雷命の造娘:~第一幕~ともだち Chapter.5
大通り沿いに出来る長蛇の列。
それは左右から挟み込むかのように並び、口々に熱狂を叫んでいた。
その声援を浴び、中央を長い行軍が続く。
物々しい科学武装兵士達が、一糸乱れぬ連帯動作で行進を刻んだ。無感情な守人は、然れども周囲への愛敬を振り撒く事などしない。
ウォルフガングの強いた〈完璧なる軍隊〉のセレモニーだ。
「……驚きましたね。まさかアレが、ここまで民衆から支持されているとは」
群衆に紛れて遠巻きに眺めるブリュンヒルドは、信じ難い状況に軽い驚嘆を溢した。
至近距離からでは発見されてしまう怖れから、雑踏の最後列からの観察だ。すぐ背中には赤煉瓦の壁が涼気で触れている。無遠慮な芋洗いに呑まれぬよう、マリーは右手握りに繋いでいた。
「別に心底から支持しているわけでもないさ。やむを得ず……といったところだ」
脇に並ぶハリー・クラーヴァルが、多少憂いた抑揚で訂正する。
「本意ではない……と?」
「大半はね」
「どういう意味です?」
「強制参加なのさ。民衆の自尊を折る為の……。月一回、こうした武力誇示を定期的に続ける事で、潜在的な威圧と無力感を刷り込み、支配層格差を思い至らせる。主従関係を明確に刻む為の心理的政策さ。だが、それによって人々は、次第に〈完璧なる軍隊〉へと依存すらしていくだろう──『自分達は、この軍隊に守ってもらっているから大丈夫だ。否、守ってもらわねば生きていけない』とね」
「それでは〝人間性の損失〟ではありませんか!」
嫌悪感を露にする実直さを一瞥し、ハリーは軍隊へと注視を戻す。
「旧暦に於いても、独裁政権が定番と行っていた軍事的演出さ。しかし、それ相応に効果は高い。事実、内乱発生率は減少する」
「心が折られているから……ですか」
「ナチスドイツ──アドルフ・ヒトラーが〝稀代の独裁者〟として大成したのは、政人としての才覚よりも人心掌握にずば抜けて長けていたからさ。『心理学の悪用』と言ってもいいがね」
「……洗脳」
ブリュンヒルドの呟きに、寂しい微笑で同調した。
「ヒトラーの〝洗脳手腕〟は、忌まわしくも卓越したものだったよ」そこまで紡いだハリーは、注がれる視線が奇異感を帯びている事に気付いた。「何か?」
「いえ、まるで見てきたかのように話されるものですから……」
内心、ドキリとする指摘ではあったが、こうした状況は初めてでもない。
「想像力が強くてね……夢想空想は悪癖なのさ」彼は平然と嘯いて続けた。「後年、旧暦一九六九年にはカルフォルニア州の高校で、その心理メカニズムを解明しようと組織構図の再現実験が行われた」
「再現実験? ナチス軍隊のですか?」
「参加者は有志の高校生。彼等を〝看守役〟と〝囚人役〟に別けて演じさせた。唯一のルールは、規律重視だけだ──敬礼の角度から言葉遣いに至るまで。さて、どうなったか知っているかね?」
「いいえ?」
「程無くして〈擬似ナチス〉が完成したのさ。実験責任者の観察の下でもあるにも拘わらずね」
「そんな馬鹿な?」
「事実だよ。つまり〝人間は環境に毒され易い〟という事だ」
途端、ブリュンヒルドはゾッとする思いで周囲の人々を見渡した。
老若男女──全て変哲もない〝一般人〟だ。
そうした人々が、自覚すら抱かぬままに変貌する。
その可能性が、誰にでも内在しているのだ。
あの人も──あの人も──あの婦人でさえ────。
薄ら気味悪い感覚に襲われ、ブリュンヒルドはおぞましさを覚えた。
まるで、誰しもが〈怪物〉の雛だ。
自らが身を置く賑やかな祭典が、恰も〝邪教儀式〟の渦中であるかのように錯角していく。
自分自身が、絶望的な贄のように……。
「ブリュド? わたしも兵隊さん見たいわ?」
足下からの御願いに、我へと返った。
幸か不幸か──マリーの背丈では眼前の見物勢が壁となって、武骨な行進が見えていない。
「た……たいした見せ物でもありません! もう行きましょう?」
「ええ~?」
「それよりも、出店を見て歩きましょう? ホラ、時間に限りもありますし……」
頬を伝う冷や汗を拭い、不服そうな女児を急かして去った。
その後ろ姿を無言に見送ったハリーは、やがて一際高まった歓声に関心を戻す。
すわ主役登場とばかりに低速走行する装甲車両。
その屋根から華々しく観衆へと手を振るのは、この膿を作り出した張本人だ。
「ウォルフガング・ゲルハルト……どこまでも〈第四帝国〉の幻想を追い求めるのだな」
涼しい眼差しに含まれているのは、嫌悪も憐憫も通り越した達観だけであった。
