労働判例を読む#193
【La Tortuga(過労死)事件】大阪地裁R2.2.21判決(労判1221.47)
(2020.10.16初掲載)
この事案は、オーナーシェフが経営するレストランYの調理師Kが、恒常的な長時間勤務(裁判所は、1か月の時間外勤務が250時間と認定)の中、「劇症型心筋炎による補助人工心臓装着状態における重篤な合併症である脳出血によって死亡した」事案です。
少し詳しくこの経緯を示すと、リンパ球性心筋炎(ウィルス性?急性?)→緊急入院→同劇症化→重症心不全(ショック状態、両心室無収縮)→補助人工心臓装着→リハビリ→退院→倦怠感・呼吸苦→再入院(心不全)→くも膜下出血→コイル塞栓術→一般病棟(回復傾向)→嘔吐・意識混濁→脳出血→死亡という経緯になります。
この事案に関連し、別件の労災関連手続きでは、労基が労災を認定しなかったのに対し、大阪地裁R1.5.15判決(労判1203.5)は、労災を認定しました(控訴手続き中)。
そして、この裁判所は、民事上の損害賠償請求について、遺族Xらの請求を概ね認めました。
1.判断枠組み(ルール)
まず、Yの健康配慮義務に関し、電通事件最高裁判決(H12.3.24、労判779.13)を引用し、「業務の遂行に伴う疲労等が過度に蓄積して労働者の健康を損なうことがないよう注意する義務を負う」としました。
次に、Yの健康配慮義務違反とKの死亡の間の因果関係に関し、東大病院ルンバール事件最高裁判決(S50.10.24)を引用し、一点の疑義もない自然科学的証明ではなく、「通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるもの」であればよい、という判断枠組みをしました。
ところが、ストレスによる脳や心臓の疾患に関する厚労省のガイドライン(「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準」)は、引用されていません。この認定基準が適用されるのは、医学的に原因がはっきりしている一部の疾病(脳血管疾患として、脳内出血(脳出血)、くも膜下出血、脳梗塞、高血圧性脳症、虚血性心疾患等として、心筋梗塞、狭心症、心停止(心臓性突然死を含む。)、解離性大動脈瘤)だからです。
この事案は、たしかに直前の疾病は脳出血ですから、この判断基準があてはまりそうです。
しかし、急性心筋炎から始まった一連の動きが問題になっていますので、脳出血だけを問題にすれば、実態に合わないルールを選択してしまいます。裁判所が、認定基準を引用しなかった理由は、事件の実態に合ったルールを選択する、という点にあると思われます。
2.あてはめ(事実)
最初の、健康配慮義務については、比較的簡単に、義務違反を認定しています。Kの健康が悪化することを、一般的にも具体的にも予見でき、容易に回避できた、という評価を、具体的な事実(恒常化した長時間勤務→負担軽減せず、体調不良+病院受診→通常業務)に基づいて下しています。
次の、因果関係は、かなり複雑です。医学的に断定できる原因や因果関係がない中で、判断枠組みで示した「通常人」による「真実性の確信」を導き出す作業をしているからでしょうか。
そこで、裁判所が因果関係あり、と評価した過程を、病状の進行の時系列に並び替えて、整理すると、以下のようになります。
① 過労状態だった。
② 過労により抵抗力が落ちていた(生体防御能が低下した状態になった)
③ 急性心筋炎の前駆症状が発症し、その後も過労状態だった。
④ 過労が急性心筋炎の症状を悪化させた。
⑤ 過労が急性心筋炎を劇症化した。
この中で、特に注目するのは、以下の点です。
1つ目は、急性心筋炎そのものや急性心筋炎の前駆症状の発症について、その原因が検討されていない点です。
たしかに、上記②と③の関係を見れば、ストレスによる抵抗力の低下で急性心筋炎になった、というイメージを抱くことができます。
しかし判決では、「心筋炎発症に関連する危険因子」と題する章で、「病原」「個体因子」「環境因子」があるとしつつ、このいずれも、はっきりとした原因や因果関係を説明できない、としています。例えば、「病原」となるウィルスは、原因となり得るウィルスのいずれかに、90%の健常者が罹患するが、その大部分が発症しないとされています。「個体因子」も、男性の発症率がわずかに高い、「環境因子」は、フィンランド軍やアメリカ軍の関係者の発症率が高い、という統計的な報告が指摘されているにすぎません。
むしろ、判決ではこの点を明確に認定していません。
仮に、ストレスによる抵抗力の低下によってウィルスによる感染症になりやすくなっていたとしても、それだけでは、心筋炎として発症することの説明になっていないように思われます。ウィルスの感染症が、数ある症状の中でも特に、心筋炎という症状を引き起こすことの可能性の程度についてみると、「あり得る」レベルだろうけれども、「通常人」による「真実性の確信」のレベルと言えるほど、強い関係性は説明されていないからです。つまり、過労が原因でウィルスに感染した点での納得感と、そのウィルス感染で心筋炎になった点での納得感は、相当な違いがあるように思われます。
2つ目は、劇症化についても、同様にその原因が明確にされていない点です。
この点も、1つ目と同様の説明がされているのですが、劇症化の点は、発症の点よりも、より因果関係の認定が難しいように思われます。
