雷命の造娘:~第一幕~ともだち Chapter.4
「わあ! すごーい!」
出店と見物客が賑わう赤煉瓦の街中で、マリーの目は子供らしいキラキラを輝かせていた。
今日は月一回のバザーだ。
「ねえ、ブリュド? あっちいってみよ?」
「マリー、人混みで勝手に動き回ってはいけません! 迷子になったら、どうするんです! それから、私は〝ブリュド〟ではありません! 私の名は〝ブリュンヒルド〟です!」
同伴保護者の役目として、ブリュンヒルドは釘を刺した。
白いブラウスには胸に銀色の羽根飾りをアクセントと留め、ふわりとしたロングスカートが息吹くと隠された脚線美が覗く。
鎧兜を脱ぎ捨て清楚な服装を纏った彼女は、一介の街娘として溶け込んでいた。遠慮無いやりとりは、傍目にマリーと姉妹関係とすら映るだろう。
もっとも、その繊細な華美は際立ち過ぎている。到底、平凡な印象にない。声を掛けようとする男性も幾人かいたが、結局は釣り合わぬ口惜しさに後込みしていた。それほどの美しさである。ブリュンヒルド自身は、まったく自認していない注目ではあったが……。
「もう、ブリュドったら細かいの……」
「当然です。貴女に何かがあったら、私はアンファーレンに会わせる顔がありません。それから、私は〝ブリュド〟ではないと──」
「あ! あっち、おもしろそー♪」
「──って、マリー?」
こういう時の子供は、好奇心の塊である。一時でも隙を見せれば、あっという間に次の行動へと推移してしまう。気が抜けない〈小さな怪獣〉だ。
「マリー! 御待ちなさい!」
慌てて追うも、雑踏に揉まれて見失う。
「クッ……こんな事なら、着替えなければ良かった」
流動する芋洗いに女児の姿を探しつつ、自己弁護の愚痴を零した。
しかしながら、従来の衣装では一層動き難い事ぐらい理解している。ロングスカートの脚回り条件は同じだ。そこに鎧兜と大きな円錐槍が加わるのだから、動き易いわけがない。
これは単なる責任逃避だ。
「まったく……どうして私が、こんな……」
現状に至る経緯を想起し、ブリュンヒルドは軽く〈娘〉を恨んだ。
「バザー?」
薪割り作業を中断するでもなく、〈娘〉はマリーの誘いに怪訝そうな鸚鵡返しを向けた。
「そうよ」と、切り株へと腰掛けたマリーは、楽観的に足をプラプラ遊ばせる。「このダルムシュタットでは、兵隊さんたちの『パレード』が毎月開かれるの。今月のは三日後。その時は、街の人たちでバザーもやるのよ? とってもにぎやかなんだから」
「そうか、ありがとう」
「初めて知ったから?」
「うん」
斧が音高く叩き割った。
そんな会話を薪拾いがてらに盗み見て、ブリュンヒルドは思索する。
(あの老人も、そうですが……こんな小さな子供までがなついている? 本当に何者なのですか……貴女は?)
