雷命の造娘:~第二幕~わたし Chapter.5
「こ……これは?」
雑木林の隠れ家にて、ブリュンヒルドは異変を体感した!
大気をビリビリと震わせる程の強烈な雄叫び!
この遠吠えは何事だというのだ?
毅然たる戦士の顔で方向を睨み定めると、すぐさま岸壁を跳び繋いで駆け登った!
(……まさか? いや、そんなはずは?)
嫌な予感が脳裏を掠める。
その心当たりが外れる事を切に願った。
そして、見晴らしのいい頂上へ!
街外れの遠景すらも一望できる高所だ!
忌まわしい機械砦が陣取っていた岩盤盆地──そこに異変の正体を見定め、然しもの〈戦乙女〉も驚愕に固まる!
激しく叩きつける煙雨に地平は陰っているものの、はっきりと元凶を視認する事が出来た!
月夜に叫ぶ遠吠え!
天をつんざく咆哮!
黒月さえも喰らわんと開かれた顎!
山と見紛う獣の巨影!
見間違うはずもない!
「フェンリル? 何故!」
悲しいかな、彼女の予想は無情にも的中した……。
あれに聳えるは、北欧神話最大の怪物!
彼の主神と刺し違える事を運命付けられた最強最悪の魔狼!
破滅の獣!
それが現世魔界に降臨した!
「で……ですが、アレは〈神々の黄昏〉の日まで復活しないはず! そういう運命だったはずです!」
脅威を前に戦慄する中で、闇空から傍観する黄色い巨眼と目が合った。
「まさか? 闇暦となった事で〝予定調和の未来軸〟さえも狂ったと言うのですか? いえ、狂わされたと?」
微々と──そう、それは微々とした変化だが──黄色い単眼が歪んでいるような気がした。
喜悦の視線に地上を眺めているかのように……。
ブリュンヒルドには、そんな気がしたのだ。
驚天動地の異状を察知したのは、ブリュンヒルドだけではない!
街の人々もまた、恐るべき咆哮を耳にしていた!
空気振動に家屋がビリビリと揺れ、樹々は木葉を吹雪と撒き散らす!
その畏怖を抱かせる姿を視認したワケではないが、天を震わせる遠吠えは一人残らず耳にしていた!
ざわざわとした懸念を口々に飾り、皆が皆、玄関先へと様子見に出て来る。井戸端会議には雷雨が激しいが、ジッとしてもいられなかったのであろう。謀らずも不安の寄合と集った近隣者達は、根拠無き安心感を苟に分かち合った。
「何なのかしら? いまの音は?」
「さあ? でも、大丈夫よ。この街には〈完璧なる軍隊〉がいるんですもの」
「そうよね。今回も、きっと解決してくれるわ」
そんな会話に着地する。
大人達に紛れていたマリーは、誰にも言えない思いを咬んだ。
(みんな知らないんだわ……あの人達は──あの兵隊さん達は、本当は怖い人達だって)
トラウマ的に呼び起こされる光景……。
自らが殺され掛けた、あの状況!
死と直面した恐怖!
それを想起すると、マリーはギュッと身を縮めた。
そうするしかなかった……。
──マリーをいじめたのは、誰だ?
「ッ!」
不意に守護天使の言葉が聞こえた。
彼女の……彼女だけの守護天使だ。
優しく──恐ろしく──微笑み──醜く──強く──殺戮の──愛しい──忌避すべき────。
(お姉……ちゃん……)
混沌と撹拌してくる心情に自分を持て余し、幼女は熱く潤ませる物をグシグシと拭う。
それは、小さな握り拳には拭いきれぬ感傷であった。
崩落が生んだ暗闇が重圧に閉ざす。
如何にサン・ジェルマン卿が不死身とはいえ、瓦礫の大山を押し退けるような豪腕など持ってはいない。
「はてさて、どうしたものか……」
一辺の光さえ奪う闇の中で、サン・ジェルマン卿は形ばかりの困惑を自嘲に飾った。
どんな状況であろうと死ぬ事は無い。
ともすれば、時間は無限に有る。
が、肝心の打開策が無ければ篭の鳥だ。
為す術無く封印されているに過ぎない。
こうしている間にも、外界では事が動いている事だろう。
さりとも、どうする事も出来ない。
知覚も──介入も──抵抗も────。
それは、虚しくも歯痒い焦燥であった。
「成程。彼は、こんな心境に堪えてきたのだな……気の遠くなる年月を」
少しばかり〈ロキ〉への同情を覚える。
況してや彼の性格を考えれば、それは根深い憎悪と嫌悪へと変わるのは必然と思えた。
「だが、認めはしないよ……ロキ」
感慨すら込めぬ否定を淡白に呟く。
それは〝他者を拒む者〟と〝己を悔いる者〟の終着差であろうか。
その時、轟く破砕音が幾重もの瓦礫を吹き飛ばした!