もちろん、一度発症してしまうと、堰を切ったように、あるいは坂道を転がるように、症状が悪化する、という説明も、イメージとしては理解できます。
けれども、この事案では、最初の入院までは長時間労働していたとしても、それ以降は働いていたという認定がありません。そうであれば、過労状態は解消されており、むしろ逆に、治療に専念していたことになりますから、劇症化する理由は、発症以前の過労状態だけとなってしまいます。それだけ、劇症化の原因が過労である、という説明は、難しくなるように思われるのです。
3つ目は、統計的な根拠の評価です。
ここまでの検討を整理すると、医学的に明確な根拠のない中、因果関係を肯定すべき理由は、Kが過労状態にあった点(この点の認定について、ここでは特に問題にしません)、過労によって抵抗力が低下すると思われる点(この点も、本当に証明されたかどうか、検証の余地はありますが、ここでは特に問題にしません)、過労状態と思われるフィンランド軍やアメリカ軍の関係者の発症率が高い点、男性の発症率の方がわずかに高い点、の4点と思われます。
他方、因果関係を否定すべき事情として、患者の遺伝的・自己免疫的素因の影響がある点が挙げられます。
裁判所は、このうち遺伝的・自己免疫的素因については、想定の範囲内の問題、という言葉に近い言い方でしょうが、男女の違いと同様、実態が不明で、遺伝的・自己免疫的素因が「何らかの疾患に当たるものであったり、極めてまれな特異体質に当たるようなものであることを認めるに足りる証拠は存在しないのであるから、それらは個々人の個体差の範囲として当然にその存在が予定されているものであるというべきである。」と説明しています。
しかし、このような説明を統計的な信頼性の観点から見た場合、フィンランド軍やアメリカ軍の関係者の発症率という、母数の限られた統計データの方を、男女の違いや遺伝的・自己免疫的素因に関する、比較的母数が大きそうな統計データよりも信頼する、という結果になります。
こうしてみると、過労によって抵抗力が低下し、ウィルスに感染した、という因果関係はともかく、ウィルス感染によって心筋炎になった、という因果関係について、根拠となるのは、実質的にはフィンランド軍やアメリカ軍の関係者の発症率が高い、という統計データだけであり、それも、この因果関係に否定的に作用する別の統計データに比較して信頼性が高いと言い切れない状況にあるのです。
3.実務上のポイント
このように、特に因果関係の認定について、かなり無理な議論をしているようにも見えます。
けれども、一方でこのような判断をしたくなる気持ちは理解できます。
見習いの調理師だけでなく、アルバイトも含め、数名とはいえ人を雇っているのですから、Yは雇用主として適切に労務管理するべき立場にあります。それは、労務時間の管理や社会保険関係だけでなく、ここで問題となった健康管理まで含むものです。それを全くしていなかったのですから、Yが雇用主としての責任を何らかの形で問われるのは、当然のことでしょう。
とは言うものの、それが劇症化した心筋炎による脳出血での死亡、という結果まで当然に含まれるかどうかについては、現在の法制度の下で見る限り、疑問が残るのです。
他方で、Yの気持ちも理解できます。
Yは、いずれ独立することを前提にした調理師だけを雇うポリシーでした。独立してオーナーシェフになれば、自営業者として独り立ちすることになりますが、そうすると労働法によって守られることはなくなり、自分の身一つで世間の荒波を超えていかなければなりません。そのような厳しさを、身をもって学んでもらう場を提供しているのだ、という発想があるのでしょう。自分自身も、そのような厳しい環境で鍛えられたという体験があるかもしれません。
とは言うものの、厳しさを学ぶために命を落としたり、体を壊したりしては、元も子もありません。本当に大事に育てようという気持ちがあるなら、健康に配慮することも必要なはずなのです。
このように、裁判所の判断、Yの行動、いずれも、その背景は理解できるが、それだけでは十分納得できない、という事案です。
実務上のポイントとしては、経営者に対する教訓として、ギリギリの状態で会社経営するべきではない、ということを指摘できるでしょう。そのためには、もう少し利益を出せる価格設定をし、それでもお客様に喜んでもらえる工夫をする必要があるでしょう。そして、このような余裕があり、人員を1人でも多く雇えていれば、Kももっと早く休みを取るなど、過労状態を解消できたはずで、そのことによってKの死亡が回避できたか、そうでなくてもYの責任は回避できたはずです。
コロナ禍で、余裕のない会社が追い詰められています。経済界でも、ROEに偏重した経営、すなわちコスパばかり追い求める経営には限界がある、会社にも「無駄」が必要、という論調が増えてきました。
経営者には、コストを削る(巡り巡って自分たちを追い詰めてしまう)能力だけでなく、ビジネスを工夫して余裕を生み出す能力も、必要となってきました。経営のツケを労務問題にしわ寄せする経営には、限界があるのです。
※ JILA・社労士の研究会(東京、大阪)で、毎月1回、労働判例を読み込んでいます。
※ この連載が、書籍になりました!しかも、『労働判例』の出版元から!
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