ブリュンヒルドによる観察は、毎日密かに続いていた。
彼女なりに、この〈娘〉の正体を見極めなければならない。
はたして〝危険な怪物〟なのか〝友人たる存在〟なのか……を。
暗黙の注視である。
「ホントにスゴいのよ? 街中にお店がいっぱい出て、とってもにぎやかなんだから」
「そうか、それはスゴい」
「でもね? わたし、行ったことがないの」
「ないのか?」
「うん。だって、お母さんは病気だし、おじいちゃんは無理だし……子供だけじゃ危ないからって、出してもらえないの」
つまらなそうに足をプラプラと遊ばせた。
「そうか」
消沈を悟ったか悟らずか──〈娘〉は一時だけ手を休めて少女へと見入る。
そして、暫くすると、また黙々と斧を振り下ろし続けた。
「でね? 今回のは、お姉ちゃんと行きたいの」
「そうか、私と行きたいか」
許容的な返事に、少女の顔がパアッと輝く。
「一緒に行ってくれるの?」
「ううん、行かない」
曇った。
「なんでよ!」
「私は街へ行ってはいけない」
「平気だってば! わたしが守ってあげるもん!」
「そうか、ありがとう」
「じゃあ、一緒に行ってくれる?」
「いかない」
膨れた。
「お姉ちゃんのケチ!」
「私は、ケチなのか?」
「そうよ! ケチよ!」
「そうか、ありがとう」
寡黙な薪割りが続く。
更に膨れた。
「ケチケチケチケチ!」
「うん、ケチ」
絶対に意思疏通が出来ていない──察したブリュンヒルドは、長嘆息を吐いて割り込んだ。
「……行って差し上げたらどうです?」
予想外の助け船に〈娘〉は、ブリュンヒルドへの一顧を返した──が、ややあって薪割りを再開する。
「行かない」
「……やはり容姿を気にしているのですか?」
「うん」
「村人達を畏怖させてしまうからですか?」
「『いふ』は知らない。でも、怖がらせてしまう」
「それを『畏怖』と言うのですよ」
「そうか、ありがとう」
「多少の変装で誤魔化せるでしょうに? その巨躯は無理としても、身体の傷などは衣服を着れば……」
「うん、たぶん」
「でしたら……」
「ダメ、行かない」
予想以上に頑固な側面を知った。
ブリュンヒルドは、またも軽く嘆息へと沈む。
「ですが、ここまで懇願しているのですから」
チラ見に窺う女児は、膨れ面にうっすらと涙目を浮かべていた。どうやら限界も近い。
と、ようやく〈娘〉は作業を中断した。
「ブリュンヒルドは、マリーをバザーに連れて行った方がいいと思うか?」
「ええ。それは、まあ……これだけ行きたがっているのですし……」
「そうか」
独り納得した〈娘〉はマリーの方へと歩き、片膝着きに愚図る顔を覗き込んだ。
「マリー、バザー行くといい」
「え?」少女の顔が晴れやかに染まっていく。「じゃあ、お姉ちゃん一緒に行ってくれるの?」
「ううん、行かない」
「……え?」「……は?」
意図が汲めない返答に、マリーとブリュンヒルドは頓狂な表情を浮かべた。
そんな機微にも御構い無しで〈娘〉は、こう告げたのである。
「ブリュンヒルドが連れて行ってくれる」
「言ってませんけどッ?」
人の脚が樹林と繁ろうとも、興奮に高まった好奇心を阻む事など出来ない。
否、むしろ適度な障害が有れば有るほど、それはますます助長する。
身近な冒険心だ。
「わあ! すごい! こっちも! わあ!」
マリーは忙しなく四方を見渡した。まるで空間総てを目から吸収しようとするかのように。その挙動は、瞬間的な停滞すらも惜しむ。
と、正面からの無造作な闊歩が、小さな身体とぶつかってしまった。
「いた!」
ドサリと尻餅に倒れる。
怖ず怖ずと見上げれば、如何にも粗暴そうな柄の悪い男であった。
「……何処見て歩いてんだ? このクソガキ!」
「あ、ご……ごめんなさい……」
畏縮して謝るも──いや、それ故だろうか──男は更に詰め寄る。
「ゴメンで済んだら〈完璧なる軍隊〉は要らねぇんだよ! ああっ?」
「あ……あの……わ……わたし……」
怯えて泣きそうになるのを、芯の強さでグッと堪えていた。
此処ダルムシュタットが〈領主怪物〉を倒して〝人間〟の手に領有権を取り戻したという偉業は、広くドイツ界隈まで知られ始めていた。
そうした噂を聞き付け、わざわざデッド遭遇の危険を冒してまで流れて来る者も少なくない。
その中には、こうした暴力的な人種も存在していた。
これは〈完璧なる軍隊〉の武勲が産み落とした負の恩賞とも言える。
周囲は不穏な雰囲気を共有しながらも、誰一人として助けを名乗り出る者などいなかった。遠巻きにザワつくだけの囲いだ。
かといって、これを薄情と非難するのは無責任でもあろう。
皆、我が身が可愛いのは当然なのだから……。