一気に射す外界の光源は弱々しくも、闇に慣れた網膜には厳しい。
サン・ジェルマン卿は細めた目を腕に庇い、変化に馴染むのを待つ。
やがて霞む焦点が浮かび上がらせたのは、心配そうに覗き込む大柄な女性であった!
「……〈娘〉?」
「うん、私だ」
引き出そうと差し出される手。
重ねた瞬間、彼の胸中には懐かしくも愛しい想いが込み上げてくる。
優しい温かさを感じた。
城に居た頃は、もっと死体然と冷たく、返すものが感じられなかったというのに……。
(成長したのだな……)
創造主としては誇らしくも、独り立ちを寂しく想う。
「何故、此処に?」
這い出されると、並び立って訊うた。
見渡す光景は残骸の山だ。
とても科学的な基地であったとは想像出来ない。
「フランケンシュタイン城から〈完璧なる軍隊〉に連れて来られるのを見掛けた」
「それを追って?」
「うん」
簡潔ながらも要点を押さえた〈娘〉の返しに、サン・ジェルマン卿はじっと顔を見つめる。
それに気付いた〈娘〉は、多少戸惑いを浮かべて訊ねた。
「何だ?」
「いや、ずいぶんと流暢に話せるようになったものだ……とな」
「ああ、ブリュドに教えてもらったから」
「ブリュド?」
初耳に困惑した復唱へ、密かな誇らしさを含んで紹介する。
「友達だ」
「……そうか」
淡く交わす微笑。
然れど双方の含みが異なっている事は、現状の無垢過ぎる〈娘〉には感受出来ない機微であった。
吹き抜けとなった外壁に臨み、遠景に遠吠えを鳴く巨獣を見据える。
「アレは何だ?」
「北欧神話最大の怪物〈神魔狼〉だ。悪神ロキは、アレを復活させて世界に破壊と混乱の業火を撒き散らす気なのさ」
「何故だ?」
「おそらく、世界への復讐だろう。彼は北欧神族によって、苦痛を伴う封印を強いられていた……神話時代からね。それは、いつ終わるとも知れぬ孤独な苦しみだ。その屈折した感情が、世の総てを憎悪の対象としても不思議ではない」
「何故だ?」
鸚鵡返しのような〈娘〉の追求に、サン・ジェルマン卿は怪訝の色を返す。
が、正視に返す瞳は理解していないのではない。
別な事を回答として要求していた。
それを察しながらも、サン・ジェルマン卿は柔らかな包容力に問わんとする真意を引き出す。
「何が……だね?」
「復讐する相手が違う。世界は、何もしていない」
あまりにも真っ直ぐな正論。
それに対する明答など持ち合わせてはいない。
だから、サン・ジェルマン卿は寂しくも渇いた苦笑に首を振った。
「私には解らないよ。いや、所詮、他人の心など、誰にも分からないのかもしれないな……況してや、鬱積した虚無感が行き着く先は…………」
「そうか」
再び魔狼へと注視を戻す。
一頻りの自己主張に満足したのか、前足が重い一歩をズンッと刻んだ。
直線進路上には、生の温もりを灯すダルムシュタッドの街並が在る。
「これから、アイツは何をする?」
「おそらく手近な街──ダルムシュタッドを壊滅させるだろう。その次は、ミュンヘンやフランクフルトといった区々──そして、ドイツそのもの──やがて、戦火を欧州全土へと拡大し、最終的には全世界がロキの破壊対象となる」
「そうか」
淡々と承知した〈娘〉は、両拳を握り締め、腰を落とした構えに力んだ!