この壮大な茶番劇を疎む者が、もう一人いた。
屋根の上から人知れず傍観する男だ。
「ケッ! 科学の軍隊だァ? あんな人形に〈冥女帝〉は負けたのかよ? 笑い話にもなりゃしねぇ!」
齧り終えた林檎の芯を、毒舌と共に投げ捨てる。
粗野な印象の男であった。
シャープな細面には薄い鼻筋が高く、目尻が垂れた眼差しは然れども攻撃的な気丈に彩られている。
紺色の革ジャンを胸元開きに着こなし、黒革のパンツをロングブーツで固めていた。
大凡闇暦らしからぬロックファションは、この男が根元を成す反骨精神の現れか──旧暦遺産たる俗世文化に毒されたのもあるだろうが。
その名を〝ロキ〟という。
北欧神界の悪神。
とはいえ、ロキは邪神ではない。
〈北欧神族〉に名を連ねる一柱だ。
神々の仇敵たる〈霜の巨人〉の〈血統〉に生まれながらも、主神オーディンとの義兄弟関係によって〈北欧神族〉へと迎え入れられた経緯を持つ。
ただし、彼の言動は真意見えぬ恣意的な悪意でもあった。
濁った毒沼に沈む賢者の書であり、輝かしい黄金を箔と偽装した伏魔殿だ。
概ねは虚言讒言で、神界の在り方を翻弄する。
さりながら、時として神々の窮地を、その狡猾な智謀によって救ったのも事実ではあった。
度重なる姦計が不問とされて神籍を保留されたのも、そうした功績を憂慮した主神の懇意に依るのであろう。
はたして、本質は〝善〟か〝悪〟か──或いは、そのどちらでもあり、そのどちらでもないのかもしれないが。
そもそも善悪は表裏一体であり、切り離して成立するものではない。
二元論的観念に括られるものではない。
ともすれば、彼こそは〝自然体の神〟とも呼べるであろう。
仮に、これから先、何を為そうとも……。
「しかし人間ってのは、つくづく面白ぇ生き物だぜ? 〈怪物〉を怖れる余り、自分自身で〈怪物〉を増産するたァな?」
食い終わった林檎の芯を肩越しに投げ捨て、眼下の賑わいを嘲る。
「さて……復活の御祝儀だ。少しばかり楽しませてもらうとするか?」
生来の悪意を浮かべたロキは、一塊の科学兵士を見定めた。
送り注ぐ眼力に念を込める!
赤く灯る瞳力!
それは、まるで血塗られた呪怨のように……。
突然、武力誇示の流動が塞き止められた!
ロキの標的と射抜かれた科学兵士達が、その行進を止めた為だ。
ゴーグル越しの赤眼も消灯し、脱力然とシステムダウンを起こす兵士達。
後続の兵士達も事前入力行動に連動して待機状態へと佇む。
華々しい虚栄の見世物は、一転して〝棒立ちの人形展示会〟へと変わった。
「何だ? 何事だ?」
観衆がどよめく中、ウォルフガングも全体的な異変を察知する。
惨劇が幕を開けたのは、程なくしてからであった!
再起動──停止していた科学兵士達の赤目が再発光する!
そして、彼等は右手甲の内蔵銃を乱射した!
無抵抗な民衆へと!
「ぎゃあああーーーーッ!」
「うわぁぁあーーーーッ?」
次々と射殺されていく人々!
完全に虚を突いた災厄から逃げ惑うも、多くは押し合い圧し合いの人波に阻まれ、そのまま格好の標的と膨れ上がる!
──DELETE──DELETE──DELETE──DELETE────。
科学兵士の脳内には、赤色の抹殺指令だけが羅列されていく!
その赤が、更なる赤を強要した!
撃つ! 撃つ! 撃ちまくる!
「い……いや……いやあぁぁぁーーあがばらぶらッ?」
「ひ……ひぃ? ひぃぎゃらぶればッ!」
銃弾が暴雨と降り注ぐ!
血飛沫が華と咲く!
肉片が飛び散り! 悲鳴が染めた!
虐殺!
殺人人形による虐殺劇だ!
だがしかし、周囲の科学兵士達は行動を起こさない。
命令待ちに待機するだけであった。
「何だ! 何が起こっている!」
後方で状況把握に逸るウォルフガングの耳にも、遥か前方で生じる乱射音と阿鼻叫喚は届いていた。
何が起きたかは理解している。
彼が問題としているのは、そこではない!
「システムエラーだと? 何故だ!」
自身が組み上げたプログラムは万全であった。
〈科学兵士〉の基礎構造も、理論的には完璧である。
にも拘わらず、何故?
飛び交う断末魔を騒音と意識排斥し、彼は思索へと没頭した。
「ぐぁぁぁーーッ!」
(──煩い)
「ひぃ! ひぃぃぃーーッ?」
(──煩い!)
「たす……たすけ……ぎゃあああーーッ!」
(──煩い煩い煩い! 考察の邪魔だ!)
耳障りへの憤慨に誘われて、ウォルフガングは現実へと返る!
と、そこでようやく為すべき対応を思い起こした!