「見ろよ、コレ! 御気に入りのズボンが汚れちまったじゃねえか!」
「ご……ごめんなさ……」
「とりあえず親の所へ連れていってもらうか?」
「あの……お母さん、病気で……」
「知った事じゃねぇんだよ! んな事は!」
「ヒッ!」
虎のように威嚇する怒声に、女児はビクリと縮こまった。
傍目にもズボンは汚れていない。
大嘘の言い掛かりだ。
マリーは飲食物など持っていなかったのだから。
金銭を毟り取ろうとするたかりである事は、誰の目にも明らかであった。
それでも助けの声は上がらない。
少女に同情する気持ちは、皆同じだ。
庇ってあげたい気持ちは、皆同じだ。
それでも、やはり暴力の怖さには屈してしまう。
それもまた人間なのである。
「わ……たし……わたし……」
年齢には重過ぎる責任にパニックとなり、マリーは泣き出しそうになった。
その時──「そのぐらいにしておいた方が賢明ではないのかね?」──一人の男性が、日和見の人壁から進み出た。
「ああ? 何だテメエは?」
破落戸が相手の値踏みに睨め付ける。
滑るようなコバルトブルーの慧眼。克明に通った高い鼻筋。強い意志力に引き締まった唇は精悍な印象を強調する。
「私は、ただの通りすがりだよ」そう嘯いた男──ハリー・クラーヴァルは、平然を崩さぬまま足を止めない。「年端もいかない少女を大の男が詰め責めるのは、些かみっともないと思うが?」
「カッコつけてんじゃねえぞ! ああっ?」
「一般論を言っているだけだが?」
正視に刻む歩が、淡々と距離を詰めていく。
その堂々と屈せぬ風格に、卑俗は呑まれ始めた。
否、気圧され始めたと言った方が正しいか。
「テメエ、寄るんじゃねえ!」
格の違いを感受して、後ろ手にジャックナイフの刃を隠し出す。
(目の前まで来たら、軽く腿ぐらいは抉ってやる! 痛みを植え付けりゃ、その涼しい顔も情けない泣きっ面に変わるだろうよ!)
「……あまり賢明なやり方ではないな」
「──ッ?」
耳元で囁く低音の美声。
いつの間にやらハリー・クラーヴァルは、三下の脇を擦れ違っていた。
「テメェ? いつの間に!」
ゾッとした感覚に振り向くも、既にその場には居ない。
虚勢など些末とばかりに通り過ぎ、彼はへたりこむ少女の下へと歩み進んでいた。
「大丈夫かい?」
柔らかな微笑が小さな淑女を気遣う。
「う……うん」
マリーは戸惑いながらも、差し出された手を取った。
「テ……テメェ! シカトぶっこいてんじゃねぇ!」
背後から横凪ぎの一閃!
痺れを切らしたか──或いは、内心に育つ怖れに堪えきれなくなったか──破落戸はジャックナイフを振るった!
が、余裕で見切ったハリーは、微かな態勢移動だけで避わしてしまう。
切っ先は頬を撫でるかのように、然れど触れる事無く宙を掻き裂いた。
威嚇の牙にすらならない。
「生憎、貧困街に居た事もあるのでね……他国だが」
「テメェ!」
返し凪ぐ刃!
しかし、今度はハリーも避けなかった。
何故か?
我が身を盾としたからである。
その腕に庇い抱く女児の盾と……。
「クッ!」
咄嗟の守りと翳した掌が、痛々しい赤筋を刻印する!
そこから滲み溢れる血潮が、煉瓦舗装の地面へと滴り落ちた。
「へッ……ヘヘッ……」ただのラッキーでしかない一矢に酔い、破落戸は嘲笑を浮かべる。「ザマァ無ぇな? 色男さんよォ?」
「お……お兄ちゃん、ち……血が!」
「ただの掠り傷だ。心配はいらないよ」
動揺するマリーへと、ハリー・クラーヴァルは安心を誘った。
事実、彼自身は、まったく焦燥を感じていない。
平然とした表情にも多少の脂汗が滲むのは、軽く蝕む痛みのせいだ。
さりとも、これは仕方がない。
痛覚を始めとした体感や身体能力的な側面は常人と変わらないのだから。
不安そうなマリーを雑踏の近くで立たせると、彼は静かに相手へと向き直った。
「さて、これで君の相手を務める事が出来るが……どうするね?」
「うう……っ!」
再び正面対峙する貫禄に呑まれ、卑俗はジリジリと後退る。
人混みに囲われた闘技場だ。
「……クソッタレが!」
厄介な事だがプライドが邪魔をした。
本心で言えば、すぐにでも逃げ出したいところである。捨て台詞のひとつと罵倒を吐けば、それなりの体裁も保てるだろう。
だが、プライドが邪魔をした。
それが事実上『負け犬の遠吠え』でしかない事を自覚しているからだ。
暴力に溺れた者には、暴力に溺れた者なりの意地がある。
実力に伴わぬ易い虚勢ではあったが……。
焦れる迷いに、ハリーが進展を急く。
「彼女への非礼を詫びて、このままおとなしく去れば、私から事を荒立てるつもりはないが?」
「うるせえ!」
追い詰められた心理が堰を切った!