頸動脈部のボルトが青光の放電を暴れさせ、身体全体が稲妻の化身と迸りを息吹く!
「……ハアアアァァァーーーーッ!」
「待て! 〈娘〉? 何をする気だ?」
「止める」
「無茶だ! あの体躯差を見ろ! アレは到底、人間の手に負える相手ではない!」
「私は〈怪物〉だ」
「ッ!」
言葉を呑まされるサン・ジェルマン。
(既に認めているというのか──己と人間の絶対的差異を……どうしても埋める事が叶わぬ溝を。その上で、君は?)
だが、それはサン・ジェルマン卿の望む展開ではない。
何があっても、彼女を──彼を失う事など、あってはならない!
もはや、二度と!
「やめるんだ〈娘〉! 戦ったところで勝ち目など無い! そんな事をしたところで、所詮は蟷螂の斧だ!」
「うん。でも、やめない」
「何の意味がある? 君が犠牲になる必要など無い! ここは、私と一緒に逃げるんだ! 他の国へ移れば、当面はロキと事を構えずに済む!」
そう……彼は、そうしてきた。
彷徨う時代の遍歴に於いて、奇異や迫害の魔手から逃れる為に……。
そんな消極的提案を一瞥に受け止め、今度は〈娘〉が持論を投げ返した。
「いつまでだ?」
「……何?」
「その旅路は、いつ終わる?」
「ッ!」
再び言葉を呑まされる。
まるで彼の本心を見透かしたかのような言葉であった。
心底に潜む弱さを……。
「かつて私も迫害から逃れるべく、居場所を求めて転々とした。けれど、そこに終着など無かった。暴力の影に怯えた流浪は、次なる地でも理不尽に追われ続けるだけだ。そして、それは延々と繰り返される」
「いいか〈娘〉? 人間は定命──悠久たる時代の経過には抗えない。如何なる者も死に、如何なる事態も時代の変革に鎮まる。総ては時間が解決してくれるのだ。進んで痛みを負う必要など無い」
「それは生きているとは言えない」
「〈娘〉!」
「安息と平穏を得たければ、己自身で死守するしかない。それに──」自発的に定めた敵を見据えて〈娘〉は決意を示す。「──此処には友達がいる!」
渾身の跳躍を引き金として、青き雷弾は宙を裂いた!
獰猛な山が動く!
荒柱が大地を踏み砕く!
打ち付ける豪雨を物ともせずに歩み進む巨影!
宛ら天災の具象とも思える魔狼は、眼前の標的を睨み据えていた!
即ち、人間達が暮らすダルムシュタッドの街明かりを!
その目は憎悪と嫌悪を燃え滾らせ、己が封印の仇とばかりに苦しみの逆怨みを注いでいた!
「オマエの苦しみ──怒り──オレには、よぉ~く分かるぜ? 息子!」頭頂に立つ父親が、あからさまな同情に煽る。「一条の光さえも奪われ、暗闇の中で縛り付けられる苦しみ──恐怖──苦痛──辛ぇよな? そんな責め苦をオレ達が味わっている間、地上の連中はどうだ? 神々は? どいつもこいつもオレ達の事なんざ昔話に忘れて、安穏と平和を貪っていやがった! 恰も、オレ達なんか最初から存在していなかったみてぇによ!」
次第に加熱していくロキの語気!
それは、いつしか彼自身から吐露された本音であったのでろう──傍らに従えるヘルは、盗み見る観察に察した。
その浅ましい様に〈冥女帝〉は噛み締めるかのように想う。
憐れな……と。
(この世に〝苦しみ〟を抱かぬ人間などいない。安穏と生きている魂など無い。個人差はあれど、皆〝苦しみ〟を……〝心の闇〟を抱き、足掻き、解放されずに、それでも懸命に生を真っ当しているのだ。その前には〝善人〟も〝悪人〟も無い)
それを知るが故に、彼女は鬱積した負念を前にして苦笑するのだ。
(魔界……か。はたして、それは何処に在るのであろうな……)
顔を上げれば、正面の街並みは刻一刻と迫っていた。
破滅へのカウントダウンが着実に刻まれている事を、人間達は未だ知らない。
然れど彼女には、どうする事も出来なかった。
父親に刃向かう権利など無いのだから……。
(神々よ……願わくば、人間達に守護を与え給え)
そう願うしかない。
一端の〈神〉として……。
「さぁて、フェンリルよ? ボチボチ運動しておくか?」
飄々とした悪意に笑い、ゾッとする意向を口にした!
