コミュ障だけど、営業したい

新卒の時から同じ仕事をずっとしてきた。
証券会社のセールスだ。
コミュ障な自分がもう10年もこの仕事を続けているのは意外だ。
正直決して成績が良いわけではないが、それでもコツコツと続けてきた。

会社では、商品のセールスポイントは教えてくれるけど、営業トークは教えてくれない。
売れるセールスとはなにをしているんだろう。
何をお客様と話し、どうやって決断させるのだろう。
最近になって長年の疑問がやっと解けた。

今年はまだ4ヶ月しか経ってないが人生ゲームのコマを進めるが如く、色々なことをした。家を買った、車も買った、あと子供も産んだりした。

仕事では何百万何千万の単価の商品を売ってきたが、買ったことはなかった。
客の立場になって初めて分かった。

営業に必要なのは、口のうまさでもコミュ力でもない。
論理的な商品知識と、あとは、買うでしょ?という雰囲気だ。

この商品のよさを説明できるのは、最低条件だ。問題はその後だ。

その後、おずおずと、いかがですか?と聞かれたら最悪だ。
高い買い物だからどうぞもちかえってください、決められないですよね、と引いて見せるのは思いやりではなく、逃げだ。
売ってる立場だから分かるのだが、営業マンてしても売る商品が高額であればあるほど怖い。相手の人生にとってこれが最良の決断なのか確証が持てないので怖い。
でも顧客の方がもっと怖い。なので顧客より先に怯んではいけない。

だからといって押し付けがましいことが重要なわけでは勿論ない。
あくまで買う決断は購入者が行う。セールスが決めるのではない。
この商談がいかに正しいものであるかを延々と説明されて決断を促されたこともあるが、そういうセールスからは物を買う気にはなれない。

買いますか?でも買ってください!でもない。
大事なのは、買いますよね?という雰囲気。そこに必要なのは山のような動じなさ。
商品の説明をしてお客がある程度納得していたら、もうさらっと購入手続き方法の説明に移行するくらいでよい。

セールスはその業界のプロだが、客はいつだって素人だ。少なくともセールスよりは業界の知識がない。
それでも商品を買う。買うという決断をする。金額が大きいほど当然悩む。
思うにセールスの存在意義とは、顧客の決断の肯定だ。
プロの私から見てもこの決断は妥当でメリットが大きい、だから当然進むべきだ、という肯定だ。
顧客が自分はいい買い物をしてると安心できること、それがセールスの存在意義ではなかろうか。

そして、この人の肯定なら安心できる、そう思ってもらえることが営業の“人間力”なのだろう。

仕事好きだと思ったことあんまないけど、ちょっといま仕事したいなと思った育休中の私なのでした。

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