「何をしている! さっさと失敗作を排除しろーーッ!」
眼下の惨状を高みの見物に、ロキは静かな嘲りへと浸る。
「ケッ……下手に脳ミソなんざイジるからだよ。心が備わってりゃ精神的な抵抗も見せただろうが、なまじい自我が欠落してるから無抵抗に支配され放題だ。アホくせぇ機械人形が……」
呆気ない実験結果を得ると、次第に飽きが生じた。
自らの右手をグッパッと握って、体調を確かめる。
「……にしても、数にして十八体程度か? まだまだ力が回復しきってねぇな」
現状の彼は、封印から解かれたばかり──云わば〝病み上がり〟の状態に近い。
万全な能力が発揮できないのも、仕方がないだろう。
「チッ! もう暫くは、裏方に回るとするか……」
自嘲めいて吐き捨てると、やがてロキは踵を返した。
「これは? 暴走?」
逆流に荒れ乱れる人海に抗い呑まれながらも、ハリー・クラーヴァルは沈着冷静に状況を分析する。
(確かに〈科学〉は万全ではない。ウォルフガングの侵した禁忌は殊更だ。しかし……)
不自然だ。
違和感を感じる。
(引き金となった要素が無い。況してや、このパレードの最中に……まるで惨劇の好機を狙ったかのようなタイミングだ。システムに根幹的な欠陥があったなら、もっと以前から露呈していたはずだ)
そこはかとなく悪意を感じる。
確信は無いが……。
その予感が導いたか──何気に見上げた迎い棟の屋根に、一人の男が去る後ろ姿を見付ける!
「アレは……ロキ?」
かつて告げられた警告──それが胎動し始めた事を、サン・ジェルマン卿は覚悟に噛み締めていた。
バザー区域に混乱が押し寄せて来たのは、大通りの惨劇発生から数分遅れであった。
命からがら逃げ込んで来た群衆が、そのまま顔色を変えて通過して行く!
その怒涛から幼女を抱き庇い、道脇へと避難するブリュンヒルド。
しかしながら、ただ事ではない事は、喧騒に呑まれる直前から瞬時に察知できた。
「何があったのですか?」
誰に訊うでもなく、声高に状況説明を要求する。
暴牛の群と走り抜ける流動には、その声に応える余裕など無い!
それでも奇特な一人が、置き土産と吐き去ってくれた。
「ぼ……暴走だ! 〈完璧なる軍隊〉の暴走だ! アンタ達も早く逃げろ!」
「暴走?」
縺れる足取りに逃走を再開する情報提供者。
その後ろ姿を軽い感謝で見送り、戦乙女は大通りの方角を毅然と睨み据えた。
「マリー? 自宅へは一人で帰れますか?」
「ええ~?」
露骨な不安を浮かべる女児を、片膝着きの正視で諭す。
「私は〈戦乙女〉として、この惨劇を食い止めねばなりません」
「ばるきゅれー?」
辿々しい解釈に、愛しさを含んだ微笑で応える。
「私は〈ヴァルハラ〉──つまり〈北欧神館〉に仕える〝神の戦士〟なのです。その使命として、困窮する人々を護らねばなりません」
自らの素性を明かすと胸の羽根飾りを取り、それを高々と翳して叫んだ!
「神の祝福を!」
呼応に神聖なる輝きを帯びた羽根を、頭上へと投げる!
と、それは無数の光羽根と弾け、舞い散る吹雪と降り注いだ!
神力へと身を委ねるブリュンヒルド──その風采が、戦場を駆ける鎧装束へと変わっていく!
「……わあ?」
凛々しくも壮麗な変身に、無垢な瞳は釘付けとなった。
「オ……オイ、何だ? アレ?」
パニックに追い回されていた街人達も、路地の片隅で生じた眩さに足を止め始める。
「神……様?」
あまりにも神々しい白銀の輝きは、見失った畏敬を想起させるに充分だった。中には、感涙して祈りを捧げる者まで現れている。
変身の締め括りとして、彼女は愛用の円錐槍を掴み取った!
斯くして、マリーの──救済を求める人々の眼前で顕現したのは、古の神話から復活した〈戦乙女〉の勇姿!
「神様だ……神様が救いを寄越して下さった!」
「嗚呼、有り難い……有り難い!」
口々に零れ出る感謝の念を温顔で受け取り、ブリュンヒルドは保護対象へと向き直った。
「マリー、来た道は覚えていますね?」
「え? う……うん」
「それを戻って裏道を辿れば、無事に家へと帰れるはずです」
「でも……」
未だ少女が抱く不安を、ブリュンヒルドの優しい微笑みが払拭させようとする。
「大丈夫ですよ。此処より先は、私が災厄を食い止めます。誓って、貴女達に近付けさせたりしません」
誇り高い宣誓を置いて、戦乙女は地を蹴った!
その跳躍は飛翔と化し、易々と建物棟を越える!
「あ……」
心細さを訴えたくとも、既に保護者の姿は無い。
子供ながらに理解はしている──こんな状況では仕方の無い事だ。
だが、それでも手を引いて逃げてほしかった。
取り残されたマリーは、選択肢も無いままに帰路へを辿るしかなかった。
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