「ッ! 父上? 何を?」
「アン? 駆けっこだよ、駆けっこ! コイツだって、ずっと閉じ込められてストレス溜まってんだろ? なぁ? フェンリル?」
応えるように雨天へと叫ぶ遠吠え!
それは悪神への同調であろうか!
「この巨体が疾駆に飛び込めば、街は一瞬にして壊滅! 察知して逃げる隙すらありません! 女・子供や老人・病人までも虐殺なさるおつもりか!」
「ああ、おつもりだよ」
「なっ?」
淡々と冷酷の色を染める悪神の非情に、娘は絶句した。
「女・子供だ? 老人・病人だ? 関係無ぇな! 再三言ってきたはずだせ? 『この世界をブッ壊す』ってな! 人間共も! 怪物共も! 神々も! みんな玩具さ! このオレの手によって弄ばれる……な! 考えみりゃ、オレ様こそ平等なもんだぜ? 対象を選定してねぇんだからな! ヒャハハハハハッ!」
「それでは、あの〝ウォルフガング・ゲルハルト〟と変わらないではありませんか! 己が我儘の為だけに尊き命を弄んだあの男と!」
「……あ?」
スゥと凄みに細まる睨め付け。
次の瞬間、烈火の如き憤慨で、娘の胸元を捻り上げた!
「あんな〝脳味噌フェチ〟と一緒にしてんじゃねえ!」
「グゥ? ち……父上?」
「いいか! オレ様は〈神〉だ! 〈北欧神族〉にして、その神敵〈霜の巨人〉だ! そこらの連中とは格が違うんだよ! 怪物だ? 神々だ? クソ喰らえだ! このオレが桁外れにスゲェって事を、世に知らしめてやるぜ! そうすりゃ〈北欧神族〉のヤツらも、オレに一目置く──」自らが吐露し掛けた言葉が、加熱した頭を冷やさせた。一転した落ち着きに、娘を突き放すように解放する。「──……ともかくよ……どのみち、オレァ世界をブッ壊す。今更、老若男女もクソも無ぇんだよ」
雨に濡れて前方に見入る。
その横顔は、虚無感と寂しさを孕んでいるようにも娘には思えた。
(父上……貴方は、やはり…………)
その特異な出自故に一生拭えぬ劣等感──満たされぬ疎外感が転じた行き場のない憎悪────それが、おそらく悪神の根である事を感受する。
相手は誰でもいい。
ただひたすらに、自己証明の暴力であった。
(ですが、世は調和にて成り立っている。だからこそ、貴方を容認など出来ないのです……私も……〈北欧神族〉も……誰一人として…………)
悲しくも深まる心の溝。
ここまで冷えきった情愛は、もはや再生する事も叶わないであろう……。
「グルゥゥゥ……」
父親の憤りを酌んだか、フェンリルが低く唸った!
歩を刻むしなやかな筋肉が俊敏力を蓄えたのを、ヘルは察知する!
「兄上! おやめ下さい!」
無駄とは悟りながらも愁訴を叫ぶ!
が、ロキの威令が、それを排斥した!
「構わねぇ! やっちまえ! フェンリル!」
「ゥオオオォォォォォーーーーン!」
魔の遠吠え!
黒月に誇示するかの如く!
闇暦の絶対的支配者に、己が破壊を示さんかの如く!
前足を低くした体勢に伸び、力を蓄えた!
いざ! 餓狼は駆け出さんと動きを見せた!
その瞬間!
──ガンッッッ!
突如として横っ面を殴り抜ける青い雷弾!
「なっ? 何ィ?」
狼狽を浮かべるロキ!
しかし、それも無理はない!
信じ難い事であった!
有り得ぬ事であった!
倒れたのだ!
あの巨狼が!
横倒れに魔山が崩れる!
間一髪で娘を抱いたロキは、超人的な跳躍に場から大きく離れて惨事から逃れた!
着地と同時に睨み据えるは、黒天の豪雨に滞空する電光の化身!
それは、先の基地で見掛けた異質な〈女怪物〉であった!
