ミッションは「ありのまま」
人生のミッションにぶち当たった。これが私のミッションだ。子どもたちを「ありのまま」に育てること。その傍らにいる大人たちも「ありのまま」でいること。
「ありのまま」ってなんだ?思ったことを素直に言えて、無理せず好きなことをして、誰にも遠慮しないで、ただ存在することが嬉しくて、誰の存在も受け入れて。
急に大きな話になるが、世界平和を祈っている。環境の保護もしたい。子を持つ母として、それは切実な願いだ。戦争のある世界に子ども残して死ねないし、年々暑さが増す夏の異常さには不安ばかりが募る。
だけど、ウクライナの悲惨な情勢や、伐採されていく森の映像を観て嘆くだけでは、社会は変わらない。
私には、私たちには、できることがある。子どもたちを「ありのまま」育てること。そして、自分が「ありのまま」でいることだ。
子どもたちを見ているとつくづく思う。喧嘩もするし、泣きもするし、閉ざしもするし、爆発もする。我慢しないで、自分を表現する。気持ちはそのまま行動と同じ。嫌なものは嫌だし、好きなものは好き。やりたいことはやりたいし、やりたくないことはやりたくない。
それじゃ社会は回らないと大人たちは思うかもしれない。誰かが我慢したり、何かを引き受けたり、やりたくないこともやらないといけない、そうやって社会は成り立っていると。でも、子どもたちは気持ちに正直に行動をしながら、実に上手に他人と関係を作っていく。我慢はしない、やりたいことやる、好きなものは好き、なのに自然と秩序が生まれるのだ。そして、自分の気持ちを大事にする子どもたちは、他人の気持ちにも寛容だ。誰かが転んで泣いていると、子どもたちはワラワラと集まってきて、「大丈夫?」と声をかける。絆創膏を持ってきてくれる。溢れる涙を拭いてくれる。
あなたにもあるだろう。食べたかったアイスクリームを買ってもらえず、買ってもらった人が羨ましくて、わざとぶつかってアイスを落とさせたい、みたいなそんな気持ち。逆に自分がアイスを買ってもらっていたら、一緒に楽しく食べられるし、もらってない人に一口あげようかなとも思える。
他人への不寛容は、我慢の積み重ねで起きている。我慢を強いられたり、気持ちを否定されたりを繰り返している間に、周りの目を気にして自分らしくいられなくなっていく。そうして、自分の気持ちを上手に伝えられなかったり、自分の気持ちさえわからなくなっていったりする。
「ありのまま」で育った子どもたちが作るこれからの社会を私は見たい。
自分の気持ちに正直に他人にも寄り添える、そんな子どもたちが作る世界は、人間にも自然にも優しく、なんて平和なんだろう、なんて幸せなんだろうと思う。
子どもたちが大きくなっていくにつれて、大人が作ってきた社会やシステムに触れていく。学校教育では、通知表やテスト、コンクールなどで常に評価されるし、集団行動の名のもとに、他人と同じ行動を求められる。そこでは、気持ちは置き去りだ。食べたくない給食を全部食べないといけない。絵を描きたくても算数の時間は数字と格闘しないといけない。寝っ転がって雲を眺めたくても教室では椅子に座ってないといけない。
でも、本当はそうじゃない。食べたいものを食べ、描きたい絵を描き、眺めたい雲を眺め、それぞれが好きなことをやって、役割を担って、社会の秩序が自然と出来上がっていく。
気持ちに正直でいいんだよ。ありのままでいいんだよ。
子どもたちには、それを伝えたい。伝えるために、自由な表現の場を確保したい。学校教育をすぐに変えることは無理でも、自由でいいんだよ、表現していいんだよ、あなたはあなたでいいんだよと、伝える場を作ることはできる。それを大人にも味わってもらいたい。
そんな思いから、そんな場を始めます。
「みんなのアトリエ」
始まります。