諺に『窮鼠猫を噛む』とあるが、まさにそれだ。
もっとも、噛みつく相手は、静かなる獅子である事を、男は知らない。
ジャックナイフ片手に突っ込む破落戸!
一方でハリー・クラーヴァルは動じもせず、棒立ちに待つだけ。
臆した様子ではない。
むしろ逆に、内包した自信に依存するかのような無防備であった。
が、それが立証される流れは断ち消えた。
人混みから駆け入った細身の影が、足払いに突進を妨げたからだ!
「うおっ?」
バランスを崩したところで、間髪入れずにナイフを叩き落とす手刀!
舞を彷彿させる優美なる軸回転で相手の背後へと回り込み、左腕を両手掴みで捻り上げた!
「痛ててててっ!」
堪らず地べたへと押し付けられる!
ブラウス姿の美女であった。
ロングスカートを翻しながらもキレの良い体捌きは、見る者に魅了すら抱かせる。
「私の目が光っている以上、マリーに危害は加えさせません!」
「ブリュド!」
女児の瞳が安堵から輝く。
「マリー、だから言ったのです! 私から離れてはいけないと!」
自らの身体を暴漢への重石と組み敷き、ブリュンヒルドはヤンチャ娘に説教した。
「テメェ! 退きやがれ! クソ女!」
「……まずは吐く言葉が違うのではないか?」
「イデデデデデッ!」
更に捩り上げる。
「あのような幼子を嚇し、あまつさえ助け入った御仁にも刃を向ける──あまりに身勝手な蛮行だとは思わぬのか」
「イデエッ! う……腕が折れちまう!」
「折っても構わん」
「な……何?」
ギョッとして肩越しに窺う美貌は、氷のような冷蔑を帯びていた。
「弱者は暴力に泣き寝入りしていればいい──そもそもは貴様が強いたルールだ。自らのルールによって自らが裁かれるのであれば、四の五の文句を言う筋もあるまい」
この女、本気だ──そう感受した途端、拠としていたメッキが剥げた!
「わ……悪かった! 俺が悪かった! もう暴力は振るわねえ!」
「……真意か?」
「ホ……ホントだ! だから勘弁してくれ!」
「言い掛かりも……だ」
「しねぇ! しねぇよ! アダダダダッ!」
「いいだろう。だが、努々忘れるなよ」
斯くして解放された暴漢は逃げ去り、残された〈戦乙女〉には惜しみない喝采が浴びせられた。
「ブリュド!」
逸早く安心を確信したかったのか、駆け寄ったマリーが腰に抱きついてきた。
「まったく……少しは懲りましたか?」
「うん……うん……」
スカートに顔を泣き埋める。
その様子を見届け、人知れず雑踏へと去ろうとするハリー。
「貴殿、御待ちを!」
目敏く見付けたブリュンヒルドが、声高に呼び止めた。
「何かね?」
「いえ、貴殿には何と御礼を言ってよいか」
「気にする事はない。ただ、放っておけない性分なだけさ」
ロングスカートにしがみつくマリーが、怖ず怖ずと心配を口にする。
「あの……ケガは? だいじょうぶ?」
「ケガ? 何の事だい?」
優しい微笑に掌を見せた。
パックリと刻まれたはずの傷痕は、不思議な事に消え失せている。
「え? だって?」
戸惑う少女へ、ハリーは優しい笑みで答えた。
「私は手品が好きなんだよ」