「……またテメェか!」
「……また?」
歯噛みの呪怨に対して怪訝の色を返す。
当の〈娘〉にしてみれば初対面だ。
「何なんだよ! まったくテメェはよ!」
「私が知りたい」
「な……何ィ?」
吠える悪神には然したる関心も示さず、ダメージから這い起きようとする獣へと意識を向けた。
「ふむ?」帯電する己の拳を確認視する。「効いてはいる……が、まだまだ電圧が不足しているか」
独り納得すると、抑揚乏しくも穏やかな口調で提言した。
「ロキ、やめてくれないか?」
「あ? 何をだ?」
「街を襲うの」
肩越しに遠くの灯りを見遣る。
それは〈娘〉にとって、愛しく──憧れて──優しく──拒絶し──かけがえのない温もりであった。
「プッ! クックックッ……アーハッハッハッ!」ロキの嘲笑が〈娘〉の関心を呼び戻す。「バカか? テメェ? テメェだって〈怪物〉だろうが?」
「うん」
「何で〝人間〟風情に肩入れしてやがる?」
「好きだから」
「あ?」
「私は〈人間〉が好き」
あまりに実直で純朴な返答。
臆面もなく答える姿勢には、微塵も嘘が含まれていない。
まるで無垢な子供のような本心……。
なればこそ、ロキの毒気は削がれるのであった。
「ま、テメェ如き〈安物怪物〉にゃ分からねぇか。このオレが、人間に……神々に……いや、世界にされた仕打ち……その憤りと苦しみはよォ?」
自嘲めいて肩を竦め、虚しい苦笑を浮かべる。
だが〈娘〉は……。
「……分かる」
「な……何ィ?」
「石は痛い」
「あ? 何をホザいてやがる?」
「棒で叩かれるのも痛い」
返ってきたのは、愁いたかのような共感。
ロキにとっては予想外の反応である。
故に語らずとも察した──この〈女怪物〉も、世界の膿と排斥されてきた過去を持つと。
彼の内でも〈娘〉は特別視に値する〈怪物〉と再認識されたか、先刻までの侮蔑的偏見はいつしか払拭されていた。
「……ったく何なんだ? テメェは?」
「だけど、私は〈人間〉を嫌いになれない」
「あ?」
「いつかは友達になりたい」
「………………」
軽蔑とも嫉妬とも取れる邪視が〈娘〉に注がれる。
己と同じ苦痛を味わいながらも、己とは対極の答えに着地した存在──。
それを確信したからこそ、ロキは憐憫を帯びた静かな返答を示すのだ。
「……平行線だな」
「そうか」
「オイ、女怪物!」
「何だ?」
「本気でオレを止めたきゃ、力尽くで来いや」
「……そうか」
これ以上の説得は無駄だと理解した。
だから、雄叫びに力を開放する!
「ゥオオオォォォォォーーーーッ!」
迸る電光!
一層眩い激しさを息吹く青!
それは、彼女に内在した〈生命〉そのもの!
(まただ……あの者からは〈死〉の波動を根に敷きながらも〈生〉の波動を力強く感じる。だが〈吸血鬼〉や〈死霊〉等とは違う。況してや〈ゾンビ〉や〈デッド〉等とは比較にすらならない。いったい何者なのだ? 彼女は?)
始めて眼前に観察した〈冥女帝〉は、改めて〈娘〉の不可解さに困惑を抱く。
(あの男──サン・ジェルマンとか言ったか──は、確か〈娘〉と呼んでいたな? いずれにせよ、あの時の狼狽えようを鑑みれば、確実に繋がりがあるのは明白。謎を解く鍵は、そこか……)
と、沈められた巨体が復活の兆候を蠢いた!
それを視認し、ヘルは慄然と黙想から返る!
「グルゥゥゥ……ッ!」
鈍重に身を起こし、四足に大地を踏み締める魔狼!
険しくひそめた赤い目が、忌々しさに敵を睨め付ける!
「ゥオオオオオォォォォォーーーーン!」
遠吠え!
北欧怪物最強たる自尊心を傷つけられた憤慨!
しかしながら、それと同時に、知性高き獣は感じ取っていた──コイツは危険だ!
自身にとって、あの〈雷神〉と同格足り得る脅威だ──と!