がない」といわれました。
中学時代から詩や歌詞を書いてきて、今、ずいぶんまえの詩や歌詞を読み直すと、いい詩、いい歌詞を書いていたなあと、自覚していたので、やっぱりそうだよなと思いました。
あの頃は、いい詩、いい歌詞を書こうという意識はなく、浮かんでくる言葉を紙に書き留めて、紡いでいってひとつの詩や歌詞になっていきました。
当時は無欲で書いていましたし、詩や歌詞の意味もわかっていたはずですが、今読み直すと、どんな意味、どんな思いで書いたのかわからなくなっています。
とくに歌詞は、詩的な表現とストレートな表現が、かきまぜるたびに色がかわる絵の具のような矛盾を包み込んだまま、ひとつの歌詞になっています。
例として、「冬のひまわり」は花言葉がモチーフですが、こ「言葉が枯れ果てて、語る息を失っても」のあとに、「歌い続けてゆく」と続きます。
言葉が枯れ果てている私の今ですが、まだかろうじて語る息はあります。
語る息を失ったら歌えないだろうと、ひとつでつっこんでいます。
noteには、たくさん素晴らしい詩や物語を紡いでるクリエイターさんたちがいます。
私はそれらの作品を読むたびに、正直、うらやましいなと思います。それでいて、読みに行くことが楽しみにもなっています。
詩のなかにちりばめられた言霊は、作者がこの世を旅立った後も、人の心のなかで生きていきます。その作品は、年齢ともに成長、昇華されて、年を重ねたあと、若い世代のときとはちがったきらめきを放ちます。ひとつの作品が万華鏡のように変化し、留まることを知りません。詩を紡ぐことは心を紡ぐこと。それが、私にとっての詩であり、歌詞です。
※この記事、なんか詩っぽいので、詩にしてみます。😄
(Prologue)
星谷光洋MUSIC Ω『HAPPYをくれ!』
トップ画像のクリエイターさんは『Kiyomasa@石垣島在住フリーランス』
さんです。ありがとうございます。😀