経営組織論と『経営の技法』#325
CHAPTER 12.3.2:古典的組織変革のプロセス ⑨再凍結その3 トップの役割
織田信長は、戦いの強さだけでなく、物資や資金の調達、情報や調略の重要性をいち早く認識していました。そのため豊臣秀吉や明智光秀など、戦いが強いだけでない部下にも論功行賞を行いました。桶狭間の戦いで一番の殊勲を、今川義元の首をとった武将ではなく、奇襲を行うための重要な情報を提供した地侍の簗田政綱に与えたのは、部下に驚きを与えたとともに、有名な話です。
もし、信長が彼らに資金の調達や調略を積極的に行わせていたにもかかわらず、旧来のように戦いであげた首級だけで評価をして、秀吉や光秀を重用しなければ、その重要性は織田軍には行き渡らなかったでしょう。また、信長は楽市楽座や鉄砲の使用など、それ以外にもそれまでの戦国大名とは異なる取組みを行いましたが、これらに次から次へと取り組んだことで、旧来の武士の考え方を持った部下たちを変え、新しい戦国大名としての組織を作り上げたのだといえます。
ここまででわかるように、大きな組織の変革を能動的に起こすには、現場を司るミドルの自発的な変革活動、突出が必要ですが、トップがそれをサポートするとともに、継続的にこれらの変革が起こるようにすることも重要になります。つまり、トップとミドルがそれぞれ役割を果たすことで初めて組織変革が進んでいくといえるのです。
【出展:『初めての経営学 経営組織論』280頁(鈴木竜太/東洋経済新報社2018)】
この「経営組織論」を参考に、『経営の技法』(野村修也・久保利英明・芦原一郎/中央経済社 2019)の観点から、経営組織論を考えてみましょう。
1.内部統制(下の正三角形)の問題
テキストから紹介した上記本文では、織田信長による論功行賞のやり方を、トップによるミドル(変革の主体)のサポート、あるいは以前に検討した「戦略的突出」に相当する方法(矢継早に手を打ち変革の流れを作る点)という切り口で整理されています。
さらに、これを変革時の問題として見るのではなく平時にも共通する組織論として見た場合には、織田軍団を個人プレーの寄せ集めとして見るのではなく、大きな1つのチームとしてまとめ上げ、お互いの役割分担を前提とした組織にしていくことを狙っていた、と評価できます。つまり、裏方と言われる機能も組織活動にとっては重要な機能であってインフラに該当するものですから、その機能を高めるために論功行賞の対象を裏方にも広げた、と評価できるのです。
経営者が組織を動かすためのツールは、もちろん自分が表に立つときは自分自身がプレーヤーであり、戦力となりますが、そうではなくて経営に徹する場合であれば、「人」と「金」がツールになります。例えば、重要なプロジェクトには、優秀な人材を集め、多額の予算を与えます。論功行賞は、直接的には「金」を与えるものですが、現在で言えば高い人事考課を与えて給与や賞与を多く与えることであり、「人」に関する手段とも言えます。戦での論功行賞が組織経営上の「金」か「人」か、はここではどうでも良いことなのですが、重要なポイントは織田信長が戦の花形である武功だけでなく、情報収集、資金調達、調略などの裏方仕事の重要性を認め、その重要性を内外にアピールしていた点です。
これは、組織として見た場合、戦に関わる武将たちを喧嘩上手なプロとして雇うのではなく、チームプレーをするメンバーとして雇うことに変化した、と評価できるでしょう。喧嘩さえできれば十分、ということになると裏方業務は全てこちらで準備しなければなりません。けれども、このチームで名を売るなら、自分の裏方業務を自らサポートし、いわば手弁当のように誰に迷惑をかけずにやり遂げてもらわなければならない、ということに変わったことでもあるでしょう。
これを、資源(リソース)の問題としてみると、裏方業務を自社で提供し、戦力だけ外部に依存していた体制から、①戦力まで内部に取り込んだ、と見ることもできるでしょうし、②裏方業務も外部に依存することにした、と見ることもできるでしょう。所詮、戦国武将であって他の武将のサポートが無ければ全国統一などできないのですから、一見すると②のように見えますが、裏方業務をサポートできない戦力は評価しない、と脅しつつ自分の戦力に取り込んでいくプロセスであると評価できれば、①に向かって変化していくプロセスと見ることもできそうです。
2.ガバナンス(上の逆三角形)の問題
投資家である株主から投資対象である経営者を見た場合、経営者と位置付けられる織田信長をどのようにコントロールするのか、ということがガバナンスの問題となります。誰もコントロールできない状況にあった織田信長に対する危機感から明智光秀が殺害した、と見れば、これも一つのガバナンスかもしれません。
さらに、ガバナンスのイメージを広げていき、リスクを取ってチャレンジできる経営者を選択する、という「人事権」まで含めて考えると、このエピソードに見られる織田信長のように、従前の経営モデル・組織モデルを書きかえ、上記のように新たな会社組織のモデルを作ったと評価できるのであれば、織田信長は投資対象となる経営者として好ましいリーダーシップと実務的な能力を有していた、と評価できるでしょう。
このように、経営者としての資質から、自ら、あるいは会社組織をして、どのようなリスクにどのように対応するのか、ということは経営者の特性を明確に特徴づけることとなります。
3.おわりに
こうしてみると、織田信長軍団を見た場合、どこまでが組織であり、どこからが外の別の武将の組織なのでしょうか。もしかしたら、その後の豊臣秀吉や徳川家康の組成した軍団も同じでしょう。
こうなってくると、組織の外か内か、という問題は重要でなくなってきて、どのように一体性や求心力を維持するのか、という指揮命令系統の実効性が重要なポイントになってくるように思われます。つまり、組織論はそれ自体が実態を伴ったり、それ自体が目的であるのではなく、社会における事象の一部について適用できるツールとしての意味があるにすぎない、と割り切ることが可能になり、肩の荷を下ろして自由に議論することが可能になるのです。
※ 鈴木竜太教授の名著、「初めての経営学 経営組織論」(東洋経済)が、『経営の技法』『法務の技法』にも該当することを確認しながら、リスクマネージメントの体系的な理解を目指します。
冒頭の引用は、①『経営組織論』から忠実に引用して出展を明示すること、②引用以外の部分が質量共にこの記事の主要な要素であること、③芦原一郎が一切の文責を負うこと、を条件に、鈴木竜太教授にご了解いただきました。